鎌田洋次(漫画家)のブログ

鎌田洋次(漫画家)のブログ

作品紹介、草野球など諸々。

 当時の軍部と昭和天皇は本土決戦の時間稼ぎとして、沖縄の市民を盾に使い、犠牲にしました。

昭和天皇は戦後、人間宣言をしましたが、一度も沖縄を訪問することは叶いませんでした。

 

 豊崎中学校2年女子の『生きたいと願った証』は全国の人々の心に届いただろうか....  

今日か明日が田宮さんの命日だと思います。

2011年、東日本大震災の年の5月30日、元ヤングマガジンの編集長、関さんから訃報の電話をもらいました。

その日は「熱海五郎一座の」公演を見に行く日でした。以前このブログでも書いたことがあります。

田宮さんがもう少し元気だった頃、「江ノ島」に行かないかと誘われたことがありました。当時、私は田舎の両親が老々介護で休みがあれば宮城に帰っていたので、残念ながら断りました。 あれから15年以上、なんかの拍子で、今「江ノ島」に来ています。初めての江ノ島です。  

田宮さんもこんな風景を見たのでしょうか? あの時無理してでも、つき合ってあげればよかったあと思います。

 

 この言葉、私はWebで調べて初めて知りました。

 今年になってパキスタンから来た6年生の子供を学習支援しています。実はこの子が日本へ来たばかりの去年、5年生の始めの3ヶ月間ほどを支援していました。それから6年生になってまた支援を依頼された訳です。

 

 と言うのも、この子には少々問題があるのです。

それは、この子はクラスの中ではいっさい言葉を話さない、声を出さないのです。5年生のときは、日本へ来たばかりで、緊張しているし、友達もいないから話さないのは無理はないなと思っていましたが、1年経っても、何人か親しく関わってくれる子たちがいるのにもかかわらず、その子らとも言葉を交わさないのです。手や体を使って少しの意思は伝えるのですが、決して声は出さないのです。

 

 では、全く話せないのかというと、そうではありません。家族やごくごく親しい人との中では声を出して話すのです。

去年この子の支援を離れた後、私は1時間だけこの子を含む外国人のこども3人だけの教室を任されたました。その環境の中では、この子が別人のように話すのを見ています。

そのときは「ああ、やっと日本に慣れてきたのか」と思っていたのですが....

 

 今年の支援の前に『場面緘黙』とい情報は得られていませんでした。おそらく先生たちの中でも、ただ反応のない子としか共有されていなかったのではないでしょうか? 「外国人の喋らない子供、言葉が通じないので私にお願いします」と言う感じです。

 

 何も知らない私は、なんとか声を出させようとしたのですが、その子はどんどん頑なに無反応になっていきました。「わざと返事をしないのか?」「私を気に入らないのか?」「馬鹿にしているのか?」とさえ思ってしまいました。

 

 現在、この「場面緘黙」を知ってから、支援のやり方を変えています。少しずつ環境をに慣れさせ、本人から言葉を発するまで待つだけです。

すごく時間がかかりそうです。疲れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英会話サークルのために描いたものを載せてみました。