鎌田洋次(漫画家)のブログ

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作品紹介、草野球など諸々。


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 私の家の近くには中学校があります。その時、夕方で、私はランニングの帰り、下り坂の向こうに横断歩道が見えています。

住宅街の信号のない横断歩道。運動着姿のちょっと小さな女子中学生が手を上げて、その横断歩道を渡ろうとしていました。

下校の途中です。車が一台、気が付いてゆっくりと止まりました。女子中学生は胸の前に小さく手を上げたまま横断歩道を渡ります。車のドライバーはその姿を中から追っているみたいです。

渡り切りました。 

すると、彼女はくるりと向き返って、車にぺこんとお辞儀をしました。

お辞儀が終わると、また向きを変え去って行きました。車もゆっくりと動き出しました。

 

私は、なんかいいな、と思いました。 遠くで手袋をしたまま拍手しました。

 

 

 

 

 

 

 


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  Andrea Motis が一昨年のクリスマス以来、4月にブルーノート東京に出演します。

バックミュージシャンは未定になってるけど、Joan Chamorro 率いる Quintet のはず。

楽しみだあ!

 


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 前回のブログで、この映画最後の数分間のシーンは、監督の独自の解釈だろうと書いたのですが、

あながち、そうでもない、ということがわかりました。遠藤周作氏の『切支丹時代』にそのことがわかる事例が書いてありました。

日本に潜伏したキャラという神父が、拷問によって棄教した後、「岡田三右衛門」という名前を与えられ、64歳で死んだ時は宗門奉行、井上築後守らにより火葬にされたそうです。

 しかし、なぜ、「火葬」なのだろうか? 当時の日本の風習は土葬が一般的だと思われるのですが....  

遠藤氏によれば、キャラは棄教した後も、自分の根幹を成してきた神を捨てきれず、かなり悩んだようで、その点を井上筑後守は見抜いていたと書いています。

 私は、だから火葬という方法を選んだのではないかと想像します。

当時、幕府としてはキリスト信者、特に神父等の宗教心と影響力をかなり恐れていたのでしょう。

ただの農民が焼き殺されても、首を切られても棄教しなかった信念の強い姿に、処刑の立ち会いに立った侍たちの中には、感動さえ覚えた者があったいうのです。

 キリスト教徒にも火葬はありません。幕府としては、どうしても彼を「灰」にしてしまわなければ、ならなかったのかもしれません...

 

 

 


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 2年ぐらい前になりますか?

Martin Scorsese (マーチン・スコセッシ)監督が遠藤周作の同名の小説を映画化して日本で上映したのは。

 

やっと、DVDを借りて来て観ました。なんだか、うすら怖くて、ズルズルと観るのを延ばしていました。

感想ですが、う〜〜〜ん....何というか...遠藤さんが生きていらっしゃったら、どういう感想を持っただろう?

特に、最後の数分間は原作にはないシーンで、ロドリゴの日本での最後をこの監督が独自の解釈で描いています。

 

私はいくつかの違和感を感じました。

 

1)日本人の百姓までが英語をスラスラと話している、まあ、映画の構成上、仕方のないことなのですが。

  イッセー尾形の井上筑後守の演技。原作にはない通訳として浅野忠信の侍の演出。 

 

2)ロドリゴが自分の顔を水に映したとき、イエスの顔に見えるシーン。(こんなシーンが原作にあったか思い出せない)   ロドリゴは一瞬でも自分をイエスだと思ったのか?

  聖書の中でイエスはゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩いていくとき、一瞬たりとも、自分が神に近づいたと思っただろか?

  

3)キチジローはイエスの13使徒の一人、ユダであり私(私たち一般人)だと遠藤さんは何かで書いていたが、最後まで生きてロドリゴと会っている。 聖書のユダはイエスを銀貨300枚(?)でユダヤ王ヘロデや司祭カヤパに売った後、首をくくって死んでいる。ユダはもっといぎたなく、そしてどうしようもなく生きていく人間なんだろうけど、最後はいい人になってるし... でも、遠藤さんはユダがイエスの気持ちを一番、理解してたとも書いてる。映画はその点を描きたかったのかな?

 

日本語の字幕なしで、まだ1回しか見てないので、会話がわからないところがあります。

しかし、原作は読んでいるので内容は把握しています。

もう1回、字幕を出して細かいところ観直そうかな...  ああ、でも、このまま返却してしまいそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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