古典的な軽量ボディを4.2リッターのV8の有り余るトルクで発射させるブリティッシュ・ロケット。
発売当初、シルバーストーンで市販車として最速のタイムを刻んだことでも有名。
気味の悪いほどデザインされたコックピットも中毒性が高く、マニアが存在する。
サーブラウ(CERBERA)の名は、ギリシア神話の地獄の番犬ケルベロスから。
いくらクルマファンだといっても、ドアレバーだけに注目してる人はそうはいないかもしれない。
だが、人々の知らない間に変化は確実におこり、クルマのほとんどはあるカタチのドアレバーに
なりつつある。
ぐっと指を4本入れてガバっと引くだけの、いわゆるメルセデスベンツ型である。
ベンツは当初こんなことを言っていた。
「ドアレバーは事故の際、もし中に閉じこめられた人がいたら、助けられるように、
最も力の入るカタチでなければいけない。」
ドアは普段使う人のためでなく、いざという時に助ける人のためのカタチが正しいという
論理は目からウロコだった。
当時はボディと一体感の強いフラップ型全盛でこんもりと盛り上がったドアレバーは
ちょっと目だって、かっこ悪いと映ったものである。
だが、過去いくつもの業界標準を“設定”してきたメルセデスの言うことである。
以来、自動車メーカーにとって、「ドアレバーをどうするか?」
というのはひとつの「踏み絵」となった。
まともなメーカーならば、メルセデスの軍門に下る。
それ以降モデルチェンジしたクルマのほとんどが“それ式”のドアレバーに右へ習えである。
フィアット・バルケッタのボタンを押すと棒が出てくる式や、
ランチャやアルファに見られる横フラップ式などはここ数年で数が激減した。
ドアレバーは、もはやデザインやギミックや遊びの対象ではなくなってしまった感がある。
実に余裕のない話で、いやなもんだが、
こうなると、現代の頭のおかしなクルマメーカーというのは、ドアレバーのカタチで判断できる時代に
なったと言わざるを得ない。
筆頭はフェラーリで、今だにどうやってドアを開けるかよくわらないモデルがある。
だがしかし、敷居の高さでは他の追随を許さないイタリアの跳ね馬も、TVRには適わない。
だってドアレバーがないのだ。
鍵穴もない。
TVRはドアを開けることを、スポーツカーに乗るための世にも神妙な儀式と考えているのだろう。
それは、女の股を開かせる如く、実に微妙な手つきで事にあたらなければならない。
この秘密を知り、ドアを開けてみると、何やらニヤッとしてしまうのです。
「クルマが万人のためのものだ、なんて誰が決めた。」
TVRのつぶやきが聞こえてくるようだ。
エアバックなどはないのだ。これでいいのだ。



