クルマと人の写真館-GT3
★2003年のフランクフルトショーに伝説の“ナナサン”カラーを身にまとって現れたGT3RS(レンシュポルト)。

 最高出力は381ps、最高スピードは時速306キロと発表され、世界のクルマ好きを驚愕させた。



ポルシェほど、未来がないと思わせておいて、

むしろ全然大丈夫だったメーカーもめずらしい。


殊にあの911。

フラット6のエンジン、RRという特異なレイアウト。

悪い時には、全部それらがこのクルマの未来を閉ざす

マイナス要因のように書かれていたものだ。



ほとんどのクルマ評論家やマスコミは、当時このように書いた。

「911に替わるメイン・ポルシェを開発しなければいけないが、ポルシェという会社に

その体力はなく、過去の遺物を、信じられないくらい長期にわたり延命させている。

ポルシェ・ファンも911に固執しているだけに、今後の展開が難しい。」と。。


アラブの大富豪にお金を出してもらって、TAG名義でF1に復帰したりとか、

ベンツの500Eは、ポルシェ救済のために開発したものだとか、割と貧乏話も多く、

技術はあるけど、全く先細りというのが10年前までのポルシェの印象だった。


それが今や、

巨人フォルクスワーゲンを跪かせるほどの優良企業じゃないか。


911にしても、

「RRというレイアウトが時代遅れで、大きいエンジンは積めないから、

ハイパフォーマンス・スポーツカーとしてライバルに遅れをとるだろう。」

などという周囲の心配は全くの杞憂でしかなかった。

(恥ずかしながら私もそう思ってた。)



第一、ポルシェは一番未来がないといわれてきた911をメインとして未来を作ってきた。


どうだ、といわんばかりである。



そして、

ポルシェの技術力がハンパでないことは、皆うすうす感づいていたが

それでも全世界が驚いたのはGT3だろう。


もはや、ターボでパワーの補完をする必要もない。

あの狭いエンジンベイに収まる、3.6リッターの自然吸気の6気筒エンジンをちょっと

あちこちいじって、つるつるにしたり、軽くしたら、時速300キロ出ちゃいましたけど何か?

といった雰囲気である。

クルマと人の写真館-GT32

もう大丈夫。

内燃機関の自動車がなくなるまで、

ポルシェ911はこのままいけるであろう。




クルマと人の写真館-bent5

★ベントレー・コンチネンタル@麻布十番商店街




麻布十番にベントレーがいると、私は数年前のことを思い出す。



そのベントレーも白いコンチネンタルの2ドアだったと思う。

駐車禁止の取締りが厳しくて有名な麻布十番商店街に

それは実にゆったりと停まっていた。


(こういうのに限って、駐禁取られないんだよな。。。)



私は通りに面した「タリーズ」でお茶を飲みながら暇つぶしに、

このベントレーの持ち主を想像していた。




ふと、隣の席の男が立ち、

その白いベントレーに向かって歩き出した。



彼がその白い大きなドアを開けようとした時、

横から駆け寄った外人が声をかけた。



「永ちゃん!!」



なんと、そのドライバーは矢沢永吉であった。




(エ!エ?ということは、今までオレの横でカフェラテ飲んでのって永ちゃんだったの!?)



永ちゃんは、その失礼な外人とニッコリ笑って、握手すると、

ベントレーに乗り込み、行ってしまった。既に相当かっこいいじゃないか。



ああ、しまった。





というわけで、

麻布十番でベントレーを見るたびに、注目してしまうのであった。

(これが、近くにコーンズがあるから、割と見るんですけどね。)



クルマと人の写真館-puri1

成人式ということで、20年前を振り返りたいのですが、

1990年というと、私なんかにとってみれば、つい、この間

くらいなもんで、「光陰矢のごとし」とはよく言ったものです。


ちょうど、

日産プリメーラが今年生誕20年だそうです。


この時期の日産はものすごく気合が入っていて印象深いのです。

S13シルビアから、アテーサ搭載のU12ブルーバード、Z32、8代目R32スカイラインまで

このあたりの時期に集中してます。

ルマンなんかも積極的に出て、いい車作ってる雰囲気がガンガン伝わってきました。


「901運動」といいましたっけ、

1990年までに車体性能で一番を獲るみたいな、

やや北朝鮮的なスローガンをぶち上げて邁進してましたね。


その最大の果実が、1990年デビューのプリメーラだったと思います。

ほとんどクロームメッキがない、欧州車みたいのがいきなりデビューしたので、

びっくりした記憶がありますね。

格好だけじゃなくて、サスの固さとかハンドリングも欧州車のようだった。

GT-Rみたいなスペシャルなクルマじゃなくて、普通のファミリーカーに

マルチリンクの精巧な作りのサスペンションがはまっていたというのが、

当時の日産の技術アドバンテージを感じさせます。


意気揚々といったところでしょうか。


世のお父さんも「おぉ!」と気になったでしょう。


ただ、残念なことに、

そのとき既にクルマの選択権はお父さんにはなく、

お母さんやお母さんの両親に移ってしまっていたのでした。。。


トホホです。

商売にはなりません。


日産の悲劇はこういう時代の変化に身軽に「シフト」できないところですよね。

ホンダとか、右の手でF1作りながら、左の手でものすごくインチキなSUVとか

平気で作るじゃないですか。


私はそういうことのできない日産には好感を持ちますが、悪いのはそうなった時

実によくこのメーカーは迷走するんですよね。

(おろおろするんだな、へたくそな真似とかし出すんだ。)


この時は

痛手が深かったのでしょう、おろおろどころか、一気にガタガタになっちゃいました。

もう、ゴーンが来るまではあっという間、まさしく「光陰矢の如し」というかんじでした。



次の20年は日産頑張ってほしいと思います。


こうやって、

僕はいつも日産について考えるのがクセのようです。