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キッチンラーメンのブログ

思いつくまま、つれづれに

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今日は秋晴れの京都を訪れています。

平安神宮の大きな鳥居が青い秋空に映えて、とても美しいです。

今から、その鳥居の横、京都市美術館で開催中の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」に入ります。
初来日のゴッホの自画像や、モネ、ルノワール、セザンヌなどとの対面が楽しみです。

携帯からのブログ更新は初めてなので、首尾良く行くか不安です。
首尾良く行けば、平安神宮の鳥居の写真をご覧いただけるのですが・・・。

では、行ってきます。

明日(30日)第1回大阪マラソン大会が行われる予定です。

このところ好天が続いている大阪ですが、皮肉なことに明日だけが雨になるとの予報が出ています。お昼前頃から降り出すだろうとのことですが、何とも意地悪な雨ですね。

意地悪な雨と言えば、この夏は大雨で各地に大災害が発生しました。
9月初めの台風12号によって大きな被害を受けた和歌山県日高川町については、このブログでも何度か取り上げさせていただきました。

その日高川町で自動車板金塗装業「イハラ・ボデーショップ」を経営する井原和義さん(56)も明日のマラソンに参加されることになっています。

自宅兼工場の1階工場部分に甚大な被害を受けた井原さんは、機械や塗料がそろわないため、現在も板金塗装は再開できず、JAFの仕事や新車・中古車販売の取り次ぎでしのいでいる状態とのことです。

奥様の万見子さんが店長を務める「山の本屋」こと「イハラ・ハートショップ」も、ほとんど臨時休業状態が続いています。

【10月26日付け朝日新聞和歌山県内版に掲載された井原和義さんの記事】
http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000001110260001

他の被災地に比べると日高川町の被害はそれほどでもないように受け取られているかもしれませんが、いまだに被災前の日常を取り戻せない状態で苦しんでおられることを忘れてはならないと思います。

現在、日高川町では国の災害査定を受けるための作業が進められています。災害復旧に必要な予算を国から獲得するためには、被害状況を国に確認してもらい認定してもらう必要があるのです。

そのための資料作りには相当な労力が伴います。

被災直後から、県や町から委託されたコンサルタント会社による測量が行われて来ました。崩落した岩石が散乱する現場での測量は二次災害が発生しかねない危険が伴う作業です。

昼間の現場での測量を終えると、夜は疲れた体に鞭打って膨大なデータを整理し、図面に落とし込む作業。連日の作業は夜遅くまでかかってしまいます。災害査定を受けるための資料作りは大変です。

しかし、来月初めに国の査定を受けてOKが出たとしても、予算がついて復旧工事に入れるのは、ずっと先になることでしょう。

そうなんです。被災地ではいまだに復旧工事に手が着けられていないのです。

元々、河川工事は渇水期と呼ばれる秋から春にかけての冬場に行われるものではありますが、今回のように多くの災害現場を復旧するためには、出来るだけ早く着工する必要があると思います。夏場のいわゆる出水期に間に合わなければ、来年再び被害が起こることになってしまいます。

被災直後からの長期間に及ぶ緊張で、県や町の職員、コンサルタント会社の方も疲労困憊されていることでしょうが、今ひと踏ん張り頑張っていただきたいものだと思います。

また、高齢者の方が多い山間部のことですから、各住宅の復旧も遅れているのではないかと心配です。今でも人手を必要とされている方は多いことでしょう。

私も災害ボランティアに参加したいと考えていたのですが、いざ現地へ行くとなると様々な障害を乗り越えなければならず、持病の腰痛のこともあって実現できないまま現在に至ってしまいました。今となっては、ボランティア参加のための資金を義援金として送らせていただくしかないかなと思案しています。

明日、井原さんはご自身の被災体験とともに様々な方々の思いを背負って大阪マラソンに参加されます。「紀の国美山マラソン」参加を皮切りに「美山走らん会」の仲間とともに数多くの大会に参加されて経験豊富ですから、自己ベストの4時間8秒を更新されることも期待したいですが、今回は何よりも無事完走されることをお祈りしたいと思います。

ボランティアとして現地に行くことが出来ていない私としては、せめて明日のマラソン会場で声援を送らせていただこうかなと考えているところです。

なお、MBSテレビが午前10時~11時24分に生中継の予定です。マラソンのスタートが午前9時ということですから、スタート1時間後からの放送。トップランナーのゴールが何とか見られるかなという、何とも中途半端な時間帯ですが、よろしければテレビで声援を送ってください。



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早々に木枯らし1号も吹いて、本格的な寒さの季節がやって来ました。私の周辺にも風邪をひかれた方が目立ち始めました。体温計が活躍する季節到来とも言えるでしょう。

この体温計、私が子供の頃は当然アナログのものしかありませんでした。口や脇に挟んだ体温計の水銀がぐんぐん伸びるのを、傍らの母親が心配そうな顔で眉間にしわを寄せて見守っていたのを思い出します。体温が確定するまでの3分間は長かったことでしょう。

今やデジタル表示のものが主流となり、瞬時に体温が表示されるものもあって便利になったものです。母親が眉間をひそめて見守る暇(いとま)も与えません。

地上波テレビのアナログ放送からデジタル放送への移行など、様々な分野でのデジタル化が進行しています。まさしくデジタル全盛の時代ですね。

デジタル化の波は今後ますます私たちの日常生活に深く浸透し、私たちに大きな影響を与えるであろうことは否定できません。ますます便利な世の中になることでしょう。

しかし、果たしてデジタルはアナログより優れているのだろうかと私は考えてしまいます。

デジタルとは基本的に1と0で成り立つものだというのが、私の基本的な認識です。
単純で浅薄な認識だとは思いますが、例えばコンピュータによる解析と言っても、基本は単純で、要は電気シグナルのONとOFFによるもの。確かに正確な結果が得られるのかもしれませんが、なんとなく冷たくて「冷徹な」という印象すら抱いてしまうのです。

私の独断と偏見で決めつけさせていただくとすると、デジタルは明快ではあるが融通が利かないものであるのに対して、アナログには柔軟性があるというイメージがあります。アナログには人間味というものさえ感じてしまいます。

デジタル人間とアナログ人間という表現が使われることがあります。
コンピュータはじめデジタルに堪能な人と馴染み難い人。
「私はアナログ人間ですから」と若干自分を卑下しているかのように使ったり。

私は初対面の相手に対する評価をその人の第一印象で決めつけてしまう傾向があります。
その点をある人から指摘を受けて、第二印象も大切にするよう努めるようになりました。すると第一印象での評価が覆ることも多く、人を見る目が拡がったように感じました。

○か×か、1か0かで判断するという意味ではデジタル人間だったと言えるかもしれません。それが1と0以外の結論もあるのだというアナログ人間になったわけです。

「そんなん、こじつけやんか」と言われるでしょうが、私がそう思うのですから仕方ないでしょうと居直っておきます(笑)

他人を評価するときに、デジタル型からアナログ型に変えた、と言うか、どうしてもデジタル的、直観での判断が基本となってしまうのですが、そこにアナログ的な観察も加えたということです。

そうすることによって、以前より他人を多角的に見ることが出来るようになり、自分に幅が出たように感じます。正直なところ人との付き合いは苦手な方で、人との繋がりが広がりにくいタイプであることは自覚していますが、第一印象だけでなく第二印象も重視するようになっていなければ、人との繋がりは今よりもっと狭かっただろうと考えます。

私は子供の頃から、親から命じられたり、他人から頼まれたりすると、相手が求めることに何とか応えなければならないと考えて行動するタイプだったように思います。
そして結果に一喜一憂し、結果が○だったときには有頂天になり、×のときは落ち込む。

アナログ的感覚で○×以外に△もある、場合によっては□もあるんだと気付くことができなかったのでしょう。

親や弟妹から、私には相談しにくいと言われたことがあります。
私に相談すると、それほど深刻でもない場合でも真剣に受け取られ過ぎて…。話を聞いてほしいだけのときもあるのに…と。

○か×か、1か0か、善か悪か、好きか嫌いか…。二極化するのでなく、車のハンドルにも遊びがあるように、ゆとりのある性格になりたいものだと思いますが、長年付き合い続けた性格ですから難しいかもしれません。

けれども、決断力がなく優柔不断な、ある意味アナログ的と言える性格が大半を占めているのも確かですから、何とかなりそうにも思えます。

今回もタイトルから話題が逸れてしまった気がしますが、母親がアナログ体温計の測定結果が出るまで我が子の傍らで眉間にしわを寄せて心配する時間のように、結果だけではなくて人間味が感じられるプロセスも大切にしていきたいものだと思います。


最近、見えないものがどんどん増えて来るので不安を感じています。

老眼が進んで新聞や本の活字が見えにくくなって来たのもその一つですが、長期化する我が国の不況、右肩下がりの続く日本の先行きが見えて来ないのが大きな不安です。

今、日本の今後に大きく影響するであろうと、新聞やテレビでTPP加盟問題が話題になっていますが、TPPって何のこと?
それを政府がどうしようとしているのか、その動きも見えてきませんし、加盟することで今後の日本にどう影響するのか?
私にはわからないことだらけです。

TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)について少し調べてみました。
TPPの他にも、FTA(自由貿易協定)とEPA(経済連携協定)があることを知りました。

荒っぽく言うと、関税など貿易の障害となる壁を、国同士お互いに取っ払って貿易を自由化して、お互いの利益を増やそうというのが、3つに共通する目的のようです。

まずFTAは、二国間(※または地域間)の協定で、モノの関税や数量制限などを撤廃し、自由貿易を行なうことによって利益を増やそうとするもの。サービスや投資なども含まれます。

次にEPAは、FTAの要素に加えて、知的財産権、投資、政府調達、競争政策、中小企業協力等なども対象分野に含む二国間(※)協定です。

そして問題のTPPですが、二国間ではなく複数の加盟国の間で工業品、農業品を含む全品目の関税を撤廃し、公共事業や物品・サービスの購入、知的財産権、労働規制、金融、医療サービスなどすべてを自由化する協定をいいます。

TPPは、日本の農林漁業への影響が大きいことや食料安全保障に問題があると、多くの道府県議会で反対や慎重審議を求める意見書、特別決議の採択が相次いでいて、工業製品の輸出に期待できる反面、農家への打撃が大きいことも考えられることから反対も強いということです。

しかし、消費者の立場になれば物価が安くなったり、様々なサービスが安く受けられることになるかもしれないという側面もあって、一概に損得の判断は難しいように思います。

FTAについて、すでに日本は、シンガポール・メキシコ・タイ・マレーシア・ASEAN・フィリピンの6か国と締結しており、韓国・オーストラリア・スイスとも交渉中とのことです。

したがって、アメリカが日本に加盟を強く迫っているTPPは実質的にはアメリカと日本との二国間協定だと極論する人もいるようで、アメリカの謀略説を唱える人すら存在するらしいのです。

調べてみて余計に混乱してきました。

知らなかった(見えなかった)ことが、少し知って見えてくると、ますます見えなくなってしまうことってありますね。

都合の良いことも悪いことも国民にキチンと説明してくれる誠実な政府だったら、こんな苦労はしなくて済むかもしれないのにと、ボヤク余裕も与えず、先行きが見えない怖さはじわじわと私を不安に陥れます。

福島原発事故が起きて以来、多くの国民にとって、放射能は目に見えない怖いものの筆頭でしょう。
昔から、見えないものへの恐怖感が幽霊を産み出してきました。
そう言えば、人の心も見えないものの一つと言えるでしょう。じつは自分自身さえが見えていない怖い存在かもしれないと、私は考えてしまいます。

巨大望遠鏡を使っても見えるか見えないかの宇宙ゴミが、いつどこに落ちてきても不思議ではない時代です。ある意味で覚悟が必要な時代だと言えるでしょう。

アダム・スミスは『国富論』の中で
『人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである。』
と述べています。

これまでの私は、たとえ都合の悪い事態になったとしても、「見えざる手」が何とか解決してくれるものだという、漠然とした曖昧な期待によって支えられて来たように思います。

『国富論』については、高校の教科書に載っていたことを微かに覚えているだけで、正直なところ中身をほとんど理解していませんので、アダム・スミスに怒られることを覚悟の上で(笑)、自分勝手に都合の良い解釈をして、漠然とした心のよりどころにしてきたような気がします。

想定外では済まされない出来事が起きた今、これからは「見えざる手」によって自分の期待とは真逆の解決策がもたらされることもあるのではないか?これが現在の私の不安の原因となっているのかもしれません。

「山よりでかい獅子は出ん」と信じてきましたが、今後は「山よりでかい獅子も出る」かも?と覚悟して生きなければならないのかと不安に思いつつも、いまだに「見えざる手」に淡い期待を寄せてしまう私です。


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古代中国の杞の国に、天が落ちてくるのではないかと心配して、食事ものどを通らず、夜も眠れないという人がいたという故事から生まれた「杞憂」という言葉。取り越し苦労をすること、無用の心配をすることをいうことはご存知のことでしょう。

当たり前のこととして、天が落ちてくる確率がゼロであると信じたいですが、そうとばかりも言えないのではないかと思ってしまう出来事が続いています。

先日、寿命の尽きたアメリカの人工衛星が地球に落下したばかりですが、お次はドイツのエックス線観測衛星「ROSAT(ローザット)」の番だと報じられています。

人工衛星自体の重さ2.4トンのうちの約1.7トンが、大気圏で燃え尽きずに最大30個ほどの破片に分かれて地上に落下してくる可能性があると、ドイツ航空宇宙センターが発表。落下は今週末の22日か23日と予想されており、ドイツメディアによれば、人に当たる確率は2000分の1だそうです。

9月に落下したアメリカの人工衛星「UARS」が3200分の1でしたから、それよりも確率が高いということになります。

◆ドイツ衛星「ROSAT」の落下に関する情報について【文部科学省 10月19日発表】 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/10/1312326.htm

千年に一度と言われてきた大地震や津波が、実は数百年周期で起きていた可能性があることが分かってきました。

電力危機が心配された今夏は節電で切り抜けることが出来ましたので、杞憂に終わったと言えなくもないと思うのですが、次は冬の節電の番です。

最近私の携帯アドレスあてに連日50通近い迷惑メールが届いており、文字どおり迷惑し非常に困っています。どのような手段・ルートでアドレスが捕捉されるのか不思議です。怪しいサイトには近づかないよう気を付けているのですが、知らないうちに巧妙な仕組みにハメられているのでしょうか?

私は Google のメールサービスである Gmail を使っていますが、メールを送受信するたびに本文やタイトルに則したCMや関連情報が表示されるのを不気味に感じています。

また、Googleの地図情報は便利ですが、便利さと引き換えに、私たちが気付かないうちにプライバシーを含む情報を収集されているのではないかという疑念を拭うことが出来ません。

インターネットバンキングの被害が増加しているとのニュースを見る度に、いつか自分も被害に遭うのではないかと不安になり、不気味感が増幅するのです。

今日の朝刊でも、アメーバピグに不正アクセスした小中学生8人を、不正アクセス禁止法違反の疑いで愛知県警が摘発したと伝えています。

最近、アメーバの不具合が目立ちますが、この事件も関係しているのでしょうか?そうであれば迷惑なことです。

一昔前なら考えられなかったような事件、杞憂に過ぎないと一笑に付されたであろう出来事が、次から次へと身近で起きています。

これだけ杞憂では済まされない出来事が続くと、ついには「杞憂」という言葉自体が死語になってしまうのではないかと、とかくマイナス志向に陥りがちな私は心配になってしまいます。

どうかこの心配が「杞憂」に終わりますようにと、落ちて来ないであろうと信じている天に向かって祈りたい気分です。


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