未解決事件・京都府舞鶴市高3女子殺人事件(2001年) | 雑感

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たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

舞鶴市高3女子殺人事件

(舞鶴市では、過去に2人の女子高生が殺害される事件が起きている。それらの事件の簡単な位置関係を表した図。東西南北、距離についてはご推察ください)

 

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

 

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こういう画像を冒頭に貼って、だからどうだというわけではないんですが、こうしてみると2008年の事件(被害者・小杉美穂さん)と2001年の事件(被害者・新谷茜さん)のそれぞれの遺体発見現場()は、やはり近いなと。直線だと2.2kmの距離です。

まあこの二つの現場は、山塊を挟んで向かい合っているので、その間の距離を直線で測って遠近を論じることに、あまり意味はないかもしれませんが・・・。

 

画像向かって左側、「小杉さんの高校」とあるところ、字が小さくてわかりにくいかと思いますが、「(京都府立)東舞鶴高等学校 浮島分校」です。(小杉さんはここの高1だった)

 

画像中、大きめのピンクののあたりに、2008年の事件の被害者である小杉美穂さんの自宅がある(あった?)とのこと。

 

舞鶴市高1女子殺人事件

(2008年・小杉美穂さんの事件関連図)

 

とすると、2008年の被害者である小杉さんの自宅(舞鶴市田中町)と、2001年の被害者である新谷茜さんの遺体発見現場(田中橋から上流へ約50mの地点)は---だからどうだということではありませんが---これまた驚くほど近いということになるかと。

 

ちなみに冒頭の画像、大きめの黄色ののあたりに、2008年の小杉美穂さんの事件で逮捕起訴され(無罪放免された)、去る7月に獄死した中勝美(死亡時67)の自宅があります。

 

この男は、小杉さんの事件で無罪放免とされた後、2014年11月5日に、大阪で知人女性を滅多刺しにするという殺人未遂事件を起こし、現行犯逮捕され、裁判にかけられ、懲役16年を言い渡され、そのわずか4か月後に獄死しました。

 

この大阪での殺人未遂事件を起こした2014年11月5日は、中勝美にとっては犯罪まみれの人生におけるいわば「犯罪の仕納め」の日になった形でしたが、そのちょうど13年前の2001年11月5日に、先の新谷茜さん(当時18、高3)が、舞鶴市田中町の路上で一人歩いているのを目撃されたのを最後に、行方不明になったのでした。

同町内にある田中橋の上流約50mの地点に新谷さんの遺体がうつ伏せの状態で浮かんでいるのが発見されたのは、その12日後の11月17日のことでした。

 

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新谷さんの遺体には首や胸などに鋭利な刃物による傷が多数、司法解剖の結果、死因は首の刺し傷が気道に達して血液を肺に吸い込んだことによる窒息死とされ、京都府警は舞鶴東署に捜査本部を設置して捜査に乗り出したとのこと。

 

表題通り、この2001年の事件に焦点を当てていきたいと思うのですが、まず事件が起きた京都府舞鶴市の位置を確認してみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(画像中央やや上、赤く着色された部分が舞鶴市)

 

舞鶴市をもう少しクローズアップしてみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(赤く着色された部分が舞鶴市。遺体発見現場の位置は

 

さらにもう少し遺体発見現場あたりに寄ってみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(画像向かって右下、水色の四角い枠のあたりが舞鶴市多門院。被害者の新谷茜さんの自宅はこの枠のあたり)

 

遺体発見現場あたりをさらに拡大してみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(遺体は田中橋の上流約50mの地点でうつ伏せに浮いているのを発見されたとのこと。とすると水色の楕円で囲んであるあたりが遺体発見場所かと)

 

田中橋の上から上流を見てみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(水色の丸のあたりか。あくまで大まかに、ということで)

 

また、上空からの画像でもわかる通り、被害女性の自宅のある舞鶴市多門院は緑豊かな場所。多門院の市道(町道?)にはまだストリートビューが通ってないので、近くを走る高速道路の上から該当箇所を見渡してみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(のどかな場所。画像奥の方向が舞鶴の市街地)

 

新谷さんはここからかなり離れた京都府立海洋高校に通っていた(3年生)。家から学校までの距離は、車だと走行距離33km程度、電車を利用する場合でも大差ないかと。

大まかな位置関係を見てみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

 

新谷さんは画像中にもあるこの「京都丹後鉄道宮舞線」に乗って通学していたらしいが、この名称になったのは最近のことで、新谷さんがこれを利用していた時代は「北近畿タンゴ鉄道宮津線」と呼ばれていた。(当該路線の電車、ググると画像がいろいろ出ます)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E9%89%84%E9%81%93%E5%AE%AE%E8%88%9E%E7%B7%9A

(京都丹後鉄道宮舞線ウィキペディア)

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(一両列車。下の北近畿タンゴ鉄道宮津線のウィキから引用)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%BF%91%E7%95%BF%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B4%E9%89%84%E9%81%93%E5%AE%AE%E6%B4%A5%E7%B7%9A

(北近畿タンゴ鉄道宮津線ウィキペディア)

 

京都府立海洋高校のある位置にもう少し寄ってみると、

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(海洋高校への下車駅は「栗田駅」。景勝地として名高い天橋立も近くにある風光明媚な所)

 

 

京都府立海洋高校

京都府立海洋高校

(上が京都府立海洋高校、下が海洋高校正門前の道路から見渡す風景)

 

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舞鶴市高3女子殺人事件

京都府立海洋高校

(上の写真、向かって左端が新谷茜さん。窓の向こうの風景からして、おそらくこのスナップは下の海洋高校の写真でいえば3階の教室のピンクの枠で囲んだ窓から---二つ前の海洋高校の写真でいえばほぼ画像中央にある3階の教室の窓から---並木や街灯などが立ち並んでいる正門方向を背景として撮った写真と思われ、新谷さんが当該高校で元気に過ごしていた頃を偲ばせる一枚となっている。)

 

 

被害者である新谷茜さん(当時18、高3)の伝えられる人物像:

(別冊宝島『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』における塩見拓也氏のレポートに多くを参考にさせていただきました。)

 

・実家は舞鶴市多門院

 

・家族は両親と姉、兄、茜さん(末っ子)
 

・家族との関係は良好
 

・中学時代は、家から約5km離れた白糸中学(現・青葉中学)に自転車通学。(青葉中学 → 舞鶴市行永1810)
 

・中学時代はソフトボール部に所属(一塁手)
 

・身長167cm、体重50kg。明るい性格、美人で目立つタイプだったとのこと。
 

・高校は宮津市の京都府立海洋高校に入学(水産経済科)。食品加工や食品衛生、パソコンを使った情報処理などを学んでいた。
 

・一度通学途中で痴漢に遭ったため、それ以降は家から約6km離れたJR東舞鶴駅まで母親が車で送り迎えしていた。
 

・当該駅からJR舞鶴線~北近畿タンゴ鉄道宮津線(現・京都丹後鉄道宮舞線)などを乗り継ぎ高校に通っていた。
 

・高校手前の「栗田駅(くんだえき)」で下車し、そこから高校まで約900mの道のりを徒歩で通ったかどうかは不明。
 

・高1の時から彼氏がいた。(高3で事件に巻き込まれる時まで交際は続いていた)
 

・在学中にアルバイトをよくしていた。(ラーメン屋店員、ファーストフード店員、スーパーのレジ係等)
 

・学校関係~それ以外の関係と、交友関係は相当に広かったと想像され、「あとで聞いたことですが、娘は八方美人的な感じでつきあっていたようで、時には誤解されることがあったかもしれません」(父親談)
 

・ヘアメイクに興味あり、事件翌年(2002年)からは美容院への就職が決まっていた。(美容院に就職が決まったのは事件の1週間前だとの情報がある)
 

・美容師を目指すには専門の美容学校に入って学び直すことが多いが、そのコースに乗ることは(少なくともその時は)考えていなかったようで、「明るい性格で、後先をあまり考えずに行動してしまう子」(父親談)
 

・行方不明になった当日(2001年11月5日、月曜日)の朝には、「東舞鶴駅 → 栗田駅」間の通学定期券を購入している。
 

・その他

「最近、更新してなかった・・・アメブロ見たりすらもしてへんかった。実は、11年前の高一の時に(中略)先輩が行方不明なって・・・。学校にも来てなくて皆心配してたケド。結局、志楽川で遺体見つかったんや。それも首に刺し傷があるのに抵抗した後がなくて。遺留品が見つからなくて。もう11年目やねん。そしてあと4年で時効期日がくるんやんか。そんな事考えてたら。眠れなくて仕事失敗するし。何が出来るやろうって思うよ。はやく事件解決したら良いケド。いっそ当時の学校の生徒全員に心拍数の検査すりゃいいのにさ。何でしないんやろ。(後略)」

http://ameblo.jp/partytime0918/entry-11340553025.html
「高校1年の時に・・・人殺しって噂されてる家の3男が先輩につきまといしてるって気付いた。(中略)新谷茜につきまといしとんのも知ってるから。新谷茜の恋人に異様に敵視してる様に嫌がらせしたり。人に嫌味わざわざ言うたり。ストーカーとアピールするが・・・。(中略)が・・・しかし・・・ヤンキーから憧れて崇拝されてる茜ちゃんには防御創がない。バチバチいくのにやで。そんなんはおかしすぎやで。(後略)」

http://ameblo.jp/partytime0918/entry-11600282664.html
(以上二つのブログ記事は海洋高校の後輩の方によるもの。同ブログにはこの事件についての記事が他にも複数あり、ブログ主さん的には、この犯行は新谷さんの周辺にいた同世代の複数の人物によるものという印象を抱いている様子)

 

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舞鶴市高3女子殺人事件

(全体の大雑把な位置関係)

 

 

失踪当日(2001年11月5日、月曜日)の被害女性の行動:

(遺体発見時は「失踪した時の制服姿のままだった」とのことなので、以下の11月5日の行動中は、ずっと海洋高校の制服姿だったと思われる)

 

・11月5日朝、府立海洋高校に通学

 

・2時限目の授業が終了した後、午前10時半ごろ、担任の教師や友達には何も告げずに学校を早退した。(友達に「舞鶴高専の学園祭に行く」と話していた、との情報もある)

 

・学校を早退した理由は、知り合いの男子学生が通う舞鶴工業専門学校の学園祭に行くためだった。(この男子学生とは事件の1~2か月前にバイトで知り合ったとのこと)

 

・海洋高校から舞鶴高専の学園祭に行ったルートは、まず北近畿タンゴ鉄道宮津線(現・京都丹後鉄道宮舞線)で西舞鶴駅まで乗り、そこからJR舞鶴線で東舞鶴駅まで乗り、そこで待ち合わせていた彼氏のバイクに乗せてもらい、舞鶴高専へと向かったらしい。

 

・新谷さんが舞鶴高専の学園祭にいるところを、中学時代の後輩が目撃している。

 

・その後、17時ごろ、高専を南にやや下ったところにある安岡町の友人宅を訪れたが、友人は不在だった。(この友人については性別その他不明)

 

・手持無沙汰になったのか、近くの公園でブランコに乗っていたらしく、ブランコに乗る新谷さんと思われる女性を、小学生二人が目撃している。

 

・同じ時間帯に、新谷さんらしき女性が20歳前後の男性とシーソーに座って話をしており、隣接する道路に白い車が止まっていたという目撃談が寄せられたが、該当する男性は見つからず、真偽のほどは定かではないという。

 

・その後、安岡町からJR東舞鶴駅方向に500mほど進んだ、志楽川近くの田中町の路上で一人歩く姿を知人が目撃した。(目撃時刻は日没時刻をとうに過ぎた17時半を回ったあたり。目撃したのは中学時代の同級生という情報あり)

 

・「(娘は)訪問して会えなかった(安岡町の)友人とすれ違わないかと、(安岡町の公園からJR東舞鶴)駅の方角に歩いていったと思います。駅まで行って会えなかったら、そこから家に(車で)迎えに来てくれるように電話を入れたはず」(父親談)

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(舞鶴高専~安岡町、田中町あたりをクローズアップした図。舞鶴高専と安岡町の公園はおよそ1.5km離れている)

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(公園を上から見た図。ストリートビューが来てないので上からの図で。ブランコは公園の一番下、画像向かって右の隅にある)

 

 

舞鶴市高3女子殺人事件

舞鶴市高3女子殺人事件

(上が事件の約半年前、2001年4月の関連エリアの画像。下が2016年現在のグーグル地図で確認できる画像。水色の枠内あたりを比較してみると、公園から田中橋方面に向けて新谷さんが歩いたと想像されるルートについては、当時と今とで、著しく変わっているということはない様子)

 

 

舞鶴市高3女子殺人事件

舞鶴市高3女子殺人事件

(2001年11月5日~6日の舞鶴市、1時間ごとの天気の移り変わり。5日に新谷さんが舞鶴高専の学園祭に向け海洋高校を早退したのは午前10時半ごろ。それ以降、電車、バイク、徒歩などで市内を移動していた。肌寒い一日で、深夜から翌6日にかけて、そこそこ強い降雨があったことがわかる)

 

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(こちらは2001年11月、舞鶴市の1日ごとの天気の移り変わり。赤枠で囲んでいる部分が、行方不明になった日<5日>~遺体が発見された日<17日>。この期間、あたかも犯人を利するかのように雨が降り続いていたのが見て取れる。特に11月10日は土砂降りの雨であり、川の水もかなり増水したであろうことを考えると、殺害現場<血痕~足跡>の特定や河川中での遺留品の捜索には極めて不利な状況となったであろうことが想像される。)

 

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雨

(雨が降り続いた日々の後にようやく公開捜査となった)

 

 

失踪日(11月5日)の翌日以降の経緯など:

 

・11月6日、新谷茜さんの父親が「娘が昨日から帰ってこない」と舞鶴東警察署に捜索願を出したが、最初は家出人扱いとされた。

 

・茜さんと家族との関係は良好で、翌年には美容院への就職も決まっており、父親としては茜さんが家出する心当たりは全くなかったので失踪翌日直ちに捜索願という形だった。

 

・一方で、同じ年ごろで家出する若者は後を絶たないということから、警察は父親に対し、茜さんの事案についても「早くて1か月、遅ければ1年くらいしてからでないと対応できない」と言ったという。

 

・とはいえ警察は、11月5日の17時頃に茜さんが安岡町の友人宅を訪ね(友人不在)、その約30分後に隣接する田中町の路上を一人歩いていたことを(公開捜査前に)つかんでいたとのこと。

 

・11月17日に、舞鶴東署は公開捜査に踏み切った。

 

・公開捜査の初日、署員35名と警察犬で捜索を始めた1時間半後、田中町内にある田中橋の上流約50mの志楽川に若い女性の遺体がうつ伏せで浮いているのが発見された。(これだと発見したのは警察であるようにも思えるが、「朝の8時頃に犬の散歩に出たら、川の岸あたりに黒くて大きい物が浮いていた・・・誰かが布団か何かをそこに捨てたんだと思った・・・(近所の主婦)」←こういう情報もあり、散歩の主婦が発見して通報したかのようにも受け取れるが・・・。)

 

・遺体が発見された地点は、茜さんが最後に目撃された田中町の路上から約400m離れた地点。

 

・行方不明になってから12日が経過していた。遺体は府立海洋高校の制服姿であり、歯の治療痕などから新谷茜さんであると特定された。(「直接遺体を見たわけではないのでよくわからないが、歯型の確認をしているところをみると、遺体はかなり腐乱していたのではないかと思われる」by田宮榮一氏)
 

・11月18日に司法解剖。その結果、死因は首の刺し傷が気道に達して血液を肺に吸い込んだことによる窒息死と判明。

 

・衣服のボタンは取れていたものの、強姦された形跡はなかったとのこと。

 

・首や胸などに鋭利な刃物による傷が多数見つかった。(「首付近に切創、刺創などの傷が十か所以上あった」by田宮榮一氏)

 

・腕や手には刃物から身を守る際にできる防御創がなかった。

 

・傷はすべて、自分でもつけられる範囲にあった。

 

・傷の深さや幅、形状から、使用された刃物(凶器)は、刃が薄く、先端の尖った細長いもので、刃渡りも短いもの、具体的には、包丁ではなく、カッターナイフやハサミのようなものと考えられている。(つまり高校生が学用品として持ち歩いていてもおかしくないような刃物が想像された)

 

・首の後ろに、ためらい傷とも見える程度の傷があった。
 

・上の四つの事実を勘案し、警察は殺人の他に自殺の線も考慮し、舞鶴東署に設置された捜査本部には「舞鶴市田中町における殺人容疑事件」との「戒名」が掲げられた。(戒名 → 警察隠語で、捜査本部入口に掲げられる事件名のこと)

 

・『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』における塩見拓也氏のレポートによると、「しかし女性が自殺するケースで最も多いのが手首を切る行為である。それを初めから自分の首の後ろを切って死のうと思う女性などいるだろうか?」

 

・警察は、茜さんの遺体が発見された田中橋付近を中心に、志楽川の上流から下流にかけて広範囲で捜索を行った。

 

・川岸の草を刈り取り、金属探知機を導入して遺留品の捜索。水中の捜索には機動隊の応援も仰いで約30名の態勢をとり、ダイバーも多数動員された。

 

・その結果、遺体発見現場から約120m下流でポーチが、また遺体発見現場から上流約50mのところで通学電車の定期券と化粧用コンパクト、弁当用の金属製フォークがそれぞれ見つかった。

 

・捜索は舞鶴湾に近い志楽川の河口付近にまで広げられたが、手提げかばんや財布、鍵、キーホルダー、学生証、靴、マフラーなどの遺留品は見つからなかった。

 

・『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』における塩見拓也氏のレポートによると、「マフラーなどは枯草に引っかかって残っている可能性が高く、真っ先に発見されてもおかしくない。また鍵やキーホルダーなども、当初はそのまま流されずに川底にあるものと思われた。確かに茜さんが殺害された夜から翌日いっぱいにかけて強い雨が降り続き、志楽川は水量を増しながらかなりの速度で流れていたと考えられる。しかしなぜポーチや定期券が見つかってマフラーなどが発見されなかったのか?」との疑問を呈されたうえで、その裏には、自分の指紋が付いていそうな遺留品を持ち去り処分する等の、犯人による作為があったのではないか、との見方をされている。

 

・使用された刃物(凶器)は発見されず、殺害場所は特定されず。

 

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宝島社『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』における塩見拓也氏のレポートによると、新谷家での取材の後、路上で帰りのタクシーを待っている間に、野良着姿で近づいてきた茜さんの祖母から話を聞くことができたとのこと。

それによると祖母は、「事件当時は大変だったこと」「最近では警察から何の連絡もないこと」などをひとしきり話し、「大柄でスポーツもやっていた茜さんを殺害したのは複数の人間ではないかと思う」との見方を示した。(複数犯説)

(先の本が出版されたのは2003年11月23日なので、塩見氏による取材<祖母の証言>も2003年中であることが想像され、だとすると2001年11月の事件発生からおよそ1年半後には早くも「警察からは何の連絡もない」状態になっていたのかと思われる。)

また2003年のこの時点では、塩見氏によるレポートも「茜さんと同世代の複数犯による犯行ではないか」との内容となっている。

 

遺体が川の中にかなり長い間浸かっていたらしいことで(おそらくですが)、色々な事実についての正確なところが見えにくくなっているような気がするのですが、どうでしょうか。

仮にその正確なところの見えにくい「事実」をあえて前提として何かを推測してみるにしても、2016年11月現在の視点に立っている自分としてはどうしても「中勝美がやったのでは?」という結論ありきの方向に流されてしまい、あまり意味があるとも思えないので、それは止めておこうかなと。

 

ともあれこの事件に関し、素人的に集められる情報をなるべく集めて列挙してみました。

記憶の喚起~風化防止のために、そしてこの事件を考察してみようという方の参考のために、少しでもお役に立てていれば幸いかと。

 

舞鶴市高3女子殺人事件

(田中橋上流の遺体発見現場あたりを望む・・・塩見拓也氏のレポートによる。氏による取材がおそらく2003年中なのでこの写真も2003年当時のものかと。塩見氏によると志楽川の両サイドはこの写真のように枯草でびっしりと覆われていたとのこと)