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先日の記事のように、離婚から1年後に入籍して再婚しました。
まず大変なのは、また名前が変わることでした。医師免許、保険医の変更、すべての学会への変更届・・・保険証、年金、銀行など各種て手続き、病院の外来の名前などなど、2回も変更するとは思っておらず、大変でした。
それよりも、再婚夫との生活が、想像以上に大変でした😭
まず、料理です。前夫は、食事は食べれたらなんでもいいよ〜疲れていたら、レトルトでも外食でもいいよ🤗っていってくれるような超優しい人でした。
前夫は帰りが遅い私にかわって、注文した生協の品を適当に組み合わせて作ってくれていました。
ご飯を早くたべて、一緒にゲームして、風呂入ったら寝るって感じの楽な生活で、家ではもちろん超リラックスしていました。
ところが・・・今の夫は、
”レトルトなんてもってのほか”
”料理は1から作ってなんぼでしょ”
”家に帰ったらご飯できてるの当たり前” という超おぼっちゃまでした。
夫の前彼女が、家事全般が苦手だったそうで、料理教室に通ってもらっていたがダメで、とか話していてプレッシャーでした😭
夫の母親は完全な専業主婦、結婚してから働いたことはなく、子育てと家事に専念されていて、料理もお上手だったそうです。
でも、当時、私は夫より8歳年上、ということは、医師としてのキャリアも上です。
役職もあり、大学病院の業務は多忙でした。
研修医終わりたての夫とは全く生活が違ったのです。
夫は、研修医が終わって入局したばかりで仕事が慣れないので、時間がかかる上に、外ではいい人ぶる(職場で神、と言われていました。なんでもするので)ので、仕事から帰るのは遅い。
お互いフルタイムで仕事をしてもちろん、2人とも当直もあり、”1から料理して普通” というのはありえないくらい大変でした。
それでも、外勤の勤務の合間に、買い物をして一回家において、できるところまで作って、それからまた別の病院にいったり大学へ戻ったりしていました。
半年くらいは、なんとか頑張ってました。
でも、あまりに大変で、また夫が何もしなかった(今も同じですけど)のと、学位と専門医の準備がはじまり、とてもではないが、家事にそんな時間はさけるわけがない。
まして、夫は全く何もしない。
そして、共感能力、想像力が、無い。
当時、夫は入局したばかりで、緊張し疲れていて、もともと体が弱いこともあり、疲れ果ててかえってきて、私が苦労して作ったご飯も適当にたべて、先に寝ていました。
当時、ベッドに入ったあと ”あのひだまりみたいな前の夫がいる家に帰りたい” と思って、何度泣いたかしれません。
何回も何回も離婚したことを、後悔しました。
前夫の方が、なんでも許してくれて、優しくて、私を甘やかし放題だった、楽だった、と。
でもそれは、絶対に、前夫にも今の夫にも言ってはいけない。
いろんな意味で成長するために、前のぬるま湯生活から、極寒の地を自分で選んだのでした。
何度も何度も泣いて、歯を食いしばるようにして、日々を過ごし、我慢し、”これでよかったんだ、自分の決断は間違っていない、いつか心からよかったと思える日がくる"と、自分に言い聞かせていました。
再婚当初は、義母から、”すぐに妊活しろ” だの、ことあるごとに4人での食事に行かないといけなかったり、日々の生活も辛かったです。
そんなとき、仕事をしている時間だけが救いでした。”家事より仕事のほうが楽” そう思っていました。
愚痴を聞いてくれる看護師さんや、同僚女医さん、患者さん💓そんな人たちに救われながら、再婚後1年はすぎました。
1年をすぎたころ、ようやく、私も夫もやっと本音が話せるようになり、夫もいかに私が大変な仕事をしているか、分かったようで、料理についても無理をいわなくなりました。
自分が研修医ではなく、専門医として働き出していかに仕事が大変か、やっとわかった、と言っていました。
研修医は基本、お客さんなので、無理はいわれないし、責任は上級医がとりますが、いったん専門の医局に所属したら、その先は自分で責任をとらないといけないからです。
夫と私が出会ったとき、彼は研修医、私は指導医でしたので、全然理解できていなかったのでした。
こうして、相手を信じ、何より自分を信じ、そして、話し合いを諦めず、少しずつお互いを理解しあい、思いやることを夫も覚えてきました。
再婚して12年たった今、お互いが成長できる関係であり、また一番の親友であるようになりました。
相変わらず、家事方面では全く役に立たない夫ですが、優しい人ですし、最近では妻を楽させる日を設けてくれますし🤣、意見を交換することで、ちゃんと2人で前を向けるようになりました。
あの時、毎晩流した涙も無駄ではなかった、そう思います。