● 元不登校生が語る不登校の根本「生きづらさの土台」とは…③
こんにちは^^ 不登校カウンセラーの野田まどかです。
昨日の記事
の続きになります。
東洋経済ONLINE に紹介された
不登校経験者・楢崎唯さん(24歳)のインタビュー記事から考察させていただいています。
楢崎さんは、小学2年生の時に不登校になり、
通信制高校に通う年齢になっても、理由の分からない苦しさを感じて、
とても辛かったそうです。
その中で、楢崎さんが悩んでいたことは、学校に行けないということではなく、
その根本にある、「生き辛さの土台」だったのですね。
その「生き辛さの土台」について、インタビューの中でもお話しされていますので、
ご紹介させていただきますね。
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――ふり返って自分の不登校をどう思っていますか。
私にとって不登校は、人生のすべてではないんです。
つらかったのはたしかですが「人とうまくコミュニケーションできないこと」「自分ってなんだろう」というのがその大本です。
「学校に行けないこと」に悩んでいたわけではありません。
生きづらさが土台にあって、そのひとつの現象として、不登校になったのだと思います。
だから「不登校」というひとつの言葉だけで自分のことを集約したくないんです。
最近思うのですが、よく「教育の選択肢を増やそう」と言うじゃないですか。
たしかに選択肢は基本的にたくさんあるほうがいいと思います。
ただ、選択っていつでも誰でもできることじゃないと思うんです。
自分のなかにある「生きづらさの土台」、
私で言えば「いい子でいなきゃ」という思いや、他人と比べてしまうこと、
そういうところをなんとかしないと、行く場所が学校であれ、フリースクールであれ、つまずいちゃうんじゃないでしょうか。
だから選択肢を増やすだけではダメで、生きづらさを感じないですむ社会にしていかなきゃいけないと思います。
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――「生きづらさの土台」は、今もありますか。
いまも「生きづらさの土台」はあらゆる面で感じますが、昔よりはだいぶ楽になってきました。
最近、ようやく自分のことを、弱いところもひっくるめて受けいれられるようになった気がするんです。
今の社会はすごく「できる人」が求められているように思います。
明るい人のほうがいい、「コミュ力」が高いほうがいい、大人になったらこうなるべき、というふうに。
それに追いつかなきゃ、と必死になっていた時期もありました。
でも、なかなか上手くいきませんでした。なんどもなんども経験を重ねて、「これはもう受けいれてくしかないんだな」と、良い意味で諦めがついてきました。
それでも「ならっちのよいところは繊細なところだよね」と言ってくれる友人もいます。
それが私なんですよね。
だから社会の理想像とはちがうかもしれないけど、自分なりにできることを探しながら、私はへなちょこなままで生きていきたいと思います。
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楢崎さんも、世間で求められている 人並み、人並み以上を目指そうとして、
必死に頑張ってきたけれど、苦しんでこられました。
ダメな部分もある自分でもOKと受け入れることで、
ラクに生きられるようになって、前に進めるようになったのですね。
UMIでは、過去の辛かった出来事の書き換えをしながら、
ダメな部分があっても、どんな自分でもOKと受け入れていきます。
お子さん自身が、その作業をしなくても、
親御さんがどんな自分でもOKとなっていくと、
潜在意識の深い部分で繋がっているお子さんも、
ダメな部分がある自分でもOKと思えるようになっていきますよ。
今、現在の世の中の流れは、価値観が大きく変わっていく変化の過渡期でもあります。
変わってしまうかもしれない価値観に縛られるのではなく、
>だから社会の理想像とはちがうかもしれないけど、自分なりにできることを探しながら、私はへなちょこなままで生きていきたいと思います。
と楢崎さんが書かれているように、すこし肩の力を抜いて生きられると、
苦しい生き方から抜け出せるのかな…と思います。
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