権威や権威主義の否定なら通底するものはあるが、欲しいものは権威ある海外の賞 | Je Veux Vivre

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三島由紀夫が「大正から続く教養主義が嫌いで」と語り東大全共闘に対しては共感も示していた一方で、学生の方も思わず「三島先生」と「先生」呼びしてしまい、慌てて否定しつつ「東大教師よりはまだいい」とウィットに富んだ釈明で場を和ませていた場面。

 

 

全共闘は私の親よりも上の世代の方々だが、一言で言えば既存の体制・権威・権威主義との闘いを掲げていた世代。

 

ichibanと歌ったり上の世代や過去の作品を否定したりするのも、こうした権威や権威主義を否定したいという主義主張や信念から来るならばそのメッセージも理解できるが、一方でこのグループが口にしているのは海外でも権威のあるとされるアメリカのグラミー賞。つまり、主義主張や信念などどこにもなく欲しいのは単に名声や知名度、人気と言い換えればよいだろうか。

 

 

そうであるからこそ、次々と出てくるものは

 

・グラミー賞受賞何回の誰それ

・BTSの振り付けも手掛けた世界的に有名な振付師の誰それ×2

 

というものばかりなのではないか。

 

 

 

 

 

 

世界で売れている・流行っているものをファーストファッションを身に着けるような気軽さで取り上げ、人気者・流行ものにあやかれば売れる、知名度が上がる、世界進出できる、というものでもないだろう。

 

 

 

 

 

三島と全共闘に話を戻すと、両者は敵対して論戦を戦わせていたとは言え、全共闘側は三島を思わず「先生」呼びしてしまったり、三島の煙草に火をつけたりと根底に相手への敬意はある。単に無知から来る失礼なだけの言動とは最初から話も違う。そのことにいつか自分自身で気づくのだろうか。