Je Veux Vivre

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女性への暴力の根絶という現代の啓発意識によって、ジョルジュ・ビゼーのオペラ『カルメン』の結末を変更するという新しい演出を生み出す動きがこれまでにあったことは前回述べた。だがその一方で、『カルメン』の物語の暴力的な結末さえをも美しいコリオグラフィーによって芸術として昇華されていると思わせるものがあるのが、ローラン・プティ(Roland Petit)による『カルメン』(1949)だ。

 

周知の通り、プティは20世紀を代表するフランスの振付家の一人だ。パリ・オペラ座を退団後、バレエ・デ・シャンゼリゼの次に立ち上げたバレエ・ド・パリのために振付けたのがこの『カルメン』で、第二次世界大戦終結直後の1946年にコクトーの台本をもとに発表した『若者と死』("Le Jeune Homme et La Mort")と共に高い評価を受け、プティは時代の寵児の名をほしいままにする。

 

初演のロンドン公演では、公私共にプティのパートナーであるジジ・ジャンメール(Zizi Jeanmaire)がカルメンを、プティがドン・ホセを踊り、センセーショナルな話題を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

プティの多くの作品がジジ・ジャンメールをミューズとして振付られたのはあまりにも有名だが、カルメン役のジジの黒髪のショート・ヘアもまた非常にアイコニックだ。

 

さて、プティの『カルメン』終幕の「カルメン殺し」は文字通りプティ版『カルメン』のクライマックスとも言える見せ場だ。ビゼーによる『カルメン』のプレリュードの音楽と共に群衆が舞台袖にはけると、二人が対峙し、ホセがカルメンのヴェールをあげる。二人の対決が始まる瞬間だ。

 

 

プティの踊り手として名高いパリ・オペラ座のビュリョン×アルビッソン

 

 

 

プレリュードの旋律が鳴り止むと静寂の中で打楽器が連打され、いよいよカルメンとホセの決闘の踊りが始まる。この打楽器の連打が次第に強く大きく劇場に鳴り響いていくさまは二人の心臓の鼓動のようにも感じられ、こちらにまで緊張感がひしひしと伝わってくる。張りつめた空間において始終ホセが見せている険しい表情とは対照的に、カルメンが度々見せる挑発的とも言える不敵な笑みは、まさにホセを自在に操る≪ファム・ファタール≫(femme fatale)たる女性を表現するかのようだ。

 

そのカルメンの挑発に乗るかのようにホセが隠し持っていたナイフを出して振り翳す瞬間は、まさに見ている側も心臓が止まりそうになる劇的な瞬間だ。だが、カード占いによって自らの死の運命を悟っていたカルメンは、振り翳されたナイフに動じることも怯むこともない。

 

そして、カルメンが自らの宿命に身を任せるがごとくナイフを持ったホセの胸元に飛び込むクライマックス。カルメンが飛び込むと同時に打楽器は鳴り止み、再びプレリュードの旋律が流れるとカルメンは痙攣しそのまま息絶える。自らの手によってカルメンの命を終わらせたホセは慟哭し、呆然とする。この時にホセがカルメンとの美しい時間を思い出すかのように、第二幕でカルメンが蠱惑的に踊るシーンで使われた音楽が流れる。

 

 

アルビッソンがコケティッシュだが上品で美しいカルメンを演じている。ホセが脳裡に思い浮かべるのはこの時のカルメンだ。

 

 

 

パリ・オペラ座でエトワールのビュリョンがホセを演じる『カルメン』を鑑賞した際は、この終幕はホセの葛藤と苦悩があまりに哀しく美しく表現されており、文字通り息をすることも忘れるほど見入ることしかできないほどの迫力で緊張の連続だった。まるで闘牛士のごとく自らも命がけでカルメンと全身全霊で対峙するホセ。カルメンの人生を自らの手で終わらせてしまったことへの後悔と≪ファム・ファタール≫に対する抗うことのできない自らの「宿命」への哀しさ、カルメンへの狂おしいほどの愛情。人間の哀しさや弱さ、愚かさ、また人間の「宿命」の残酷さがブリョン演じるホセの全身と表情に凝縮されていた。この「カルメン殺し」のクライマックスは、プティのコリオグラフィーによって現代で言うところのセクシュアル・バイオレンスやストーカー殺人という一言では表現しきれない男女の心の襞が表現され、芸術として昇華されていると感じられた空間だった。