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Je Veux Vivre

Je veux vivre
Dans ce rêve qui m'enivre

オペラの作品に見られるセクシズムやレイシズムの問題についてはそれを専門とされる方々も存在するほど奥深いテーマだ。悲劇・喜劇を問わず作品には女性に対する差別や偏見、暴力、また人種差別が内在化されており、それをめぐる議論は日々アップデートされている。150年ほど前の時代に生きた作者―そのほとんどが男性である―が手掛けた作品ならば、時代の制約もあって現代から見るとセクシズムやレイシズムが色濃く反映されていることが多いのも当然だろう。

 

オペラの作品におけるセクシズムやレイシズムについてのテーマは膨大なディスカッションがあるので一言で語ることのできる内容ではないが、今回はジョルジュ・ビゼー『カルメン』の新演出を手掛かりにオペラにおけるセクシュアル・バイオレンスについて考えてみたい。

 

パリのオペラ=コミック座で1875年に初演されたビゼーのオペラ『カルメン』は、周知の通りプロスペル・メリメ(Prosper Mérimée)の小説をオペラ化したもので、舞台は19世紀のスペイン、自由奔放なジプシーの女・カルメンと連隊の伍長ドン・ホセをめぐる愛憎を描いた作品だ。束縛を嫌い自由を求める主人公カルメンは、嫉妬に狂ったドン・ホセに殺されてしまうという顛末を迎える。


余談だが、『カルメン』で大好きなアリアのひとつはドン・ホセの歌うLa Fleur que tu m'avais jétée。恋に溺れて理性を失うドン・ホセ役はフランス出身のロベルト・アラーニャが絶品だ。美しいフランス語も堪能することができ、やはりフランス・オペラは最高!と思わずにはいられない。

 

ロベルト・アラーニャ&ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

 

 

 

さて、セクシュアル・バイオレンスまた女性への暴力という観点からオペラ『カルメン』で問題となるのが、失恋で我を失ったドン・ホセが嫉妬から女性であるカルメンを殺めてしまうという結末だ。現代で言うところのドメスティック・バイオレンスまたストーカー殺人の最たる例で、このような結末の作品を上演することは社会的にもモラル的にもふさわしくないというわけだ。


恋人や女性家族を殺すことは歴史的に見て珍しいことではなく、実のところ、驚くべきことにフランスにおいては1975年まではcrime passionnel と呼ばれる 嫉妬や怒りという激情による殺人は、それが計画的ではないことを証明することができれば法律的に許容されるものであった。

 

 

 

そうした中、時代の意識の変化と共に『カルメン』の新しい演出を生み出そうという動きが出てきた。イタリアの演出家レオ・ムスカートの新演出(2018)ではカルメンは従来のようにドン・ホセによって殺されるのではなく、銃を持ってドン・ホセを撃つという「現代的な結末」にするという試みである。

 

 

 

 

 

私はもともとオーソドックス・正統的な演出と解釈を好むのだが、オペラの作品を現代に息づくアート・フォームにするためにはこうした試みも重要であることは確かだと思う。

 

先日はプッチーニの『トスカ』におけるトスカの弱さ愚かさについて書いたが、今後も折に触れてオペラやバレエの作品におけるセクシズムやレイシズムのテーマについて考えていきたい。