愛する皆さまへ
昨日の宮崎地震…南海トラフ地震との関連性…
不安が募る2024年8月9日が明けました。
被災された地域の皆さまの御心痛は如何ばかりでしょう。
すべての必要が満たされ守られますよう祈ります。
長崎忌、8月9日11時2分。心鎮めてこの時を待ちます。
今年の式典は物議を醸しつつの開催となりました。国際政治的立場の違いが障害となり、共に平和を祈る事が出来ないとのこと。紛争や対立に関して政治的な立場はそれぞれ違うとしても、原子爆弾が使用されない世界を望む祈りは地球人の多くが共有できるはずではないのかと疑問です。一致できるところから始められたら良いのに…私のような小さき者はそんな風に考えます。
今年も、広島忌に続き、被爆マリアの記事を掲載いたします。毎年この記事をお読みくださるあなたに深く感謝申し上げます。幾度でも繰り返し、お伝えしてゆこうと思います。今年はじめてこの記事をお読みくださるあなたと来年もまた8月9日にここでご一緒に祈りの日を共にできますように。
2024年8月9日 スノウ
【 被爆マリア 】
その朝
教会へと向かう石畳の道には
許しの秘跡を求めて
坂をゆく信徒たちの下駄の音が響いた
その午後
教会から帰るはずの石畳の坂に
もう下駄音は響かなかった
一瞬にして天に召された下駄音の主ら
彼らは何も知らずに死んだだろう
それでも総てを許しただろう
己が罪をも知るがゆえ
許されて在った自分を知るがゆえ
浦上天主堂
被爆マリアの焼けただれた御顔に残るのは
人間を知り尽して尚
失われなかった微かな頬笑み
そして聖母は遥かな天を見上げる
幾度 悔い
幾度 許されても
過ち続ける人間の性
その生臭い息が
今日もマリアの御顔を被爆しつづけて
8月9日の長崎に祈りの声は響く
(長崎浦上天主堂 被爆マリア像)
コラム 【受け継がれる風景より~マリア像の数奇な運命」 文章:河村規子氏
1914年、東洋一といわれた浦上教会が完成したとき、正面祭壇の最上段にはイタリアから送られてきた高さ2mの木製のマリア像があった。ムリーリョの傑作「無原罪のお宿り」の絵画(マドリッドのプラド美術館に現存)をモデルに制作されたと伝えられ、両眼には青いガラス玉、水色の衣をまとい、頭の周りを12の星が取り巻く美しい像であった。
しかし、浦上教会は原爆により壊滅。
マリア像も教会とともに焼失したと思われていたが、戦後、焼け跡をたずねた浦上出身の神父によってマリア像の頭の部分だけが発見された。その後、発見した神父がマリア像を大切に保管していたが、被爆30周年の年にキリシタン研究家である片岡弥吉氏の手を通じて浦上教会に返された。
現在、マリア像は、浦上天主堂の一角につくられた小聖堂に静かに安置されている。祭壇に描かれた「平和」の文字は、浦上キリシタンが迫害時に縛られて見せしめにされた柿の木の根っこを使用して書いたものである。
傷ついたマリア像は、身をもって戦争の恐ろしさ、原爆の脅威を訴え続けている。平和の使者として1985年にバチカンで展示されたほか、2000年には旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被害地で、2010年被爆65年ではバチカン、スペイン両国で展示された。
★長崎と天草地方のキリスト教関連歴史遺産群ウェブサイト
http://oratio.jp/p_column/mariazo-sukinaunmei
★被爆マリアの被爆前の画像を入手しました。
ご覧くださいませ。