テリー・ギリアムの『Dr.パルナサスの鏡』 博士と悪魔の林檎たち | シネマの万華鏡

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相変わらず仕事のために外出が必要なので美容院にも行かなきゃどうしようもないんですが、なんと行きつけのお店が緊急事態宣言以降休業に。美容院は自粛要請されている業種ではないけれど、皆さん外出できないことでお客さんが激減したことも影響してるのかもしれません。先月行った時に美容師さんが、普通なら卒業式や入学式で忙しい季節なのに今年はお客さんが少ないとぼやいてましたしね・・・しかたなく別の美容院を探して行ってみたはいいけれど、いつもよりだいぶ高くついてしまいました(泣)それに、やっぱりいつもの人が安心。

店舗休業はコロナ感染が沈静化しない以上仕方がないこと・・・でも、休業中も相変わらず家賃は出ていくし、従業員にも給料は支払わなきゃならない。そんな状態に長く耐えられるところは少ないと思うんですよね。

5月6日以降お店が再開できることを祈る気持ちです。

 

さて、外出自粛のお供にAmazon PrimeやNetflixなど配信で観られる作品で面白かったものをピックアップするコーナー始めました。アマプラはできるだけ会員無料の作品を(笑)

今日の作品はテリー・ギリアム監督『Dr.パルナサスの鏡』(2009年)。

テリー・ギリアムの作品は、今アマプラでわりと充実しています。『12モンキーズ』・『未来世紀ブラジル』はじめ今日現在テリギリ作品8作が観られるみたいですよ。

 

 

あらすじ(ネタバレ)

(パルナサス博士の娘で一座の花形のヴァレンティナ)

 

ロンドンの街角に移動劇場を開き、人々を鏡の中の別世界に誘う見せものを演じるパルナサス博士(クリストファー・プラマー)の一座。博士の娘のヴァレンティナ(リリー・コール)は一座の花形、そのほか小人のパーシー(ヴァーン・トロイヤー)に、ヴァレンティナに恋する道化役のアントン(アンドリュー・ガーフィールド)が一座の盛り上げ役です。

実は博士の年齢はとうに1000歳以上。昔彼が僧院で世界を動かす物語を紡いでいた頃、悪魔(トム・ウエイツ)が現れて、悪魔との「先に12人弟子を集めたほうが勝ち」という賭けに勝った博士は永遠の命を手に入れたのです。しかしこれは悪魔のワナで、永遠の命など地獄そのものだった・・・と博士は嘆いています。

かつて1000歳を過ぎた頃、博士は或る女性に恋をした。そして彼女を手に入れたいばかりに悪魔と再び取引し、若さを取り戻して彼女との間に子供を得ます。それが娘のヴァレンティナ。しかし悪魔との取引の際、博士は娘が16歳になったら悪魔に娘を渡すと約束してしまっていたんです。

ヴァレンティナの16歳の誕生日の直前に約束通り博士の前に現れた悪魔。意外なことに、悪魔はもう一度賭けを持ちかけてきます。今度は先に5人集めたほうが勝ち、もし博士が勝てば娘は自由にすると。

一方、丁度その頃ヴァレンティナたちは橋桁で首を吊っている男アンソニー・シェパードことトニー(ヒース・レジャー)を助けます。死んだかに見えたトニーは息を吹き返すんですが、その時博士のタロット占いで出たカードが「逆さ吊りの男」。この男に出会ったことは何かの意味がある、と感じた博士は、トニーが悪魔との賭けに勝つための救世主になってくれることを期待するのですが・・・

 

ヒース・レジャー遺作

現実世界と鏡の中の仮想世界とが交錯する中でストーリー展開していく形式、しかも現実世界はかなりファンタジー調で仮想世界との境目はとても曖昧。まさにテリー・ギリアムの「いつものやつ」。つまり、テリー・ギリアム好きはハマらないはずがないってことです。

 

本作はあのヒース・レジャーの遺作になった作品でもあるんですよね。。。

突然の死、しかもこの作品の撮影の途中での出来事ということで、撮影スタッフやキャストのショック・混乱はものすごく大きかったんじゃないでしょうか。

撮影中止という選択肢もありえる中でテリー・ギリアムが選んだのは、ヒースの出演シーンを活かした形で完成させること。急遽「鏡の中の世界に入ると顔も変わる」という設定を加え、鏡の中のトニーをジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が演じるという異例の構成で完成にこぎつけています。

ジョニデ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルという人選も単にスケジュールに空きがあった俳優ということではなくヒース・レジャーと交流があり彼をよく知る俳優が選ばれたのだとか。彼らの収入はすべて父親を失ったヒース・レジャーの遺児が受け取れるようにしたのだそうです。

 

 凝りに凝ったディテールとキャラ立ちが真骨頂

(パルナサス博士と悪魔のニック。ニックが誘い上手だからなのか、博士は悪魔の誘いに弱い)

 

テリー・ギリアムの作品ってファンが多いですよね。私も大好きです。

独特の世界観がたまらない。シニカルかつユーモラスなテイスト、それにあの作り込んだ箱庭感も。テリギリのこだわりをごっちゃりと贅沢に詰め込んだ小道具や、キャラと一体になってぐいぐい主張してくる衣装たちを眺めているだけで、幸せな時間に浸れます。

本作では鏡の中の世界がクロード・モネやグラント・ウッド、マックスフィールド・パリッシュなどの名画のオマージュになっていて、名画探しもお楽しみ。

 

(鏡の中の世界にグラント・ウッドのこの作品に似た風景が現れる場面も)

 

毎度キャストの個性が余すところなく活かされてるのは、アテ書きの比重が大きいからなんでしょうか?

本作のクリストファー・プラマー演じるパルナサス博士とヴァーン・トロイヤー演じるパーシーの掛け算も最高。クリストファー・プラマーだけでは正統派感が強くて面白みが欠ける印象になってしまうところ、さながらゲゲゲの鬼太郎と目玉親父みたいなパーシーとの大小ニコイチ関係によって可笑しみが膨らむし、2人の会話を通じて博士の心理がリズミカルに引き出されていくのが心地いい。

 

もう1人、脇役ながらいい味出しているのが、アントン役のアンドリュー・ガーフィールド。

 

(太った女に扮したアンドリュー・ガーフィールドが林檎の山の上に寝転がって林檎をかじってる、ただそれだけで画面が哲学的に!)

 

アンドリュー・ガーフィールドのキュッとした小顔には女装も似合う!本作の女装シーン、ナイスです。

彼が太った女に扮して林檎の山の上で寝転がって林檎を齧る絵は、まるでタロットカードみたいに寓意的でドラマティカル。罪をかじり続ける人間の本質を表現しているんでしょうが、このおかしみと絵ヅラのセンス! 超ハンサムなのに何故かあぶれ役が似合うアンドリュー・ガーフィールドの個性がまるごと活かされてもいて、こういうところがテリギリ作品のこたえられない魅力なんですよね。

 

トム・ウエイツ演じる悪魔キャラ・ニックのいやらし~く博士を誘惑してくる表情、それでいて憎めない存在感はもうさすがとしか言えません。こうもり傘さしてちっちゃな雲に乗って去っていく姿も可愛らしくさえあって、あんな悪魔なら何度でも会いたい!!と思ってしまいます。

 

とにかくディテールの妙味が怒涛の勢いで押し寄せるテリギリワールド、最高です。逆にストーリーのほうは掴みにくいのが、これもテリギリ作品らしさ。ディテールを眺めるだけで十分楽しいから、ついつい全体像は気にせずに観てしまうのが常なんですが、ただ、「木を見て森を見ず」な芯のない作品なのかというと、そういうわけでもないんですよね。

今回は敢えてこの作品のテーマも少し考えてみました。

 

煩悩まみれの博士とエセ救世主

そもそもパルナサス博士は何者なのか。

パルナサスというのはギリシャにある神話の舞台。また、「12人の弟子を先に集めたほうが云々」という悪魔との賭けの内容に着目すると、博士はキリスト?とも思えるのですが、その後の「運命の女性に恋をして彼女を手に入れるため悪魔と取引して若返る」というあたりは限りなく『ファウスト』のファウスト博士とメフィストフェレスの取引を彷彿とさせます。

聖人として暮らしていたかと思えば永遠の命をほしがり、実際にそれを手に入れてみると永遠に生きながらえることもまた苦しみであることを思い知り、そうかと思えば恋をして若さを手に入れるために性懲りもなくまた悪魔と取引をする・・・ファウストがそうであるように、煩悩に翻弄される人間そのもののような老人ですよね。

パルナサス博士は鏡の中の世界で人を感化する力を持っているようだし、その意味で一種の宗教家でもあるのだろうと思いますが、その実その力はかなり胡散臭いものでもあって、どちらかと言えば何か特別なパワーを持った人間という側面よりは、原罪から逃れられない存在という一面のほうが本作がフィーチャーしている博士の本質のような気がします。

 

一方、パルナサス博士の娘ヴァレンティナが悪魔に奪われようとする時に現れるトニーは?

テリー・ギリアムはトニーが白いスーツで現れるのは、彼がホワイトナイト、いわゆる白馬の騎士だからだと説明しているようです。(この言い方、ヒースがジョーカーを演じた『ダークナイト』を意識してる?)物語の流れから言えば、ヴァレンティナを救う騎士というだけでなく、もっと広い意味での「救世主」かもしれません。

ところが、トニーは救世主どころか、慈善事業家を装ったペテン師。彼もまた胡散臭くて、頼りになるどころか信じたばかりに逆にひどい目に遭わされる。このとことんうまくいかないところがこの作品のほろ苦さであり面白いところです。

 

トニーに関してもう1つ面白いのが、彼の登場がタロット占いの「吊られた男」とリンクしていることです。

 

(ライダー版タロットカードの「吊るされた男」)

 

吊られた男のカードはタロットの12番目の札。大アルカナの22枚の札の中でも読み方の解釈が分かれる1枚です。男をキリストと見る説も、キリストを裏切ったユダだと見る説もあり、男の捉え方によってカードの意味も「自己犠牲」と見るか「私欲のための裏切り」と見るか分かれるようなんですよね。

見ようによって真逆の意味を持つこのカードは、まさに表の顔と裏の顔を持つトニーに重なり合います。そして、ピンチの時に救世主が現れるという淡い期待を抱くこと自体の危うさもこの物語の向こう側に暗示されているようにも・・・

 

結局、この世に救い主などいない。逆に、悪魔も必ずしも極悪非道なばかりじゃない。そんな中で博士は罪にまみれながらも生きていく・・・壮大なファンタジーの末に最後はリアルな人間の真理へと収束する物語。

トニーの額に描かれた三角形の意味は不明ですが、おそらく最後に博士が悪魔のニックに言った「この世に黒魔術などない、安っぽいトリックがあるだけだ」という言葉につながる何らかの意味を含んだ記号なんでしょう。

 

この作品でキーアイテムになっているタロットカードにはさまざまな種類があり、中には黒魔術や錬金術などの要素を盛り込んだものも。タロットに限らず、本作では占いや宗教・愛などさまざまな人間の抱く幻想を、シニカルに、それでいてなんとも魅惑的に描き出しています。

半ばまやかしと思いつつ奇跡や魔法に惹かれ続ける人々・・・もしかしたらパルナサス博士の鏡とは人間の鏡そのものなのかもしれないですね。

(実は私もタロット好きです♪)