『ミッドサマー』 儀式仕立ての不条理ホラー(ネタバレ) | シネマの万華鏡

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映画記事は基本的にネタバレしていますので閲覧の際はご注意ください。

 

後日追記:こちらは事前情報を入れずに書いたため、メイポール・ルーン文字などについて不十分な解釈になっています。別途補足したディレクターズカット版の感想と併せてご覧いただけたらと思います。

 

新型コロナウィルス騒動で人混みはできるだけ避けたくて、最近映画館は吉祥寺オデヲンをよく利用しています。

一番のポイントは「ほどよく空いてる」ってことなんですが、駅から1分、雨の日でも殆ど濡れずに行けるし、料金が1,800円据え置きというのも嬉しい!穴場でした。同じく吉祥寺駅前にあるアップリンク吉祥寺ともどもわりといいことずくめなので、今後も定番にしようと思っています。

 

この作品も吉祥寺オデヲンで鑑賞。もう予告を観た瞬間からすごく気になってました。

『ヘレディタリー/継承』のアリ・アスター✕A24の新作。

同じアリ・アスターの『ヘレディタリー/継承』もトレイラーがすごく印象的だったんですが、今回もまたぐいぐい来ますね。理屈抜きで映像が脳裏に焼き付いて、速攻で脳内の観たい映画リストに書き込まれる感覚。

本編も期待を裏切らないとんでもなさでした。

これはヤバい作品です。ああヤバい・・・

 

あらすじ(ネタバレ)

或る冬。医学生のダニー(フローレンス・ピュー)は、最近彼氏のクリスチャンの心が離れていると感じています。現にクリスチャン(ジャック・レイナー)は頻繁にかかってくる彼女からの電話にうんざりしていて、彼の友人たちも別れることを勧めてる。

ところが、ダニーの双極性障害の妹が両親を巻き添えにして自殺、精神的に参っているダニーにクリスチャンは別れを切り出せず、ズルズルと夏休みを迎えます。

休暇を利用して、ダニーとクリスチャンは、クリスチャンの友人・ペレの招待で、彼の故郷であるスウェーデンの村へ。この村は一般社会から隔絶した森の奥に暮らすカルト的コミュニティで、一様に白い服を着た老若男女が自然の中で暮らしています。

当初ダニーは誘われておらず、クリスチャンと彼の友人2人が招待されていたのですが、カンのいいダニーはこれを機会にクリスチャンが自分から離れたがっていることに気づいてしまい、仕方なくクリスチャンが彼女も誘ったといういきさつ。現地でも微妙な関係が続きます。

そんな中で、彼らはコミュニティが90年に1度9日間行うという「夏至祭」に参加することになるのですが、この祭りの内容というのが、終始異様で、ダニーたちにとっては常軌を逸したもの。そうこうするうちに、村の禁忌に触れた仲間たちが1人、また1人と姿を消していき・・・

 

アリ・アスターは「これは失恋の物語だ」と言っているらしいですが、それだけなわけがありません。インタビューの中で彼が「複数のレイヤーが機能する作品が好き」と話している()とおり、いろんな文脈を織り交ぜた、きわめて多重的な構造を持つ物語だと思います。

 

こんな儀式を完成させたアリ・アスターが怖い!

正直個々のパーツは結構定番だったりするんです。

例えば、ダニーたち一行が乗った車が村に向かう途上を俯瞰から映し出したシーンで、おもむろにアングルが上下ひっくり返る場面。上下が完全に逆転した時点で、村の入り口であることを示す横断幕が映り、この村が異世界であることを暗示しています。こういう「予兆」の見せ方はわりと定番ですよね。

「90年に1度」「9日間」「9人」と、「9」という数字に何度も出会う不気味さ、カルト集団という素材も、仲間たちがコミュニティの禁忌に触れて1人ずつ消えていくという流れも、ありがち。本当はコワい人々が、美しい満面の笑顔で迎えてくれる・・・という「笑顔が怖い」「明るさが怖い」的な見せ方も、もはや使い古されている気がします。

 

でも、本作にはそういう使い古された要素に新鮮さを取り戻させる仕掛けがあります。

それは、スウェーデン・パートの序盤から始まる「儀式仕立て」とも呼べる構成。そしてその儀式を盛り上げる、コミュニティのバイブルとも言える数々の壁画!これがまたえも言われず不気味なんですよね。

 

 

世にも奇妙な儀式や習慣を滑稽さたっぷりに見せていくという手法は、私の大好きなヨルゴス・ランティモスの得意技でもあります。実際かなりランティモス作品を彷彿とさせる場面もあるんですが、本作がランティモス作品を圧倒しているのは「本気の儀式進行」

明日からでもカルト集団を創設できそうなくらいに細部まで作り込まれた儀式と壁画の気持ち悪さもさることながら、淡々と儀式を映し出していく時間軸の長さには、それに一層の異様さをまぶしかける効果が。

儀式シーンが長ければ長いほど洗脳度合いのゆるぎなさが強烈に浮かび上がってきて、その光景の異様さが既視感を全て洗い流していくんです。

こんな異様で滑稽な儀式を冷静に構築し、しかもそれを粛々と執り行って映像におさめたアリ・アスター、真面目に頭の中を覗いてみてくなります。

 

予告どおりに事が運ぶ不気味さ

この物語の不気味さを盛り上げる仕掛けはほかにも用意されています。しかも、実に巧妙と言うほかないんですが、これは「観客にもう一度本作を観たくさせるための仕掛け」でもあります。

実は物語の冒頭に、1枚の絵が登場します。(これは大きなネタバレですので、観た方のみご覧ください。)

 

ここから大きなネタバレです!!!

 

 

 

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この絵、実はこの作品のストーリーを全部予告しています。この絵を、いつ、誰が何の目的で描いたものなのか、全く作品内では触れられないのですが、ペレは絵を描くのが得意らしいので、ペレの描いたものかもしれません。左から2番目のパートには、ダニーらしき泣いている女性となぐさめる男(たぶんクリスチャン)を木の上から眺めるペレに似た男が描かれています。

もしペレが描いたものだとしたら、一連の出来事は実は絵の左端に描かれているダニーの家族の死からすでにペレ(と彼のバックにいるコミュニティ)が仕組んだもの・・・とも考えられます。

 

でも、そうなるとここはどう説明されるのか?と疑問が残る部分もあります。

ペレはダニーをスウェーデンに誘ってない。彼女を誘ったのはクリスチャンなんです。それも嫌々・・・

それに、ダニーの寝室にも一連の出来事に絡んだ絵があるというのも謎。それも、この物語で大きな要素になっている「熊」と少女(妖精?)が描かれた絵。上の「予告絵」の中にも熊がいますね。

つまりダニーかクリスチャンしか知り得ない場所にある絵もコトの顛末に絡んでいるんです。

 

さらに、ダニーの精神状態も謎を掻き立てます。

ペレが両親の死の話題に触れた時、彼女は動揺して不安定になり、トイレに駆け込みますが、彼女が叫び出しそうになった途端に画面が切り替わり、彼女はスウェーデン行きの飛行機の機内にいます。この飛び方、まるで彼女が錯乱状態の中でスウェーデン行きを妄想しているかのようです。

ダニーはクリスチャンには「妹は双極性障害」だったと言っていますが、ダニー自身も抗不安薬や睡眠薬を常用しているし、担当カウンセラーにも付いてもらっている状態。もしかしたらダニー自身がかなり精神不安定である可能性が、映像の端々に示唆されています。

そしてどうやら妹の自殺の原因が父親との近親相姦?(父親と妹が同じベッドにいる映像が一瞬入るんですが、違っていたらごめんなさい)にあるらしいことも・・・

近親相姦は例のコミュニティでも行われていて、これもダニーとコミュニティを結ぶ要素なんですよね。

ダメ押しは、コミュニティの儀式終盤で、ダニーが母親を見かけること。

 

一体何故ダニーに起きた出来事とコミュニティの特性、コミュニティの壁画に描かれたクマまでが彼女に関連しているのか? 何故彼女が錯乱しそうになった途端、映像は途切れてスウェーデン行きの飛行機に飛んだのか?

そういう流れで考えると、まるで全てはダニーの妄想のようにも見えてきます。(いろいろとグロテスクな人体が登場しますが、彼女は医学生だから、そういうものも見たことがあるはず、ならば妄想に取り入れることは可能です。)

実際、コミュニティでは実にダニーに都合のいい出来事が起きていきます。彼女を嫌っていたクリスチャンの友人たちが重い罰を受け、クリスチャンへの罰も自ら選ぶことができて、彼への未練も断ち切ることができた。そして新しい王子が現れ、新しい家族も見つかった・・・

ダニーが妄想の中であの残虐な出来事すべてを行ったのだとしたら、それもまたホラーです。

女の復讐、怖いですね。家族を失い恋人を失ったダニーの心の傷がこの一連の出来事で癒えたらしいことも、おぞましさを倍増させています。

 

さまざまな生殖の象徴と男性の去勢恐怖・女たちの怨念

この作品の不気味さを象徴する格好の絵を作り上げているもののひとつが、夏至祭のシンボルになっているこの↓矢印型のポール。

 

 

もともと磔の処刑具である十字架に首つり縄をくっつけたような形がいかにも不気味だし、ポールを囲んで踊る女たちの真っ白な装束も異様さを際立たせているんですが、このポールの形、矢印+〇が2つって、〇の位置は違えど男根にも見えますよね。

そもそも夏至祭が豊穣を祈る祭りであるらしいことは他の儀式からも明らかで、だとすればこれが男根であっても少しもおかしくはないし、女たちがそれを囲んで踊ることも、女たちが花=女性器のシンボルを身につけていることも納得できます。

 

2つの〇はもうひとう「眼」も連想させますが、これも犠牲になったサイモンが眼を潰されて眼窩に花を突っ込まれていたことにつながっています。

フロイトはオイディプス王の物語などを例に挙げて、「眼球喪失の不安は去勢コンプレックスと関連している」と書いています(『不気味なもの』(1919年))が、もしその説をアリ・アスターが知っていたとしたら、この〇は「眼」である可能性もあります。

下の黄色い館の壁にも、潰された眼を象徴するかのような丸い記号が描かれていますよね。

 

 

このコミュニティでは、女が男を選び、選ばれた男は生殖に利用されるだけの存在。その後どうなるのか・・・去勢のイメージをチラつかせながら不穏さを煽る仕掛けです。(クリスチャンもコトに及ぶ前にすでに精神的に去勢されていた感じでしたね)

 

序盤のクリスチャンたちの会話の中で、「スウェーデンの女性に美人が多いのは、ヴァイキングが世界中から美女を集めてきたから」だというやりとりがありましたが、まるで戦利品のように集められてきた女たちの怨念の集積を感じさせる儀式でもありました。(「結婚する」と幸せそうだったコニーが犠牲になったことも含めて。)

 

一番見たくない人間の一面を見せられる不快感

(花は摘まれるものだなんて思ったら大間違い。怖いお花もありますの。)

 

しかし何よりもイヤ~な気分にさせてくれるのは、私たちが普段直視することを避けている問題を、無理やり眼をこじあけて見せるような突き付け方。

高齢化社会の選択死問題や、近親相姦や、生贄の儀式の意味や、人が人の不幸に癒される現実や・・・そんな人間の嫌な部分をこれでもかと詰め込んでぶちまけられる不快感にゆっさゆっさ揺さぶられます。

でも、どれも驚くほど真理を突いていて、不快だからと切り捨てられないものが。

「クリスチャン」も含めて、罰を受けるコミュニティ外部の男たちが皆新旧の聖書に出てくる人物の名前(ジョシュ・マーク・サイモン)だというのも、よくある名前だし偶然と言えばそれまでですが、意図があるとしたらなかなか大胆不敵です。

 

どっぷりエンタメではあるものの、内容のきわどさは限度ギリギリか敷居を超えるところまでいってる気がします。好き嫌いはともかく、とにかく振り切った作品であることは間違いありません。

どう考えても単館系に思える本作が100館以上という規模で上映されることにも驚いています。

今年のアカデミー賞主要部門をさらった『パラサイト 半地下の家族』もかなり振り切った作品でしたが、これも映画の新しい潮流なんでしょうか?

 

そうそう、彼↓が出演してます。

 

 

 

備考:上映館109館予定