『バイス』 ディック・チェイニーの野望が世界を変えた | シネマの万華鏡

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アメリカどころか世界を変えたあの人の伝記

実は今月の初めに『翔んで埼玉』を観まして。これが凄く面白かったんですが、どうも記事にはしにくいんですよね。

というのも、ご存知のとおりこの映画は埼玉をディスってるところに面白みが詰まってる作品で、埼玉に住んでない人間がこの面白さを伝えるのは至難の技。

決して嫌なディスり方じゃなくむしろ埼玉県民の憧れが「刺身」(海なし県なので)だとか、イメージだけで突っ走った最高のギャグばかり。それでも、やっぱり書きにくい(汗)

残念ですが、見送ります。

 

 

『私の20世紀 4Kレストア版』(1990)も、書きたいけれど書きにくくて記事にはできてない今月観た作品。

ハンガリー映画は感性が独特な上に秘密主義、さらにハンガリー史やソ連の影響も深く絡んでるので、かなり難易度が高い・・・ひとつでも情報を見落とすとあらぬ方向に行ってしまいそうなので、DVDがリリースされてからじっくり記事にしたいと思っています。

 

で、本作もまたまた書きにくい作品の1つ! 9.11後物凄い迅速さで行われたイラク派兵の舞台裏を含む、当時の副大統領チェイニー氏の伝記、それもブラック・コメディですから・・・

今月は何故か書きにくい作品が多い気がします。

1960年代半ば、酒癖の悪い電気工ディック・チェイニー(クリスチャン・ベイル)は、恋人のリン(エイミー・アダムス)に激怒され、彼女を失望させないことを誓う。その後、下院議員のドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)のもとで働きながら政治のイロハを学んだチェイニーは、権力の中に自分の居場所を見いだす。そして頭角を現し大統領首席補佐官、国防長官になったチェイニーは、ジョージ・W・ブッシュ(サム・ロックウェル)政権で副大統領に就任する。

(シネマトゥデイより引用)

 

しかし、ご本人健在、相方のブッシュ元大統領も健在という中で、よく作りましたよね。

監督は 『マネーショート』のアダム・マッケイ。

相変わらず、シリアスなドキュメンタリー映画向きの題材をコミカルなドラマに仕立てるのが好きな人なんですね。

この映画はパラマウントの製作ですが、この間記事にした『ビューティフル・ボーイ』に続いて、こちらもブラピが経営者に名を連ねるプランBも製作に一枚噛んでいます。

大統領権限を膨れ上がらせた男

 

チェイニーの伝記とは言え、目玉になっているのは9.11を契機としたイラク戦争などブッシュ政権の罪状、ブッシュ大統領の後ろで糸を引いていたのは副大統領のチェイニーだったという話です。

 

副大統領はお飾りポストにすぎない。それが常識だったところ、副大統領の権限は大統領が決めることができる点に気づいたチェイニーは、ブッシュを巧みに操縦し、自分に権限を移譲させます。

その一方でチェイニーは、大統領権限の強化も画策

大統領権限の強化にチェイニーが利用したのが「一元的執政府理論」と呼ばれる権力分立論で、要は政府の機動性を高めるために、大統領に強大な権力を付与すべきとするもの。

この理論をふりかざして大統領権限を拡大し、同時に大統領から自分に権限を委譲させた結果、9.11当時、チェイニーは強大な権限を手にしていた。イラク派兵は彼や当時国務長官だったラムズフェルドら強硬派が推進したものだった・・・というのが本作の主張。

この作品によると、ブッシュは肉好きの「青二才」(といっても当時50代だったんですが)で、チェイニーの顔色を見ないと何もできない優柔不断な人物として描かれています。

こんな↓本も出ていたりと、まあブッシュとチェイニーの関係に関しては、これが大方の見方なんだと思います。

 

 

この映画から問題として見えてくるのは、アメリカ大統領の権限は解釈によって広がりうる部分も含めると非常に強大だということ、そして副大統領も下手をすると大統領並みの力を持ちえるということ。

ついこの間もアメリカ大統領がいきなり非常事態宣言を出し、さらには議会による非常事態宣言無効決議に拒否権を発動して世界を驚かせたように、この状況は今も変わっていないということです。

事の影響がアメリカ国内だけにとどまるならまだしも、世界の大国だけに大統領の職権濫用が他国にも甚大な悪影響を及ぼすことがある・・・全くたまったもんじゃありません。

 

モノローグの主の正体が分かって醒めた

大統領の強大すぎる権限&その大統領の操縦者にすらなれる副大統領の権限についての問題提起は凄くいい。

でも、そこに的を絞れていなくて、ちょっととっちらかってる印象が強いんですよね。

 

ブラック・コメディとしてもイマイチ痛烈さが足りないし、コメディ部分とのコントラストを効かせるべきイラク戦争の爆撃や拷問など現実の映像も、どこか重みが出せていない。

メリハリが弱く一本調子なのも気になりました。

たしか『マネーショート』もこんな感じだったような・・・テーマはもの凄くいいのに、どこか軽い、温度が上がらない。

 

終盤明かされる、謎のモノローグの主の正体にもガッカリ。

たしかに面白い設定だけど、彼の正体がクライマックスで明らかになった時点で、チェイニーの罪状追及から致命的に遠ざかってしまった気がしました。

もしモノローグの主がイラク戦争の犠牲者だったら、事の重大さとは裏腹に軽い調子で進行していた作品の最後にしっかり現実の重みに引き戻すパンチのある構成になったと思うんですが。

最後まで軽くて他人事みたいなトーンでした。

 

どれだけ本人に似てるかが勝負?

 

クリスチャン・ベイルは20キロ増量して原型をとどめないほどチェイニーに、面長のブッシュに顔立ちはどこも似てないサム・ロックウェルも、口調や仕草、そして何故かいつも困ってるような下がり眉などでブッシュらしさを醸し出していましたね。

スティーヴ・カレルが演じたラムズフェルドは似ていたんでしょうか? ちょっとご本人の顔が浮かばないんですが、あんなアクの強い人物だったとは。

 

どこまで本人に似せられるか?は、ノンフィクションものの面白さのひとつですが、今作の場合、チェイニーには体型以外あまり強い個性がないだけに、その辺の面白みが際立たなかったのもいまひとつ乗れなかった原因かもしれません。

 

ただ、人物像の捉え方自体にも、もうひとつパンチが足りない気が。

ブッシュはもっと笑えるエピソードがたっぷりありそうですが、遠慮がちだったのは、彼がまだ存命だから? 

チェイニーもしかり。彼の人心掌握術を釣り(チェイニーの趣味)に見立てた演出も、使い古されたもので既視感ありありでした。毛針は芸術的な美しさでしたけど。

 

もっとも、強烈なセリフもちゃんとあるんです。

ブッシュの「昔からフセインは気に喰わなかった」とか、チェイニーの「今こそイラクを取る時だ」とか。

漫画だったらセリフと同時に稲妻が光って雷鳴がとどろきわたってるはず。

9.11のパニックの最中、封鎖されたホワイトハウスにチェイニー夫人だけが入れたというのも、よく考えてみれば「どんだけ」な話です。

でも、演出が控えめなので、彼らの言動の強烈さが絵として伝わらない。敢えてそうしているのかもしれませんが、起きている事実の重大さと映像との間に、すごく温度差があるように思えてしまうんですよね。笑いの中に強い怒りが感じられないことが、何か決定的に物足りなく思えました。

 

 

最高の父親なのに

チェイニーの次女がレズビアンだということが政争の具にされたのは本当に気の毒な話です。

今回のこの映画でまた取り沙汰されることに・・・政治家の家族って特権しかないようで過酷な代償も支払わされるんだなということを再認識させられました。
彼女のセクシュアリティを隠蔽せずに認め、娘のために一旦は政治から遠ざかったチェイニーの行動は、まさしく彼の美点と言えるんでしょう。

家族にとっては最高の父親じゃないでしょうか。
 

自分の娘のことになるとマイノリティも受容するのに、自分の身内や支持者以外、他国の運命に対してはまるで配慮しないという落差。

もし、チェイニーの娘がイラク人と結婚してイラクにいたとしたら、イラク派兵の決断はどうなっていたのかと思うと、権力者の資質の大切さについて考えさせられます。
 

 

備考:本日現在100館