2018年版『サスペリア』 時代のひずみに魔女が巣食う | シネマの万華鏡

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うちのOttoがインフルエンザかも?というので休日診療をやってる病院を探して朝からドタバタ。

病院に送り出して、根菜いっぱいの豚汁を作りながら、ちょっとのんびりしています。

しょうがを買い忘れたのが痛恨のミス!

 

こちらは昨日観た『サスペリア』リメイク版。

キャッチ・コピーもリバイバル↓

「決してひとりでは観ないでください」

 

 

『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノが伝説のホラー映画のリメイクに挑戦

しかし一体何故『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノがいきなりホラー?と思ったら、グァダニーノ氏、なんと子供の頃から『サスペリア』の大ファンで、いつかリメイク版を監督するのが夢だったのだそうで。

今回ついにその夢を叶えた!というわけですね。

パンフのティルダ・スウィントンのコメントにある「リメイクというよりカバー・ヴァージョン」という言葉どおり、原作のエッセンスを受け継ぎつつも、全くオリジナルの要素が注ぎ込まれた新『サスペリア』。

これも、長年の思い入れの強さの表れでしょうか?

1977年、アメリカからベルリンの世界的舞踊団への入団を目指すスージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)は、オーディションでカリスマ振付師マダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)の目に留まり、次回公演の大役に抜てきされるが、スージーの周囲では、ダンサーたちが次々と行方知れずになる。患者であるダンサーたちを捜す心理療法士のクレンペラー博士(ルッツ・エバースドルフ)は、舞踊団の暗部に迫っていく。

(シネマトゥデイより引用)

前作でヒロインを演じたジェシカ・ハーパーも別の役柄でほんの少し出演しています。

スージーと入れ違うように舞踏団を退団したパトリシア(前作ではパット)役でクロエ・グレース・モレッツも。

 

ベルリンに渦巻く怨念が魔女の巣窟を創り出す

森の中の赤い館が舞台だった前作に対して、今回の物語の舞台である舞踏団は(西)ベルリンの市街地にあります。

舞踏団のビルの前にある落書きのある壁は、東ドイツと西ドイツを隔てたいわゆるベルリンの壁でしょう。

1977年当時――これは初代『サスペリア』が公開された年です――のベルリンを象徴する「壁」のすぐそばというロケーションは、今作にとって「ここがベルリンであることが大きな意味を持っている」ということの宣言でもあるんじゃないでしょうか。

前作との大きな違いも、舞台をベルリンに移したことにある気がします。

 

時代の変わり目や、世の中が不穏な時代に、人の心の隙間に巣食うようにが現れる。

そういうストーリーはよくあって、例えば去年記事にした『帝都物語』も、明治天皇崩御の年に謎の軍人・加藤が現れ、平将門の霊を目覚めさせて、帝都東京を壊滅させようとする話でした。

そして多分今回の『サスペリア』も同じ。

ベルリンという凄惨な過去を引きずった街を舞台にすることで、当時のベルリンに渦巻いていたナチズムや戦争への怨念が魔女出現の土壌となったことを打ち出した作品ではないかと。

 

何故魔女は出現したのか?という観点は、前作にはなかった今作オリジナルの掘り下げ。

本作では、ナチ政権時代の「女は子宮を開け」というひどい男尊女卑を経験した中で、その反動として育まれたフェミニズムや同性愛、そして新しいカリスマを待ち望む空気が、このほぼ女性だけで構成される舞踏集団を支えてきたことを垣間見せています。

そしてこの組織の芯には「三人の魔女」(過去の『サスペリア』シリーズで登場)への崇拝があることも。

 

極右も極左もアングラ宗教集団も何故か似てくる不思議

魔女登場を現実の歴史とリンクさせるという視点は、1977年に起きたルフトハンザ航空ハイジャック事件を作品に織り込むという面白い試みにも表れています。

この事件は、獄中にいるドイツ赤軍幹部の釈放を求めたもの。

パレスチナ人民解放戦線が実行犯ですが、その後ろで糸を引いていたのかドイツ赤軍です。

 

ひそかに舞踏団について探っていたクレンペラー博士は、舞踏団とドイツ赤軍に共通点があることに気づく。

その「共通点」が何なのかは明かされずに終わるんですが、反ナチス・反帝国主義から生まれ、共同体的な理想を掲げつつ、実は独裁的なカリスマに支配され、過激な殺戮を重ねていく点など、反ナチでありながら何故かナチに恐ろしくよく似ているあたりを言っているんでしょうか?

 

ドイツ赤軍のマークと魔女たちが使う魔法陣(六芒星。ユダヤ人を表す星と同じ形)の類似、赤軍の赤とサスペリアの赤という共通点も、偶然の一致とは言えちょっと不気味ではありますね。

 

(ドイツ赤軍のマーク)

 

それと、舞踏団の幹部たちが使うあの三日月鎌のような凶器って、共産党のシンボルになっているこれ↓にとてもよく似ていませんか?

 

 

赤軍との共通項を強調するために意識的にこの印象的なフォルムを使ったのかなと思っているんですが、もしそうだとしたら、鎌と対であるハンマーもどこかで使われている(もしくはメタファーで暗示されている)のかもしれません。

 

なんにせよ、博士の指摘によって、魔女集団の「組織としての一面」に目を向けさせられたことで、クライマックスの「(魔女集団内で)政権が変わると同時に、前政権関係者は粛清される」という構図がいっそう面白く眺められたのはたしか。

これって最近どこかで見たような・・・と思ったら、『スターリンの葬送狂騒曲』でした。

 

ホラー続編が陥りがちな思考?

ただ、現実社会とのアナロジーを追うことに左脳を使ってしまった分、ゴアシーンの恐怖や、元祖『サスペリア』にあるようなホラー映画特有のエロチシズムに感応する感覚が鈍ってしまったかな?というのは正直あったかもしれません。

何も考えないほうがホラーは面白いというのもひとつの真理なんじゃないかと。

 

話が理屈っぽくなったことで怖くも面白くもなくなったホラー続編ということで一番に思い浮かぶのが『エイリアン』の続編の『プロメテウス』

それまでのエイリアンシリーズが触れなかった「人類を作った創造主が、何故人類を滅ぼすためのエイリアンを造ったのか」という問題を突き詰めたいというリドリー・スコットの思いから『コヴェナント』以降のエイリアン前日譚が始まったんですが、これが思いのほかの不評で、結局予定されていた三部作は完結せずに終わりそう。

「人類を作った創造主が、何故人類を滅ぼすためのエイリアンを造ったのか」

んー、たしかに言われてみれば疑問ですが、『エイリアン』という感覚的な恐怖を楽しむ作品には必要ない回路だったのかもしれないですね。

 

耳にこびりつくようなトライバルな音楽と、禍禍しい赤い映像にぐいぐい引っ張られる元祖『サスペリア』も、理屈抜きの作品だっただけに、今回のリメイクは評価が分かれそう。

もしかすると、前作が好きな人は今作が苦手、前作がイマイチだった人は今作が高評価、なんてことになるかもしれません。

 

赤いサスペリア、踊るサスペリア

そう言えば、「何故魔女が舞踏の学校を?」という疑問点も、今作ではきっちり説明されています。

サスペリアの色である赤の官能的な衣裳を身に着けたダンサーたちが、魔法陣の上で呪術的なダンスを繰り広げるシーンは、この作品においてダンスが魔女の儀式そのものであることを物語る場面。

今回組織が女性だけの集団になったことで、より「赤」の意味や、ダンスの呪術性が強調されてもいますね。

 

また、今作の中での「赤」は、魔女そのものを示す色でもあるんじゃないかと・・・クライマックスで「彼女」が自身が魔女であることの証として披露した衝撃の「赤」。

あのシーンは『サスペリア』を数十年構想し続けたというルカ・グァダニーノならではの表現じゃないでしょうか。

 

唯一、ティルダ・スウィントンの存在感が不完全燃焼のまま終わった気がしていて、そこがちょっと物足りなかったところ。

ナチ政権下でも舞踏団を守り抜いた強い女マダム・ブランの、内に秘めた激情に触れたかったなと。

 

【追記】

「ティルダが物足りなかった」と書いた後で、ティルダがクレンペラー博士役・マルコス役と3役を務めていたことを知ってビックリ!!

何か足りないと思ったら、そういうことだったんですね。私としたことが不覚でした。

ティルダが演じていたことが分かったことで、博士が「ベルリン中の男は罪を犯しているが、私は何一つ罪を犯していない」と言い切った理由が漸く分かりました。