『ブレードランナー』のデッカードとロイ・バッティの最終対決の魅力
『ブレードランナー』でロイ・バッティを演じたルトガー・ハウアー主演作『ヒッチャー』(1986年 ロバート・ハーモン監督)を、今さらながら観ました。
この作品は、単にルトガーがブレランに出演していたからというだけでなく、別の意味でもブレランと切り離せない気がするので、まずはブレランのお話から。
(なお『ブレードランナー』の記事はこちらに、『ブレードランナー2049』の記事はこちらにあります。)
実は、WOWOWで放送された『デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー』を観て、改めてルトガー・ハウアーの魅力にグイグイ掴まれ、ルトガー・ハウアー成分補給のために『ヒッチャー』を観た、という経緯。
ただ、メイキングで一番興味があったのは、「何故ブレランは懐かしさを感じるのか?」ということだったんですけどね。
私がブレランで一番惹きつけられたのは、いつか夢で見たようなデジャブに襲われる、あの言いがたい懐かしさでした。
丸顔海賊団さんのオススメで買った『ブレードランナー究極読本』にも、「まったく新しい未来を描いているのに、最初から懐かしい」(添野知生)と書かれていたし、私に固有の記憶のせいでそう感じるわけじゃないと思うんです。
残念ながらメイキングではその件には触れられていませんでしたが、メイキングを観て改めてブレランを観直したりしているうちに、気が付けば新作より前作LOVEに回帰。
やっぱりブレランは素晴らしい。
どんなに完成度の高い作品も、潜在意識を波立たせる作品には勝てない気がします。
人間は潜在意識に支配されているのだとしたら、潜在意識にダイレクトに訴えてくる映像に最も強く惹かれるのは当然かもしれません。
ことによると、リドリー・スコットの狙いは、「懐かしさ」よりも「潜在意識に訴える」というところにあったのかも・・・考えてみればリドスコはCFディレクターとして成功した人で、人間の意識の深いところに訴えかける映像作りは、CFの至上命題ですから。
『ヒッチャー』はブレランのオマージュでは?
さて、漸くルトガー・ハウアーへ。
ブレランは強烈な存在感の登場人物が多いですが、なかでも、パンツいっちょで手に五寸釘刺してビルからビルへと飛び回ったロイ・バッティのキャラ立ち度は群を抜いています。
頭突きで壁をぶち破ったりも・・・そして、あのミステリアスな微笑!咆哮!
モナリザかロイ・バッティか、という比較が成り立つくらい、魅惑的かつ哲学的な微笑みです。
口をすぼめた時の拗ねた子供みたいな表情も忘れがたい。
彼とデッカードとの戦いは、アクション・シーンなのに観念的で、どこか人生を問う哲学問答のようでもあって、アクション映画とかSFとか、そういう括りを超えている気がします。
よく考えてみれば、死闘を繰り広げる敵同士って、生死を分かつ瞬間まではお互い死と向き合う者同士。2人の間に或る種の強い共感が生まれてもおかしくないのかも? そんな気さえしてくる、不思議なシーンです。
どこまでも追ってくるロイ・バッティが凄く恐ろしいのに、それでいて彼に魅せられていく矛盾に戸惑う不思議さも・・・何にしろ、とても中毒性の強いシーンだと思います。何度でも観たい。
『ヒッチャー』は、まさにそんな中毒症状に陥ったブレラン・ファンのために作られたオマージュ作品なのかなと・・・私の推測に過ぎませんが、そんな気がしてしまう作品です。
あのデッカードとロイ・バッティの追いかけっこから、憎悪と愛の共存とルトガー・ハウアーという要素だけを取り出して、一本の映画に仕立てたような。
ブレランが1982年、『ヒッチャー』は1986年の作品ですから、ありえないことじゃない気がするんですが・・・
ザックリあらすじを書いておくと、『ヒッチャー』は、主人公のジム・ハルジー(C・トーマス・ハウエル)がシカゴからカリフォルニアへ車を陸送する途中、雨の中で拾ったヒッチハイカー(ジョン・ライダー 演:ルトガー・ハウアー)がサイコ・キラーだったという、ただそれだけの話です。
しかし、いとも簡単に人間を解体してしまうジョンが、おかしなことにジムだけはなかなか殺そうとしません。
逃げても逃げても、ジョンは追って来る。そして、手当たり次第にジムの周囲にいる人間を殺し、ジムが犯人であるかのような状況を作り上げていきます。
かと思えば、ジムが警察に逮捕されそうになると、ジムではなく警察官のほうを殺すジョン。
一体ジョンはジムを殺人犯に仕立てたいのか、それとも彼を殺したいのか――
ストーリーは不条理も不条理。
でも、何か凄く惹きつけられるものがこの映画にはあるんですよね。
なによりも、『ブレードランナー』のロイ・バッティの生まれ変わりにしか見えないジョンの登場に、心が波立つ!
初登場シーンで、雨に濡れたジョンがジムの車に乗り込んでくるところからしてもう、雨と霧に包まれたブレランの世界を彷彿とさせます。
モヤに覆われた夜の道路に、車のライト、工事標識の赤い光。そんな幻想的な世界にルトガー・ハウアーがいて、今しがた殺した男の話をしはじめる。
そして、おもむろに取り出したナイフで、生贄を弄ぶようにジムの頬をなでる・・・とても穏やかな微笑みを浮かべながら。
言い知れない恐怖に襲われながらも、邪悪と無垢とが入り混じったようなルトガー・ハウアーの存在感にぐいぐい惹きつけられていくんです。
なんとも言えないホモセクシュアルなムードもブレランからの発展形?
この作品がブレランのオマージュだという根拠の一つが、上のシーン。
窓ガラスに書かれた店の名は「ロイズ・カフェ」で、ブレランのルトガーの役名「ロイ」を思わせます。
ブレランのロイは、タイレル社の社長に殺意のキスをしたり、クライマックスでは何故かパンツいっちょになったりと、女性レプリカントたちに負けず劣らずのセクシー・シーンを披露してくれましたが、妄想の領域ではともかく、レプリカントにセクシュアリティがあるとしても異性愛者のように見えました(プリスとの関係を見ても)。
でも、『ヒッチャー』でルトガー・ハウアーが演じるジョンは、限りなくホモセクシュアルなムードを漂わせています。
例えばジョンがジムの腿に手を置いてきたり、検問の男に唇でキスを送るしぐさをしたり・・・そもそも、彼がジムに執着しているのも、狂気が生み出す殺意だけが理由なのか、それとも何か愛に似た感情があるのか、ジムに殺されたいとさえ願っているのか、だんだん分からなくなってきます。
全く動機の分からない殺人ストーカーというところがあまりにも不気味なんですが、その不気味さも絶妙にルトガー・ハウアーの魅力を引き立てているんですよね。
ジョンの目的が解き明かされることはなく、かといって夢オチでもない、或る意味ものすごくテキトーな話のわりには、満足感たっぷり。
雨と霧、砂ぼこりなど、ブレランからの借景の上手さもあるし、何と言ってもルトガー・ハウアーの魅力の在り処をしっかり押さえているところが高評価。不条理な展開が生み出す説明しがたい恐怖もたまりません。
ブレランを観た直後だと、特に楽しめる気がする作品です。
続編の『ヒッチャー2』(2007年)は、ブレランのエッセンスを抜いた『ヒッチャー』。
追って来る男と主人公との間にあるのも恐怖だけでミステリアスな余白はゼロ、瞬間風速的な恐怖を楽しんで終わる作品でした。