『ブレードランナー』 未来的というより東洋的無常感を帯びた世界観が唯一無二 | シネマの万華鏡

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(内容の圧巻ぶりに反してポスターのイケてなさがハンパないのが辛い)

またしても食わず嫌いの過去を悔いることに!

明日から『ブレードランナー2049』の公開ということで、遅まきながら『ブレードランナー』(1982年公開ですが、私が今回観たのは1992年の「ディレクターズカット最終版」)を観賞しました。

恥ずかしながら今回が初めての観賞、原作『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』も未読です。

 

 

実は『エイリアン コヴェナント』公開前に観ようと思っていたんですが、正直「古いSF」という時点で観るのが億劫で・・・・・・でも、またしても大きな間違いをおかしてました。

この作品の完成された世界観と独自の美意識、時代が作品の「未来」に追いついてしまった今観ても最高・・・というよりも、時代の変遷に左右されない普遍的な美がこの映画にはありました。

今日までの人生は何だったんだ・・・とまでは言わないにしても、年月を無駄にしたことはたしかですね。

 

この作品を観てしまうと、続編の監督ドゥニ・ビルヌーブが「ブレードランナーの続編に取り組むなんて自殺行為にも等しく、だからこそものすごくエキサイティングだ」と語った(「ブレードランナー 2049」新予告でレプリカント“誕生”の瞬間が明らかに)という話、すごく納得できます。

この作品で、リドリー・スコットに対する認識が完全に塗り替えられました。

世界観の構築に大きく貢献したシド・ミード(現在84歳!)は続編の製作陣にも名を連ねているようで、そういう意味では『ブレードランナー2049』を観る楽しみが増えたとも言えるんですが・・・う~ん、これは前作の世界観を踏襲するのは至難の技じゃないでしょうか。

 

ストーリー

舞台は2019年・近未来(製作当時)のロサンゼルス。

環境破壊の進んだ地球に見切りをつけた人々は、すでに大多数が宇宙へと移住、街は荒廃しきっています。

一方、人間が使役のために作りだしたアンドロイド(この作品では「レプリカント」)たちは感情を持つようになり、自分たちを酷使する人間に刃向かう者が出始めます。

人間はその対抗措置として、レプリカントには4年しか寿命を与えない。

或る時、寿命の短さに不満を持ったレプリカント6名(ルトガー・ハウアーほか)が反乱を起こし、使役労働に就いていた星からスペースシャトルを乗っ取って地球に襲来、市井に潜伏する事件が発生します。

警察はレプリカント狩りを開始し、ブレードランナー(レプリカント狩り担当官)のデッカード(ハリソン・フォード)が任務にあたることに。

そんな中、レプリカント・メーカーのタイレル社で創業者タイレル氏の秘書を務めていたレイチェル(ショーン・ヤング)もレプリカントであることが分かり、殺されることを恐れて逃走しますが、反乱レプリカントに襲われたデッカードをレイチェルが救ったことがきっかけで、2人は愛し合うように――

 

なお、本作には5種類ものバージョンがあり、その点も含めて下のサイト(ciatr(シアター))に詳しい解説がありますのでご参考までに。

傑作SF映画『ブレードランナー』の魅力を徹底解説【ラストネタバレや詳細考察まで網羅】

 

人間とアンドロイドの関係はいつもせつない

人間と何ら変わりない容姿を持つレプリカントが、さらに感情も持つように・・・そこまでいくと、人間とレプリカントの差を探すこと自体、無意味に思えてきます。

そんな中での、レプリカント狩り。レプリカント側の反乱が原因とは言え、虚しい仕事です。

人間よりもむしろレプリカントのバッティのほうが、最期には人間以上に人間らしい心を見せる。

レプリカントという存在を通して人間とは何かを問いかけるテーマ、それ自体は目新しいものではありませんが、バッティ役のルトガー・ハウアーの強烈な存在感も手伝って、人間デッカードとレプリカント・バッティの戦いの顛末は、深く心を抉ります。

 

そして、アンドロイドと人間の恋もまた、何度観ても最高に切ないものですよね。

デッカードの、レイチェル壁ドン!からの「私を抱いてと言え」

すごく乱暴で、人間のレプリカントに対する驕りも見え隠れするシーンなんですが、こういうシチュ限定でなら、男の傲慢さ、人間の女性もむしろ大好きだったりして?(笑)

男性が人間で女性が従順なアンドロイドという組み合わせは、あまり21世紀的とは言えませんが、それでも2人が抱き合うシーンには抗えない魅力が!

当時のショーン・ヤングの透明感のある美貌に、ハリソン・フォードの男臭いシャープな佇まい・・・何しろ見ているだけでうっとりしてしまう2人ですから。

 

 

未来的というよりも夢=潜在意識の中のような世界観がたまらない

ただ、私が何よりも魅せられたのは、上にも書いたように、作品に描き出された2019年のロサンゼルス。

上空から見ると摩天楼が林立する大都会。あちこちで不穏な炎が噴き上がっている以外は現在のロサンゼルスの延長線上の未来都市のように見えるんですが、細部は全くオリジナルな世界観で作り上げられています。

この街は、(アジアの大都市で見かけるような)どぎつい色のネオンが煌めく猥雑な繁華街と、廃墟という、2つの対照的なゾーンで構成されています。

この街のかつての繁栄をしのばせる廃墟の建造物もどこか東洋的で、街全体が「打ち捨てられた東洋的迷宮」と呼びたくなるような風情。

 

繁華街の賑やかな雑踏を一歩出ると、人影は消え、おそろしく静寂。

時折(この世界の外側かと思われるような)彼方から、かすかに琵琶の音色にのせた歌声がこだましてくる・・・例えて言えば、まどろみながら遠くを走り去る選挙カーの演説の声を聴いているような、聴きとりにくさともどかしさ、それでいて不思議な懐かしさがこみ上げてくるような・・・まさにあの感じです。

大半のシーンが夜、薄暗い部屋をネオンの点滅やサーチライトの灯りが規則的に照らし出すシーンも、何故か意識の水底の深いところを刺激してきます。

 

およそ見慣れたSFの世界観――整然として無機的な室内デザインに、あらゆる面での機能性の高さ――とはかけ離れた世界。

もしかしてこの世界観は、未来というよりも夢=潜在意識の世界をイメージして創り出されたのではないか・・・そんな気がしてしまったのは、上に書いた聴き取りにくくもどかしい音・サーチライトなど、ブラザーズ・クエイの『ストリート・オブ・クロコダイル』(1986年)や『ベンヤメンタ学院』(1995年)の世界観と重なる要素をいくつか見つけたから。

 

ブラザーズ・クエイの創り出す潜在意識の世界と、近未来を描く『ブレードランナー』とに共通する表現があるのはとても意外ですが、この作品の近未来らしからぬ世界観は、「未来的」という以外のコンセプトを含んでいるのではないかと思うし、「近未来」と「潜在意識の世界」を重ね合わせているのだとしたら、とても面白い発想だと思います。(本作がある意味で「記憶」にまつわる物語であることとも関係しているんでしょうか?)

ただ、『ブレードランナー』の製作のほうが先なので、リドリー・スコットが実際のところどんなコンセプトを抱いていたのか?は分からないのですが・・・

 

東洋的な諦観と無常感

もうひとつ、東洋的な諦観・無常感を感じさせる点も、この作品のたまらなく好きな要素です。

そこは、あのどこか彼方からかすかに聴こえてくる唄――『平家物語』の「扇の的」――にも象徴されています。

琵琶の音色にのせて唄われる『平家物語』が漂わせる滅亡の哀しみ・無常感は、たとえ言葉は聴き取れなくても作品に深い陰影を加えている気がします。

人間と共に暮らすうちに人間と変わらない感情を持つようになり、創造主である人間に刃向かおうとするレプリカントたちの、刻々とすり減っていく命、レプリカントの女性レイチェルと、レプリカント狩りを使命とするデッカードの未来のない恋・・・そんな、ままならない宿命の上にこだまする琵琶の音色は、どんな音楽よりも心の奥深いところに刺さります。

 

(『平家物語』の「扇の的」 10分8秒あたりからが『ブレードランナー』で使われた一節)

 

「彼女も、惜しいですな。短い命とは」

ビルの屋上で、反乱レプリカントの最後の1人・バッティの死を見届けたデッカードの耳に、地上から同僚のガフが声をかけるシーンも、ガフの声のこだまし方、足を引きずって去っていく彼の後ろ姿から、何とも言いがたい寂寥感が押し寄せてきて、心を持っていかれた場面。

「彼女」としか言わなかったのに、デッカードがレイチェルの身を思ったのはすぐに伝わって、それがまた何とも切なくて・・・むしろ、あのシーンで終わったほうがこの作品のトーンにふさわしかったと思うくらいです。

 

2049は、いっそ続編という名のベツモノであってほしい気も

それにつけても、敢えての35年ごしの続編、一体何を描くんでしょうか?

デッカードは人間だったのか?それともレプリカントだったのか?という前作で撒かれた疑惑に答えを出す、という流れはひとつありそう。

ただ、個人的には「どちらか分からない」状態で十分テーマは伝わっている気がします。

デッカードとレイチェルのその後? う~ん、それも、本作の余韻を温め続けるほうが美しくないかなぁ・・・

続編で一番気になるのは、本作よりもさらに30年後の世界が一体どんな世界観で描かれるのかということ。(プラス、やっぱりライアン・ゴズリング!)

なまじ前作オマージュよりは、むしろ続編という名のベツモノであってほしい気も・・・ちょっと複雑な気持ちです。

 

 

【参考にしたサイト】

『ブレードランナーの中の日本【改訂版】』