「アラビアの女王 愛と宿命の日々」(QUEEN OF THE DESERT) まさかの散漫系。 | シネマの万華鏡

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映画記事は基本的にネタバレしていますので閲覧の際はご注意ください。

 

◆ヴェルナー・ヘルツォークの最新作◆

現在公開中のヴェルナー・ヘルツォーク監督作品。2015年製作のアメリカ映画です。

イラク建国の立役者と言われるイギリス人(考古学者、のちに官僚も)ガートルード・ベルを主人公とした実話ベースの歴史映画。

本作では、ベドウィン研究のために砂漠をラクダで探検したガートルードのベドウィンたちとの交流を描きつつも、彼女の英国人男性との恋の遍歴が主軸に置かれています。

 

久々に、あちゃ~・・・となってしまった作品でした。

この作品がお好きな方は確実にご気分を害されると思うので、回れ右でスルーお願いいたします。

 

ヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品は「アギーレ 神の怒り」・「ノスフェラトゥ」・「フィッツカラルド」を観たばかり。

この3作は全てヘルツォーク監督&クラウス・キンスキー主演という黄金コンビによる作品ということもあって、安定の壊れっぷり!(←心から褒めてます)

しかし今回は、別の意味で壊れてますな。

ヘルツォークの監督作品に対してはかなり期待値が高かったので、それだけに余計にガッカリ度が上がってしまったというのは、確実にあります。

でも、ヘルツォーク作品が好きであることには変わりはないし、過去作をコンプしたいという思いも変わりません。

だからこそ、ネガティブな感想になってしまうけれど今作のことも書き残しておきたくて。

 

◆作り手の歴史観を示してほしい◆

う~ん・・・それにしても、らしくない。

話が散漫なだけでなく、イギリス人が作ったガートルード・ベルの教科書的な伝記を鵜呑みにして映画を作ってしまったような、あるいは、敢えて深いところを避けて浅瀬にとどまったかのような、歴史批判の皆無っぷりがとても気になります。

歴史批判なんて必要なのか? これは彼女のラブロマンスを中心に、一人の女性としてのガートルード・ベルを描いた作品なのに・・・と言う人もいるかもしれません。

でも、私にはそういう描き方自体が、核心を避けているようにしか見えない・・・

もしかすると、私が尖りすぎなんですかね。

 

ガートルード・ベルという人は、単に考古学者として中東探検を行い、中東の地理や人脈に精通していただけじゃなく、政治にも深く関わっていた人です。

中東における第一次世界大戦の戦後処理、のちの中東問題の元凶の一つと言われるサイクス=ピコ協定にのっとってイラクの国境線を引くにあたり、彼女の意見が採用されたとか・・・ヒジャーズ国王の息子ファイサルとアブドゥッラーを、それぞれイラク王・ヨルダン王に推挙したのも彼女だと言われています。

彼女は中東問題の元凶を作った張本人では全くない。でも、そこに深くかかわった一人であることは間違いありません。

そういう人物を語るうえで、作り手は自らの歴史認識を示すべきじゃないのか・・・というのが私の個人的な意見です。

 

もちろん、この映画でも、決してそういう側面が無視されているわけではないんです。

ただ、描写が驚くほど浅い上に、イギリス人サイドからの一方的な見方しか描かれていません。

例えば、ガートルードがヒジャーズの王子アブドゥッラーとファイサルに対面する場面。

「お2人はいずれ王になる」と言うガートルードの言葉を不思議がった2人は、彼女が去った後、

「きっと彼女が王を決めるのだ」

と、無邪気な子供のように納得し合います。

さすがにイギリスの傀儡王になれるのを喜び合う2人の表情を映したシーンはなかったものの、このセリフにかぶせてガートルードが颯爽とラクダに乗って砂漠を疾駆する姿が・・・決してそこに嫌悪感は表現されていませんでしたね。

今は亡きファイサルたちがこのシーンを観たらどう感じるでしょうか? ガートルードに会った時、2人の王子はもう十分いいトシの大人だったはずで、わけてもファイサルという人は権謀術数に長けた聡明な政治家だったようなんですけども・・・

 

そもそも、ベドウィンのシャリフたちも、皆牙を抜かれたようにガートルードには友好的なんですよねえ。

「アラビアのロレンス」では、ロレンスはベドウィンたちと共に危険を乗り越えていくことで信頼を勝ち得ていきますが、彼女は一体いつの間にそこまでの信頼関係を築き上げたんでしょうか? 

間一髪を逃れるスリルにも乏しく、あまりにスルスルと事が運びすぎて、説得力が感じられなかった・・・

 

何よりも、アカの他人に勝手に国境線を引かれることに関するベドウィン側の感情がどこにも表現されていない不思議

この時代のこの地域を扱った映画で、しかも国境線を引いた当事者の話なのに、この問題に向き合わないなんて・・・やっぱり不思議としか言えません。

 

◆砂漠とニコール・キッドマンが見どころ◆

新宿シネマカリテのサイトに紹介されている監督のコメントの通り、砂漠の風景は美しくて、厳しさの中にも人間を惹きつけるものを感じさせます。

ニコール・キッドマンは砂漠の中でもニコール・キッドマン。いつも通り女王の貫禄たっぷりです。

美しい砂漠の光景と、ラクダに跨ったニコール・キッドマンを眺められただけでもこの映画を観た甲斐があるのかもしれませんね。

 

目玉のラブロマンスのほうは・・・う~ん、どうでしょう?

そうだ、ニコール・キッドマンの希望で入れられたという砂漠での入浴シーンもありました。

今更ニコールの入浴ってもどうなのか・・・??ですが、砂漠の真ん中でお湯に浸かって体を休めるというこの上なく贅沢な時間を共有できるのは、見ているだけでも気持ちイイ経験でしたね。

 

 

◆アラビアのロレンス役はあの人◆

個人的にほくそえんでしまったのが、T.E.ロレンス役が「天才画家ダリ 愛と激情の青春」(2009年)でダリを演じたロバート・パティンソンだったこと。

「天才画家ダリ 愛と激情の青春」ではダリをクローゼットのホモセクシャルと見ているんですが、T.E.ロレンスもホモセクシャルの可能性が高いと見られている人なので、このキャスティングには妙に納得してしまいました。

「アラビアのロレンス」でピーター・オトゥールが演じた英雄のオーラ溢れるロレンスとは全く違う、少々変わり者の学者タイプなロレンス。

ロレンスといえばピーター・オトゥール、という図式は「アラビアのロレンス」を観た人の中では確立された不動のイメージかとは思いますが(「ロレンス1918」のレイフ・ファインズ版もなかなかですけども)、こんなロレンスもありかな・・・という感じでしたね。

 

この映画の中ではガートルードとロレンスは仲が良く、ガートルードは周囲からロレンスの花嫁候補とみられている・・・という描写もあるんですが、実際にはガートルードはロレンスよりも20歳も年上で、しかも2人はどうも中東戦後処理の件では意見が合わなかったようです。

ついでに言えばガートルードの謎の死についてもノータッチ・・・いろいろと問題噴出・疑惑山積みの史実を無理やり大団円にまとめたような、なんとも歯切れの悪い映画でした。

この映画、世界各地で公開されていますが、世界でどう受け止められてるんでしょうか?

 

(画像はIMDbに掲載されているものです。)