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まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

何の役にも立たないが、特段面白い訳でもない。ましてや間違っても何かの為になど毛頭ならぬこと十全に請合う。勿論誰がどうみても上品であるはずもなく、履歴書に読者と書けば間違いなく不利となる。有閑男が白昼夢で口走る400字の戯言寝言放談放屁。それが神戸ニニンガ日誌

「神戸ニニンガ日誌」(第3,493号)

○アメリカにサバンナ・バナナズという野球チームがある。所謂独立リーグのチームだと思うが、このチームが野球を元に「バナナボール」という独自のプレー方式で野球をおこなっている。

 

○試合は2時間以内、バントできない、打者はいつでも一塁へ盗塁できる。観客がファウルを補るとアウト。フォアボールではなく、野手全員にボールが回るまで進塁できるなど、驚きのルールである。

 

○動画を見た。ダンスあり、背面捕球あり、火のついたバットあり、超足長選手(竹馬内蔵)あり、花束を持って観客席にいく選手ありの超楽しい野球なのである。

 

○先週、京セラドームでオリックス対楽天の試合を観戦した。2対0でオリックスが勝ち、それはそれでよかったのであるが、どうも冗長的である。

 

○あまつさえ、現役を退いた選手の引退後はどうもぱっとしない。サバンナ・バナナズのようなチームというかリーグが日本にあってもよいように思う。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,492号)
 

○ものを考えるとき、言葉を使う。イメージで考える人も居る。私は言葉派だがイメージ派は女性に多い。だから女性は「あの時何色の服を着ていてこんなことを言った」と、こちらは絶対に覚えていないことを覚えていて、始末に困る。

 

○閑話休題。私は言葉思考派であり、あまつさえ大阪弁で思考している。関西地方の方言だ。例えば「そうだな、あれはこうなっているからもしかしたらこういうことなのではないか。きっとそうだろう」も「せやなぁ。あのときのあれはこうなっとったから、ひょっとこしたらこういうこっちゃないかなぁと思うねんけどもちゃうかなぁ。いやぁ、よぅ考えたら絶対せやで。それしかないで、たぶん」と、やることなすことのすべてがもっちゃりするのではないか。

 

○この間までノーベル賞受賞者も京大出身の方が多かったが、これは関西地方方言に塗れた結果ではないか。近年何故東大出身者が多数になったのか。これは恐らくテレビなどで大阪弁が日常化し、天才達の思考回路の中に大阪弁がサブリミナル効果的に入り込んでいるのだ。知らんけど。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,491号)

    【金曜日は過去の号を再録します】

○プッチンプリンを食べるとコショーの効いたラーメンが食べたくなる。天下一品を出るとキナコのおはぎが食べたくなる。丹波屋を出るとカレーライスが食べたくなる。ココイチを出るとソフトクリームが食べたくなる。阪神百貨店を出ると餃子が食べたくなる。王将を出るとメロンパンが食べたくなる。

 

○サンクスを出ると牛丼が食べたくなる。吉野家を出ると豚饅が食べたくなる。551を出るとアイスキャンデーが食べたくなって551に戻る。アイスキャンデーを食べると牛丼が食べたくなる。吉野家を出るとメロンパンが食べたくなる。サンクスを出ると餃子が食べたくなる。

 

○王将を出るとソフトクリームが食べたくなる。阪神百貨店を出るとカレーライスが食べたくなる。ココイチを出るとオハギが食べたくなる。丹波屋を出るとコショーの効いたラーメンが食べたくなる。天下一品を出ると胸焼けがして家に帰りたくなる。

 

○家に帰ると家族全員でモロゾフのプリンを食べていた。

 

○こういうのも回文と、は云わない。 (2013年4月24日号)


ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,490号)

安野光雅の『エブリシング』(文春文庫)という本に「遺失物」という項がある。イタリアに行ったときに失くしたノートが帰国後送られてきたという。

 

○安野さんは自動車でポンタシェベというところからボローニヤに行った。ノートは車の屋根に置いてきたので、ポンタシェベのどこかで落ちたのであろう。

 

○送り主は現地ロマニヨロ銀行の支店長であった。安野さんは車ではなく、ノートは銀行に忘れていたのだ。

 

○支店長夫妻と再会する機会があった。支店長は安野さんがすぐに思い出せばノートはすぐに戻ってきたが、そうなっていたら今日お会いすることはなかった、と言った。

 

○通常はノートには住所氏名などは書かない。なぜ安野さんのノートということが分かったかというと、安野さん宛ての神田明美さんからの絵葉書があったからという。安野さんは返事を書こうと思ってノートに挟んでいたらしい。

 

○たくさんの小さな奇跡が積み重なって安野さんとイタリアの支店長夫妻は出会った。『エブリシング』にはそのタイトル通りに様々なことが詰まっている。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,489号)

○エヌ氏は、ハイボール枝豆を頼んだ。この時間ここではハイボール1杯99円である。平日昼飲みできるのは自営業の特権だ。

 

○枝豆がやってきた。ヒマなエヌ氏は莢の数を数えた。28莢あった。珠算準2級のエヌ氏は、220円を28で割ってみた。ひと莢7.8円である。枝豆の多くは1莢の中に3粒入っている。珠に2粒や4粒の莢もある。稀に1粒の莢があって、一瞬ムッとするがこれが大抵大粒でムベなるかな、と考え直す。

 

○4粒の場合の4粒目は大変に小さい。エヌ氏は自分の足の小指とその爪を思う。申し訳程度にあるのである。

 

○平均3粒とすると1粒2.6円である。何気なく食べている枝豆の1粒が2.6円は高いと思う。一皿220円を安いと思い、1粒2.6円を高いと思うのは何故か。

 

○水道水の約千倍の値段がするペットボトルの百円の水を高いとは思わず、コップに入った水を百円と言われたら高いと思うこととほぼ同じか。違うか。

 

○エヌ氏は味が薄いと思い枝豆に塩をかけた。塩はタダだ。エヌ氏は薄笑いを浮かべハイボールをお代わりした。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,488号)

○映画「ふつうの子ども」。小学4年生の唯士(ゆいし)は同級生の心愛(ここあ)が気になる。しかし心愛は少しやんちゃな陽斗(はると)とツルもうとする。心愛はいつも本を読んでいる。地球環境問題に関心があり、どうすれば環境を保護できるかを考えている。子供達の演技が自然で、芝居であることを忘れてしまう。

 

○昭和40年代の自分の子供時分を思い出す。女子とは遊ばない代わりに好きな子にはちょっかいを出し、どうはき出してよいのかがわからない。

 

○教師役の風間俊介、母親役の瀧内公美は実際にこんな先生や母親が居るよなぁ、と思ってしまう位にリアルだ。

 

○主テーマは地球環境問題、特に温暖化である。子供なりに大人に反省してほしい、変わってほしいためにアクションを起こすが、大人側からすればそれはタチの悪いいたずらに過ぎない。

 

○かつて子供だった大人でも気付かないのだ。トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」(1959年)問題は、令和の今も変わらずに存在する。大人はいつもわかってくれないのである。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,487号)

【金曜日は過去の号を再録します】

○スーパーに行くと早くもサンマが並んでいる。青魚は全て好き。ネオンテトラは青いが食べない。

 

○サンマ塩焼を頼む。頭を左にして出てくる。反対はあまりない。全日本サンマ塩焼協会の取り決めか。右利きが多いので尾側(BESIDE)を右にして食べ易いようにしているのか。

 

煮鯖など切り身の場合でも尾を右にして出す場合が多い。ジャコが全て同方向を向いておればシュールで気色悪い。

 

餃子も横皿にすれば左右非対称だが、決まりはないようでどちらにも向いて出てくる。BESIDEの法則でいけば花王マーク同様に弧が左向きが自然に思える。縦皿にすると左右対称となり、利き腕問題はクリアされるが上下が非対称となる。食べ易さからいうと、上弦つまり弧を上に向け、下から順に食べるのが作法的に美しいように思う。

 

葛西臨海水族園のマグロ回遊では大半が右旋回しているという。客の眼前では左向きなので、皿に置かれても安心できるというものだ。

 

コリオリの法則でいうと南半球のマグロは左旋回しているし、南半球の焼き魚は右向きで出てくるのであろう。南半球の餃子についてはまだ調査中。シンジケートからデータは届いていない。(2012年9月21日号)

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,486号)

○朝日紙が映画「国宝」に関しライター・専門家・役者に聞いた。ライターの香月孝史は一般人にとって歌舞伎は「ちょっとハードルが高い、なんとなく格式があるアート」であり「国宝」も「その延長線上にある」とした。この映画は「非常によく準備されたことが分かりクオリティーが高い」と評した。

 

○ジャーナリストの大高宏雄は、映画を映像配信で見ることが日常になったが「国宝」は映画館で3時間じっと見る。で「2千円は安い」ということを発見する。故に「違ったマインドを引き出した」という。

 

○原作を朗読したこともある歌舞伎俳優の尾上菊五郎は「あっという間の3時間」だったという。舞台やロケ地には大勢が詰めかける。「歌舞伎に関心を持つ方が増えているのもありがたいこと」と喜ぶ。何よりも「吉沢亮さんと横浜流星さんは本当によくお稽古されたのだと思います」と絶賛し「3時間の映画が大勢の人を引きつけていることに勇気づけられます」と評した。

 

○私も最後まで無尿で通したことに自分で自分を褒め、そして勇気づけられたものでございます。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,485号)
 

○洋裁講師・千葉恵の投稿「最近の『○○ファースト』という言い方に疑問を持っています」が載った。(14日朝日新聞)

 

○千葉さんの初ファーストは「レディーファースト」で「相手を思いやる言葉だった」。次に「顧客ファースト」で「顧客の役に立つことを自分たちの仕事にする気持ちが伝わる」と。「ファーストは相手のことを考えて使うものと思っていました」という。

 

○同日の同紙で北里大の大石智は医療現場での「ニンチ」にスティグマ(負の烙印)を感じるという。「ニンチぽい」「ニンチ入ってる」等。悪気なく使ってはいるが蔑むようなニュアンスを感じる、と。「徘徊」なども違う言い方に言い換えることを提案した。


○千葉さんは最初「都民ファースト」に違和感を抱く。自分は都民だが「自分で言う?」と。自分にファーストを付けて尊重されるべきというのは「私は自分勝手」と言うようなものと思う。選挙では子供・高齢者・障碍者へのファーストを聞きたかった、と。

 

○大石さんは徘徊以外に妄想、拒食、暴言、迷惑行為等の言葉の言い換えを提案している。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,484号)

○小説家の市川沙央が12日朝日紙に「共生の未来」を謳った朝日の催事に物申した。70人の登壇者の中に「障害当事者や家族あるいは支援者の立場の人すら一人もいない」と。通訳も字幕もない。都の国際会議では手話通訳・字幕、資料のデータ提供があった。共生を謳っていて何事か、と。

 

○市川さんは「障害者への配慮の不足を批判しているのではない」という。「『共生』という語をめぐる思考の不徹底を問うている」。現役世代が減り、選択肢が減る未来を受け入れて楽しめるかという議論に問題を「矮小化」した事に怒る。「『共生』の輪からも消された。私にはもう未来に期待する気力が残っていません」と。

 

○対して「受け止めと取り組み」を掲載しているという。驚いた。僅か3段9cmの囲みであった。「取り組み」と思われるのは「市川さんのおっしゃる『断絶』をなくす努力を続けてまいります」「『共生』のあり方をさらに議論しその実現に向けて取り組んでまいります」だけである。

 

○これでは「焼石に水」か「火に油」か。あいや「暖簾に腕押し」か。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。