「神戸ニニンガ日誌」(第3,622号)
○鳥山まことさんの『時の家』。人文学部の学生さんに教えていただいて読んだ。
○青年が家に忍び込み、家の細部を描く。これでもかという程に細かく観察し、繊細に描いていく。青年はかつて近所に住んでいた。記憶と記録が交錯する。鳥山さんは建築士で、詳細ぶりには事欠かない。
○細密過ぎるのは、最初の住人の藪さんが凝りに凝って設計し、建てた家だからだ。「取手」ひとつでも「指先をただ受け入れるだけではない、どこか向こうから寄り添ってくるような形をしていた」のだ。アフォーダンスの強度が強い。
○あまつさえ、大森荘蔵の時間論や存在論をも超え、家が自らその半生を語るように、これまでの住人との関係性や細部に及ぶ役割と機能が明かされていく。藪さんの次に住んだ緑さん、そして脩さんと圭さん夫妻。青年は、青年の手は家を巡る物語と歴史を細密画よろしく家の悉くを復元する。
○家の最期に於いて青年は「これまでにどれほどのものを掬い損ねてきたんだろうか」と省みる。物事には始まりがあり、終わりがある。私にとって家とは何なのだろうか。
ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。