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まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

何の役にも立たないが、特段面白い訳でもない。ましてや間違っても何かの為になど毛頭ならぬこと十全に請合う。勿論誰がどうみても上品であるはずもなく、履歴書に読者と書けば間違いなく不利となる。有閑男が白昼夢で口走る400字の戯言寝言放談放屁。それが神戸ニニンガ日誌

「神戸ニニンガ日誌」(第3,686号)
 

【金曜日は過去の号を再録します】

○柔道57K級の松本薫がリオ五輪で銅メダルを獲ったが、ロンドンで金の人は悔しさ半分で涙を堪えた。「今はこの銅メダルでも受け止めて帰りたい」とコメント。

 

○52K級の中村美里は北京と同じ銅で、「成長した自分でも勝てなかった」と言う。男子66K級の海老沼匡も銅で「情けない気持ちでいっぱい」と言う。

 

○何故だ。世界3位というのはもの凄いことなのではないか。新聞も何だ「銅メダルに終わった」とは何だ。


○おそらく「銅」という言い方がイケないのだ。「金」「銀」に対して相当な格下感が否めない。金=10点、銀=8点とすれば銅は6点ではなく、5点位の感覚だ。同じ非鉄金属でも、銅にはどうしても十円玉のイメージがある。小銭の中の小銭だ。そうしたことからどうしても【小銭=小物】感がある。イメージは恐ろしい。

 

○だからJOCは、帰国した銅メダルにニッケルメッキして、500円玉感を出して授与し直すことをすればドウだ?(2016年8月9日号)

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,685号)

○高校の同級生・N君と飲んだ。当時「かつをぶし」という名のバンドで私はギター、彼はベース担当だった。

 

○よく玉突屋に行った。或る日、数名で玉突きをしていたが、N君がエエ格好をしようとして白玉をジャンプさせた。角度や運が悪く、台のフェルトが三画形に破れた。

 

○店の壁には「マッセ禁止、台の損傷罰金1万円」と書いてある。50年前の1万円は高校生にとっては大金だ。我々はそそくさと会計をして店を出た。そこでN君が「時計忘れた」と言う。ここで戻るともれなく罰金の刑に遭う。時計を諦めようと言ったが、N君は店に戻ると言う。私(たち)は、仕方ないと思ったが、そのままN君を残して帰宅してしまった。

 

○あれから50年、そそくさと帰ってしまったことを詫びた。「探偵ナイトスクープに依頼して詫びようと思った」ことでN君も理解して呉れた。結局1万円を分割で支払ったらしい。嗚呼。

 

○本当の友達であればあのとき一緒に店に戻るべきであった。嗚呼友よ、本当に申し訳ない。ごめんやから許してください。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,684号)

○近頃ズボンの事はパンツというらしい。そうなるとあのパンツの事は何と言えばいいのか。あのパンツとはどのパンツか。嗚呼、このパンツか。イントネーションの違いで区別するのか。文字では区別し難い。ここではパンツではなくズボンでいく。

 

○私は同じ色、同じ形のズボンを幾つも持っていて穿く。毎日会う人がいたら「あのオヤジ、毎日同じの穿いてるじゃないの。まぁ不潔」と思われているのかも知れぬ。しかし、雑誌に『お洒落な人ほど、同じ服を、同じ組み合わせで、何度も着る』とある。わはは、俺じゃないか。しかしスティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着たのは「決断疲れ」を防ぐ為で、お洒落とは関係がない。

 

○とは言え、私はズボンを毎日穿き替えるアラブの石油王の様なことはしていない。月~水、木~土と週2本で遣り繰りしておるのだ。では、シャツは毎日洗濯するのにズボンは何故しないのか。下半身は上半身に比して発汗量が少ないからではないか。「そんなもん汗の量とは関係なく、毎日穿き替えるべきだわ」という人とはお友達にはなれません。えっ、先方から願い下げだって?屈ッ。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,683号)

○当欄でドキュメンタリー映画に於ける「事実」「真実」「実話」について考察した。朝日新聞に「写真は『真実』を写すか」という評論家・鳥原学へのインタビューが載った。

 

○フィルム写真の時代には「記録」としての重要な位置を確立した。そしてデジタルへ。記録としての「ストック」から「フロー」の時代に入った。

 

○スマホの普及によって状況は大きく変わる。高校生の4割が卒業アルバムの写真を加工したいと答えた。私もあの日に帰って加工をしたい。

 

○で「そもそも写真は必ずしも事実を写さないという実感があり」ますと、報道写真記者が言う。氏は「報道写真の倫理基準は間違いなく厳しくなってい」ると答えた。

 

○AIの登場で、更に状況は混沌化しているが、それに対して「コンテンツの透明性の向上」と「ファクトチェックの強化」を挙げた。

 

○そして「一枚の写真が時代を動かしたり、象徴したりする時代は終わりを迎えた」と言う。私が本多勝一のベトナム戦争関係の本でよく見た写真は、石川文洋が撮ったもの。石川文洋の写真は確実に時代を動かしたと思う。先日、石川文洋氏の訃報に接した。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,682号)

○2009年に放火殺人を犯した死刑囚の刑が執行された。死刑執行は昨年の6月以来。現在死刑判決が確定している死刑囚は100人で、内43人が再審請求中だ。

 

○何となくではあるが、私は死刑囚の数が少ないように思った。2020年以降の執行数は6人。大量に執行して100人が残っている訳ではない。

 

○2024年、殺人は970件起こっている。殺人事件犯の大半は死刑判決になっていないのではないか。例えば人口が日本の約3倍の米国には年間1万7千件の殺人が起こり、死刑囚は20倍の2千人いる。

 

○日本の場合、永山則夫の判例が基準となっているらしい。3人以上の殺人で死刑、2人で半分程度が死刑、1人でも死刑の場合もある等。命を奪われた方からすると1人も3人も関係ない。あまつさえ、未解決の殺人事件は369件ある。

 

○死刑の次に重い刑罰として「無期懲役」があるが、30年等で仮釈放の制度がある。再犯などの危険性などを考えるとGPSなどの電子監視の導入と共に「終身刑」制度を採り入れるべきではないか。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,681号)

○映画で「事実に基づいた物語」とクレジットされる場合がある。「事実」が「真実」や「実話」の時もある。「事実」は1個で、「真実」には複数の解釈があるらしい。

 

○例えば「どうすればよかったか?」や「ゆきゆきて神軍」などのドキュメンタリー映画は事実と言えるのか。当然、同じ作品を観ても観客の受け取り方や感じ方は違う。あまつさえ「ゆきゆきて神軍」で監督の演出がゼロとは言い難い。

 

○昨年1月の当欄で「どうすればよかったか?」を取り上げた。そして「その問いには、うまく答えられない」と書いた。この映画上で演出は難しい。しかし一日24時間撮ってはいない。例え24時間撮っていたとしても、360度撮れていない。例え360度撮ったとしても、それで事実が撮れたとは言えない。

 

○要は主観だ。どこのいつの誰の何を撮るのか。ドキュメンタリーとは言え、主観を免れることは出来ぬ。では客観的視点も入れればよいではないかということになるが、そうすると「客観的に撮るとはどういうことか問題」と共に、興味深さが削がれるように思う。どうすればいいのか? 考え続けるしかない。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,680号)

○お風呂でラジオを聞く。防滴ラジオを買ったとき高いな、と思ったが、今は「安~い💛」(by保科有里)と思う。

 

○NHKのAM放送を聞いていると「気象通報」という時間帯がある。「日本のはるか東の北緯37度、東経156度には発達中の低気圧があって…」というのを延々伝えている。そこは北太平洋のど真ん中だ。

 

○これをお風呂で聞いていると溺れそうになる(嘘)。船舶関係者には貴重な情報か。以前にはこの放送は無かったように思うが、果たして今春ラジオ第2放送が廃止され、そこで放送していたものらしい。

 

○朝日新聞「耕論」にて「ラジオ第2がなくなって」を特集した。哲学者の小野純一は、語学講座の移管と再編に「ショックを受けてい」るという。元アナウンサーの青木裕子は「ラジオ第2で各地の風や天気、気温・気圧を読み上げる気象通報も担当し」たらしい。おぉっ。そして「漁業などの関係者にとっては大事な情報」だと。やはりそうだった。

 

○その上で「公共放送はもうけを第一にしてはいけない」(小野氏)、公共放送の役目として「注目されなくても、お金にならなくても、大切だからやり続ける。それが今一番問われている」(青木氏)とした。激しく同意する。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,679号)

○映画「オークストリートの異変」。1980年代、アメリカの普通の町がエラいことになる。一夜にして町が、恐竜がうじゃうじゃ居ることになる時代になってしまう。

 

○一家は、何とか生き延びようとするが、そこは80年代。あまつさえ80年代の前半。インターネットも携帯電話もぎりぎり無い。父母と姉、弟の4人家族は一致団結して逃げ出そうとするが、これが出来ない。近所の人は恐竜の餌食となっていく。

 

○最新の恐竜映画ではあるが、昭和時代の小さな町なかの出来事だ。恐らく「ジュラシックパーク」シリーズの100分の1予算だと思う。(失礼)だからと言って面白くないわけではない。個人的には「ジュラ」シリーズよりも興味深く観た。

 

○母をアン・ハサウェイが演じる。予算の大半は彼女のギャラではないか。(失礼)父は「僕イケメン」の狩野英孝似の役者。アンの100分の1のギャラだと思う。(失礼)よく見ればユアン・マクレガーじゃないかっ!失礼、失礼、大失礼。

 

○だからと言って面白くないわけではない。ホントにおもろいよ。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,678号)
 

○映画「シラート」。レイブパーティに参加している娘を探す父と息子。「レイブ」とは、強いビートと振動の強い低音域の波動によって踊り、ラリるフェスというか、パーティのこと。会場はモロッコの砂漠。

 

○昭和の終わり、仕事の関係でエールフランス機でフランスに十数回行った。ひじ掛けの穴にイヤホンを差し込んで流れて来る音楽の中に低音だけのビート音のチャンネルがあった。今から考えるとあれがレイブで使われていたような音楽だったか。

 

○閑話休題、この会場には娘はいない。次の会場にいるかも知れない。会場と言ってもアフリカ・モーリタニアのどこかだ。果てしない砂漠から危険な山岳地帯を一介のワゴン車で行く。

 

○剥き出しの山岳には道があるとはいえ「恐怖の報酬」級の危険な細道だ。案の定、エラいことが起こる。

 

○西アフリカのそのへんには今も地雷原がある。一緒に移動していたグループが次から次へとエラいことになる。

 

○「シラート」は「死後、魂が渡る橋」のこと。死後はどうでもええが、痛いのはアカん。強烈なビートと共に強烈な印象が残る。

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「神戸ニニンガ日誌」(第3,677号)

○芦屋囲碁サロンに行って人生初囲碁を体験した。主宰されておられるN九段とお出会いがあって「もしご興味がお有りでしたら、1度手ほどきをさせて頂けたら」と仰ってくださり、その言葉に素直に従った。

 

○昭和の生家には、将棋盤と脚付の囲碁盤があった。父親などと将棋や囲碁をしたことはなかった。将棋盤では「ひょこまわり」、囲碁盤では「五目並べ」をしていた。

 

○N九段は、ど素人の私たちにも「9路盤」を使い優しく教えてくださった。正式は19路盤で、交点は361ある。黒石は那智黒石で、白はハマグリだ。囲碁は白黒の陣地取りゲームだが、それだけに奥が深い。

 

○N九段は、枠(大)と枠(小)を使って、見立てを教えてくださった。一手で大きく展開が変わる。どこを見るのか。目先のことだけではいけない。

 

○ロシアのウクライナ侵攻が終わらず、米のイラン攻撃も続く。これに枠(小)を嵌めると、カスピ海を経てつながり、枠(大)を嵌めると黒海を経てつながる。非常に危険だ。

 

○大局や先を見る目が養われる。9路盤詰碁から覚えていこう。面白い!

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。