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まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

何の役にも立たないが、特段面白い訳でもない。ましてや間違っても何かの為になど毛頭ならぬこと十全に請合う。勿論誰がどうみても上品であるはずもなく、履歴書に読者と書けば間違いなく不利となる。有閑男が白昼夢で口走る400字の戯言寝言放談放屁。それが神戸ニニンガ日誌

「神戸ニニンガ日誌」(第3,298号)

○映画「アイミタガイ」。黒木華が主人公・梓を好演した。中学校からの親友・叶海が急死し、暗く深刻になりがちな自分の性(さが)を探す。

 

○私は中学校に入って自分を表現できないことに苦しんだ。3年間を無為に過ごした。そして高校に入ってようやく友達が出来た。

 

○梓は、亡くなった叶海にスマホのメッセージを送り続ける。岩手・大槌町には線のつながっていない「風の電話」ボックスがある。「想像ラジオ」(いとうせいこう)では、無念に散った人とラジオ電波で交感する。

 

○「アイミタガイ」は「相身互い」だ。意味としては「情けは人の為ならず」や「因果応報」に近いと思う。優しさと思いやりを持って続けたことには必ず報いがある。高校の友達とは半世紀を経ても連絡がある。

 

○「風の電話」には「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい」と書かれてある。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,297号)

○「大阪広報共創塾」を開催。神戸で開催しているものを大阪で実施して今回で6回目。高知、東京でも開催中。大阪は前回(第5回)よりNTT西日本との共催である。前回のテーマは「B2B企業の広報」「炎上対策」だった。

 

○今回は「情報の集め方・ニュースの作り方」がテーマ。フェリシモ・広報部の中島健太郎さんをお呼びした。PRTIMESに年間400本以上リリースする会社の広報専門部員で初代「プレスリリースエバンジェリスト」に認定されている。

 

○やはり社内でのコミュニケーションがベースにあり、多様な情報が集まるように仕組化されていた。また、リリースに現物を付けるなどの工夫も紹介。11月11日が「おそろいの日」記念日なので「おそろい」での仕掛けも披露された。

 

○参加者からは「新たな視点を持てた」や「より深くやれることがみえた」という感想を得た。

 

○私が考える広報の三大課題のひとつ「相談相手がいない」に対しても少しは貢献できたのかも知れない。何? マジメな話はオモロない? 屈ッ。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,296号)
 

○展覧会「線表現の可能性」(国立国際美術館)。チラシの「線は絵画の原点であると同時に、今なおその表現領域を拡大し続ける」とはどういう意味なのか。

 

○また「現実には存在しない輪郭線という概念が絵画の基盤となりました」と書いてある。確かに大半の絵画は輪郭線で描かれてあるがそれは現実には存在しない。

 

○輪郭を9Hの鉛筆で描き、着色後に線を消すという技法の絵画があったとする。それは或る意味写実作品である可能性はあるが、絵画作品としての見え方としては如何なものか。

 

○線で思い出すのは①浅葉克己さんだ。浅葉さんにトークライブ「神戸学校」に登壇していただきたくて、事務所にお伺いした。文字や線に並々ならぬアプローチをかけていた浅葉さんは、或る日1ミリの中に線が10本引けるようになっていたという。

 

○また②具体美術協会吉原治良は「円」を芸術に昇華させた。①や②のエピソードの紹介や展示もあってほしかった。

 

○それでも「線」をテーマにしたこと自体は本当に素晴らしい着眼点だったと思う。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,295号)
 

新語・流行語大賞のノミネート語が発表された。30語の内分かったものは14語。こんなもんでしょ、おっちゃんなんだから、フンッ。

 

○一番わからんのは「ふてほど」と「はいよろこんで」だ。分かるのが14だから残り16は分からんのだが「やばい、かっこよすぎる俺」や「もうええでしょう」は誰かのコメントだろうし「Bling-Bang-Bang-Born」はバンド名のようなものかと察しがつく。知らんけど。

 

○ひょっとして「ふてほど」は「ほどほど」の進化形か。「もうそこらへんでほどほどにしておいたらどうなの」が20回目で「コラッ、ふてほどにせぃっちゅうとるやろが」になるのではないか。

 

○若しくは書道教室で、若い女先生に「筆はどこですか?」と尋ねたが、若い女先生はブルボンのアルフォートを夢中で頬張った瞬間だったので「筆、そこ」と言ったつもりが「ふて、ほど」になるのではないか。

 

○私が書道教室の生徒であれば「はい、よろこんで!」と言って筆を取りに走るよ、書道の若い女先生のために。莫迦だねぇ。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,294号)

雫井脩介「望み」。高一の規士(ただし)はサッカー部を辞めてから家庭内でも反抗的になる。

 

○或る日家を出たまま帰らない。近隣で事件があり、規士の友人・与志彦が遺体で発見。逃亡した男子は2人だが、行方不明者は3人。息子は加害者か被害者か。殺人犯か、殺されているのか。

 

○母親は前者であっても生きていて欲しいと願い、父親は加害者ではないと信じようと苦しむ。少年同士の仲たがいが生じ、金銭と不良グループが絡み、事件は起こっていた。

 

○調査「児童生徒の問題行動」では、22年度の小中高生による暴力行為は、前年から25%増の9万5千件。20年前の約3倍で、過去最多だ。生徒間暴力、器物損壊、対教師暴力。

 

○携帯電話の普及で通報量の増に幾ばくかは関連していると思う。要因の多くはSNSが関係しているのではないか。

 

○豪州では首相が子供のSNS禁止を表明、仏では政府が11歳までスマホ禁止を提言、スペインではスマホは16歳からに規制するという。日本では野放図にサービスが広がるが、本当にそれでよいのか。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,293号)

○映画「リトル・ワンダーズ」。16ミリフィルムで撮られている。画面の色とザラつき感が懐かしく、これぞ映画だと心の中で叫ぶ。

 

○3人の悪ガキが、日本製のゲーム機を盗み出す。ゲーム機「OTOMO」は「AKIRA」の大友克洋へのオマージュだ。悪ガキ共が乗るバイクには「AKIZUKI」のマークが。黒澤明「隠し砦の三悪人」の秋月家へのリスペクト。悪ガキのリーダー、アリスのTシャツに描かれた少女は「マッハGoGoGo」の志村ミチをイメージした。

 

○事程左様に、監督のウェストン・ラズーリは、日本のそういうもの(どういうもの?)がオタク級に大好きなのだ。

 

○悪ガキなので、悪い。ゲームで遊ぶため、お母さんの好きなパイを作ることになるが、材料は万引だ。しかし、上に塗る卵を手にいれるためにエラいことになる。

 

○私は小学生時分に戻る。「できないことはない」という思いこむ或る意味アホな一瞬。夢と希望と失敗と絶望と友情と愛情への好奇心がカワいカッコよく描かれた。もう一回観たいで、おっちゃんは。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

 

「神戸ニニンガ日誌」(第3,292号)

○BS放送では高齢者向けCMが多い。白眉は「夢グループ」か。石田社長と専属の保科有里がコントというか寸劇をする。有里が「社長~っ。」と駄々をコネるとあら不思議、4万円のパネルヒーターが1万円になる。視聴者(私)は「バフッ」となってうどんが鼻に入る。

 

○よく考えると、売る側の二人が持ち上げた価格を平常に戻すという猿芝居なのであるが、高齢者(私)はうどんが鼻にいき、電話しそうになる。夢グループは年商100憶超の優良企業だ。

 

○事程左様に、令和の当節でもミーハーでベタで単純明快な売り方が受けておる。社長に至ってはCDは「シーデー」で、DVDは「デーブイデー」だ。これでいいのだ。

 

○よく考えるとおっちゃん社長と派手な秘書という構図は、森繁久彌の「社長シリーズ」時代から変わらない。しかし、今やカマラ・ハリス高市早苗の時代だ。

 

○私であれば「希望グループ」を起業し、あき竹城似の中年女性社長に城みちる似の専属歌手を使う。何? 例えが古すぎてイメージが湧かない? 屈ッ。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,291号)

○私の末端はお粗末だ。粗末な末端。粗末末端、惜しい。何が「惜しい」のだ。わけわからん。

 

○24歳で中型二輪免許取得のために関目自動車学校に通った。バイクというのは右のレバーで前輪ブレーキがかかり、左でクラッチを操作する。ほんでもって排気量400ccのバイクって結構デカいのよ。

 

○ヘルメットを被り手袋をして乗る。クラッチを握って足でギアを入れる。その握らねばならないクラッチに小指が届かない。教官に「全ての指で握るように!」との一喝が入る。物理的に届かないので仕方ない。試験は一発で通った。事程左様に、手が小さい。

 

○部屋を整理しているとティファニーのボールペンが出てきた。思い出した。明治38年生で99歳で大往生した祖母に「綺麗にして芯も入れ替えて」と頼まれてそのままになっていた品だ。不良な孫だ。

 

○婦人用で通常より2センチ程短く軸も細い。ナガサワさんで中身を買い使っている。これが私の小手にしっくりぴったりとくるのだ。味のある字が書けるような気がする。ありがとう、おばあちゃん。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,290号)

○ラジオ深夜便で津野海太郎が「我が人生は読書とともに」をテーマに話す。

 

○本を電子化することで文字を大きくすることが出来る。音声化することで視覚障碍者も読むことが出来る。未来の本は、本の未来はどうなっていくのだろう。

 

○紙か電子かという議論ではなく(いつまでも)平行線でいった方がよいのではないか。紙には紙にしかできないことがある。線を引く、破る、パラっと戻る。棚に並べて愛でる。誰かに譲る。時代と共に文明は進むが、テレビができたからといってラジオが無くなったわけではない。

 

○海太郎さんは蔵書を5百~1千冊に減らそうとしている。そうでないと今後家族に迷惑がかかる。

 

○98年に美智子皇后が国際児童図書評議会で講演した。曰く「そして最後にもうひとつ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」。海太郎さんはこの言葉を大切にしている。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。

「神戸ニニンガ日誌」(第3,289号)

○公明党が大阪で全敗した事には驚いた。今までそんな事はなかった。石井代表と佐藤副代表も共に敗れた。新聞は「支援者の高齢化」と書いた。

 

○現状を変えないと。私は「与党以外に入れる」ことを決めていた。選挙区ではN氏に入れた。N氏は「7万7905票」で当選したが、私がI氏に入れておれば「7万7904票」となっていた筈だ。これは超リアルだ。

 

投票率は53%。有権者は1憶人居るのに。選挙権という権利を放棄するのは何故だ。「権利」が行使できる数少ない機会をスルーするのは何故だ。社会に参画しようとしないのは何故だ。

 

○棄権理由は「興味がない」「投票したい人が居ない」か。私はそれでも行く。より悪くない方に入れる。私は吝嗇なので与えられたものは使う。

 

○私がここで「何故だ」というのは、閑散とした集会に来ている人に「なぜみんな来ないんだ」と言う様なものだ。

 

○入れたい人が居なければ白票を投じればいい。棄権と白票は違う。それも意思表示だ。それを知ったとて、行きたくない人は行かないんだろうな。

ⓜⓐⓓⓐⓘⓜⓐⓓⓐ まだいまだ。