映画とは記録で記憶そのものだ@スクリーン吊り両側で見る | まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

まだ?いまだ!神戸ニニンガ日誌

何の役にも立たないが、特段面白い訳でもない。ましてや間違っても何かの為になど毛頭ならぬこと十全に請合う。勿論誰がどうみても上品であるはずもなく、履歴書に読者と書けば間違いなく不利となる。有閑男が白昼夢で口走る400字の戯言寝言放談放屁。それが神戸ニニンガ日誌

「神戸ニニンガ日誌」(第2,742号)
 

○「ワン・セカンド」という映画をみた。中国の巨匠・チャン・イーモウ監督作品。「映画を見た」という気持ちになった。しかも映画館で映画を見て良かった、という気持ちになった。冒頭の砂漠のシーンだけでも価値がある。

 

○時代は1960年代。脱走犯は、ニュース映画に娘が映っていることを知り、村に見にくる。フィルムを巡り貧しい家の少女との出会いがある。

 

○村人の楽しみは時折行われる映画上映会。吊られたスクリーンの両側から鑑賞するのだ。杜撰な運搬でフィルムの缶が開き、フィルムが泥まみれになる。村人全員でそれを解し、洗う。それ自体が夢のような光景だ。

 

○男は娘が見たい、少女はフィルムでランプのシェードを作りたい。「フィルム」を巡る攻防は滑稽で泣ける。評論家の大久保清朗は、成瀬巳喜男の「なつかしの顔」に内容が酷似しているという。その作品も見たい。

 

○とまれ「ニュー・シネマ・パラダイス」を超える映画愛が詰まった映画が誕生した。

まだいまだ。