左川ちか-夭折のモダニズム詩人
余市(よいち)出身の詩人・左川ちかについて昔書いたWEB日記の文章を纏めてみた。
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2005-02-11
夭折のモダニズム詩人
左川ちかに興味を持った関係で、その周辺を少し調べてみようと思っている。
左川ちか(さがわ ちか、1911-1936)。本名は川崎愛。愛は「ちか」と呼ぶ。通称では「あい」と名乗った。北海道余市町出身の女流詩人。20歳代半ばで世を去った。没後、『左川ちか詩集』(昭森社, 1936.11)が編まれた。他に『左川ちか全詩集』(森開社, 1983.11.27)がある。
彼女の詩を二編引こう。(『左川ちか全詩集』より)
「錆びたナイフ」 左川ちか
青い夕ぐれが窓をよぢのぼる。
ランプが女の首のやうに空から吊り下がる。
どす黒い空気が部屋を充たす―― 一枚の毛布を拡げてゐる。
書物とインキと錆びたナイフは私から少しずつ生命を奪ひ去るやうに思はれる。
すべてのものが嘲笑してゐる時、
夜はすでに私の手の中にゐた。
* * *
「緑」 左川ちか
朝のバルコンから 波のやうにおしよせ
そこらぢゆうあふれてしまふ
私は山のみちで溺れさうになり
息がつまつていく度もまへのめりになるのを支える
視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする
それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる
私は人に捨てられた
これまで、私は戦前のモダニズム詩にはほとんど興味を持っていなかった。北園克衛や春山行夫といった日本のモダニズム詩の代表的詩人は、都会的なエスプリは感じられたものの、正直なところ、私の<音叉>には共鳴しなかった。
だが、左川ちかは、モダニズム詩の流れに属しながら、実は彼らとは本質的に異なる資質を持った詩人だったのではないか、と私は思う。
モダニズムの洗礼を受けた硬質の表現スタイルとそれを食い破るような情念との拮抗が、彼女の詩に強度を付与しその世界を生動させる。彼女のイマジネーションは、おそらく彼女の身体的実存に根ざしている。そして同時に、彼女はそれを一段高いレベルで詩的言語に統合し、ぎりぎりの間合いで制御する。それが彼女の詩の魅力だと思う。
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この文章を記した少し前、シュルレアリスム関連の書籍を中心に扱っていた古書肆マルドロールという無店舗古書店のカタログで森開社版の『左川ちか全詩集』(1983)を見つけた。森開社という知る人ぞ知るプライベートプレスから刊行された際に、何冊かまとめて仕入れたもののようだった。当時、左川ちかについて詳しくは知らず、購入を決めたのはほぼ直観だった。届いた書籍にざっと目を通して、「こんな詩人がいたのか!」と驚いたものだった。それから資料探しが始まった。
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2005-02-14
左川ちか
「えこし会」という文芸グループが刊行しているフリーペーパー「えこし通信」の創刊準備6号(2004.3.14)が届いた。「天才詩人左川ちか小特集」と題して、座談会、評論、年譜、文献資料などが掲載されており、取り掛かりとしては最適の資料だと思う。
なお、『左川ちか全詩集』(森開社)は一般のルートでは入手できないが、今なら古書肆マルドロールで購入できる。
「青い馬」 左川ちか
馬は山をかけ下りて発狂した。その日から彼女は青い食物をたべる。夏は女達の目や袖を青く染めると街の広場で楽しく廻転する。
テラスの客達はあんなにシガレツトを吸ふのでブリキのやうな空は貴婦人の頭髪の輪を落書きしてゐる。
悲しい記憶は手巾のやうに捨てようと思ふ。恋と悔恨とエナメルの靴を忘れることが出来たら!
私は二階から飛び降りずに済んだのだ。
海が天にあがる。
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その後、 森開社の『新版左川ちか全詩集』(2010)と『左川ちか翻訳詩集』(2011)、英訳詩集『he Collected Poems of Chika Sagawa』(Modern Library, 2020)、『左川ちか全集』(書肆侃侃房, 2022)等が続々刊行され、2023年にはついに岩波文庫版の『左川ちか詩集』が出た。
『左川ちか資料集成(増補普及版)』(2021)と『左川ちか資料集成別巻 左川ちか文聚』(2022)。いずれも東都我刊我書房刊。
『左川ちか資料集成(増補普及版)』では文芸誌等の原典資料を紙面復刻している。別巻はそれを活字化したもの。
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2006-03-11
根雪が溶けてきた
[書籍] 富岡多惠子 『さまざまなうた―詩人と詩』(文藝春秋, 1979.4.15)
この評論集は、後に文春文庫や筑摩書房から出た『富岡多惠子集 7 評論』にも収録されたが、今ではどれも品切れで古書でしか入手できない。私の目当ては左川ちかを論じた「詩人の誕生――左川ちか」だった。いま、この部分をざっと読んだところなのだが、詩人である小松瑛子の「黒い天鵞絨の天使(左川ちか小伝)」が左川ちかに寄り添うように評するとするなら、 富岡多惠子の評論は、左川ちか、伊藤整、そして彼の妻の関係をいわばロジカルなモデルに再構成しようとする。まさしくある種の小説家の手つきだ。
伊藤整の「若い詩人の肖像」に左川ちかは川崎愛子という名前で出てくる。 (中略) 伊藤整は<面長で目が細く、眼鏡をかけ、いつまでも少女のやうに胸が平べつたく、制服に黒い木綿のストッキングをつけて、少し前屈みになって歩い>ていた友人の妹に、学生時代の恋愛をちょっとからかわれているようなところがあるのだった。
結婚した恋人の前に(と同時にその家庭の中へ)、翻訳を見てもらったり、詩の話をするというように文学を武器にしてのりこんでいった左川ちかは、その男の文学や仕事のもう片側にある生活を見なかった。見えなかったと同時に、おそらく敢えて見なかった。男には文学のもう一方にも家族とともにする非文学の生活、日常もあった。そこには男の妻たる女の主人公もいた。そこのところを左川ちかは見ようとしなかった。
この詩人には恋の詩はない。はたして伊藤整の伝記作家がいうように、伊藤整との関係が世にいう恋愛だったかどうか。左川ちかが伊藤整のアパートをしばしば訪ね、或る時はふたりのいるその部屋にデンキの消えていたことがあったりしても、それが恋愛だったかどうか。
そこに恋愛感情もあったろうが、その実践は彼女の詩に必要だったからである。彼女も詩人であるからには、自己への残忍と同時に、必要な他人にも残忍であったはずである。だからこそ、このひとは作家伊藤整の恋人ではなく詩人左川ちかであり得たのである (中略) もし真実、このひとが兄の親友である詩人と恋愛したとしても、その恋愛はこのひとの詩人が必要としたからであった。男に恋するよりも、兄の親友である詩人のもつ才能のありかを恋愛によってうかがうことで、自分の詩を見きわめる必要があった。そして男も必要であった。その男は女の死後、いっさいなにも女について、また<わかい女>の詩人と詩について書かぬはずである。
私は、富岡多惠子のこの解釈に違和感を持つ。個人を超えた「詩人」が形而上学的な実体として存在するわけではない。個人である詩人が詩人である個人として生きる時、詩が生まれるのだ。
また、失恋後の左川ちかの態度については別の解釈が可能だ。伊藤整の結婚という突然の状況の変化に対して、彼女は対応できなかった。彼女がそれまで恋人だと信じてきた相手は、兄の親友であり、詩作や翻訳の相談相手であった。彼が他の女と結婚したからといって、彼の前から消えることなどどうしてできる? 彼女には、それまでと同じように親しい態度をとり続けることしかできなかったのだ。しかし、そのことは相手の元を去ること以上に彼女の心を引き裂くだろう。伊藤整はおそらくそれを分かっていたのだ。
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上で言及した小松瑛子の「黒い天鵞絨の天使(左川ちか小伝)」は、「北方文芸」(第5巻第11号, 1972.11)に掲載され、後に文芸誌「江古田文学」(2006年秋号)に再録された。今は、「詩人の誕生―左川ちか」とともに、↓の『左川ちか論集成』で読むことができる。
右から、 川村湊・島田龍(編)『左川ちか論集成』(藤田印刷エクセレントブックス, 2023)、川村湊・島田龍(編)『左川ちか - モダニズム詩の明星』(河出書房新社, 2023)、川崎賢子『左川ちか 青空に指跡をつけて』(岩波書店, 2025)。
今回の風景写真は、余市町の海岸(浜中・モイレ海水浴場)。
(左川ちかに寄せるのであれば、田園風景が良いのだが…。)




