適応を求めての失敗 または認知の歪んだ専門家 | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

調査報道・新世紀 子どもを狙う盗撮・児童ポルノの闇(前編) - NHKスペシャル - NHK

性犯罪、特に子供に対するそれが良くないものであることは論を待たない。だが、犯罪とされるものの多く(もしかしたら全てかも?)がニューロダイバシティ(脳・神経の多様性)に根差していることもまた実感するのである。

 

多様性と社会性 | ひらめさんのブログ (ameblo.jp)

以前のブログで述べた通り、多様性(遺伝的特質の尊重)と社会性(犯罪を許さない)は対義的なものである。だからこの両者を100%実現することは不可能で、そのバランスを探ることだけが可能な選択だとするのが私のスタンスである。

 

そんな意味で”悪”と断罪されてしまう加害者の声に耳を澄ましてみたいのだ。それが聴けたのがこの番組の収穫であった。それは12年前まで子供への露出行為を繰り返し、何度も逮捕されたことのある50歳代の男性の発言である。

 

彼は小児麻痺で足が悪く学校ではいじめに遭っていた。男性としても人間としても非常に劣っている恥ずかしい存在だという自己認識を持っていた。そんな彼が勃起した性器の露出行為によって子供から「怖い」という感想を得たのである。

 

”『怖い』って言われるのは力がある。自分に男としての力があることの証明みたいな感じになって、嬉しかったことを覚えています”

 

私は「怖い」などと人から思われたくはない。だから最初はよく分からなかった。しかしこれは、ステレオタイプな見られ方から逃れるために必要なことだと気が付いた。

 

例えば私にはこんなことがある。時折”正論”を言わざるを得なくなるのだ。この場では正論を言う”使命がある”とまで感じてそうしてしまうのだ。それは当然煙たがられ、結果として私の鬱の原因にもなってきた。そこで適応的な生存戦略として見出したのが「親切」であることなのだ。

 

自分で言うのも何だが、私は結構親切である。それは自分に可能な、「正論をかます理屈屋」というイメージを相殺させるためのイメージ戦略なのである。必ずしも成功している訳でもなく、いまだに鬱に悩まされることも無くは無いのだが、私にとっては最善の方法なのだ。

 

先の小児麻痺の彼も、その”弱者”イメージを相殺するためには「怖い」と見られることでバランスをとろうとしていたのだ。だから彼を犯罪者にさせないためには、合法的なイメージ戦略を見つけることなのだ。

 

だが、番組には”加害者自身が歪んだ考えを自覚する必要がある”とする斉藤章佳氏(精神保健福祉士・社会福祉士)も登場する。この例に対しての直接の発言ではなかったかもしれないが、以前のブログでも私は氏の手法を批判した。認知行動療法の過信である。

小児性犯罪~当事者たちの証言 Ⅱ | ひらめさんのブログ (ameblo.jp)

 

斉藤氏は言う。”よくこれは対象を「モノ化」するという表現を使いますけど、いろんな性加害者にヒアリングしていくと、一番多いのは「モノとして見ていました」(中略)対等な人間と思っていたらもちろん性加害は出来ない訳で、認知の歪みは無くすことはなかなか難しくて出てきてしまうんです。ただその考えが出てきた時に、それに対する反応の仕方は選択出来るんです”

 

まず突っ込むべきところは「対等な人間関係」を大事にすべきとしながら、加害者を「対等な人間」として見ていないことである。犯罪者という「劣った人間」として見ている訳だが、これは氏が批判する被害者を「モノ化」していることと大差ないではないか。一般人がそう思うのは構わないが、氏にとっては抑止改善させる立場である自覚が必要だろう。

 

そして後半の「認知の歪み」だ。以前にも批判したが、認知の歪んでいない高見に自分がいるという認識がそもそもの間違いである。斉藤氏も含め、認知などというものは全て歪んでいるものなのだ(もちろん私もだ)。

 

重要なことは、それが法律というルールに合っているか合っていないかの違いで、先述した通り”合法的”なイメージ戦略を見つけることこそに意味があるのだ。また、正しくない社会を批判すべくこうも言う。

 

”子供を性の対象として消費していいという学習をどこかでしている訳です。私は日本の社会の中に、それを肯定するような価値観がたくさんまだ残っていると思うんです。(中略)啓発とか報道の中で、もしくは性教育を地道にやる中で少しずつ変えていく必要があるのかなと思います”

 

たとえそんなことがあったとしても、社会の殆どの人は性加害者にはなっていないし、そんな主張がおおっぴらにある訳でもない。100%の正しさが実現されていないからこんな犯罪が起きると考える氏の思想こそが、新たな問題を生んでいくことだろう。バランスをとることしか出来ないことに、もうそろそろ気付くべきではないだろうか。