AI時代の鬱病観を見つけよ | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

NHKスペシャル 山口一郎 “うつ”と生きる~サカナクション 復活への日々~ - NHKプラス

私には2001年以来大きく分けて二回の鬱時代があったが、2年前に一応の寛解を迎えられている。この間にはフィクションとしてのAIが現実のものとなったように、脳科学的にも著しい進歩を感じて来た。

 

だが、かつて「こころの風邪」と呼ばれた鬱も「脳の異常」と言い換えられてはきたが、この番組を観て「まだここなのか」との思いも強かったのである。

 

鬱とはメモリ不足によるフリーズである | ひらめさんのブログ (ameblo.jp)

よく読んでくださっている方には「またか」と言われそうだが、「鬱はメモリ不足によるフリーズである」という私の持論に、世間はまだ追いついていないのだ。

 

いや、私は専門家でもないので、自分の経験以外にエビデンスは無いのだが、少なくともそう仮定すれば、この番組の山口一郎さん(サカナクション)には資するものがあると思うのだ。

 

山口さんはコロナ禍で音楽業界が低迷する中、奮闘し過ぎて鬱病となった。つまりメモリの使用量が限界を超えてしまったのである。それなのに休息して充分にメモリが回復するのを待たずに活動を始めようとしたことで回復を遅らせている。彼に私の”メモリ仮説”があれば少しは自重しようという気になったのではないだろうか?

 

いや、たとえそう理解出来たとしても音楽を続けたいと言う彼の気持ちもまた手に取るように分かるのだ。これは恐らくドーパミンに関わる行動なのである。山口さんにとっての音楽は私にとっての「考える」こととイコールなのだ。

 

私は、集中力があると言えば聞こえはいいのだが、答えの出ない問題をいつまでも考えてしまう癖がある。それはかつて限界を超えるぐらいにまで考えた結果、答えに結び付いた成功体験があったのではないかと思っている(当人の記憶に具体的に残っている訳ではないのだが)。

鬱とドーパミン | ひらめさんのブログ (ameblo.jp)

 

当然のことながら山口さんには音楽による成功体験があったのだ。だが、それは社会的成功以前の”音楽が好き”という原体験こそ重要なのだと思う。それを示唆する彼の言葉がこれだ。

 

「音楽って僕にとって仕事じゃないんですよね。たぶん仕事だったら簡単にやめているんですよ。仕事じゃないからやっかいなんですよね。すごくライトな言い方すると『趣味』重い言い方をすると稚拙ですけど『人生』になるっていうか。音楽しかないんですよね 自分に。音楽以外何にもないっていうか。」

 

この「音楽」の部分を「考えること」とすれば正に私に当てはまる。幸いなことに私は学者でも何でもないただの掃除夫なので、彼のような葛藤が殆ど無いのが幸せかもしれない。重く言えば人生である「考えること」の発表の場であるこのブログも、金銭的には無価値であるから正直な思いを書いていれば済む。

 

だが、山口さんにはファンの期待するものと自分の表現の間に齟齬があったのではないだろうか。メジャーデビュー前のバンドメンバーの原康之さんは、東京に行く直前の山口さんをこう評している。「変わってたんですよ その時もう一郎は。全然違う感じになってたんですよ。”まとって”ましたね すごい重たいマントというか」

 

自己実現のために自分自身を変えるという、半端なくメモリを消費する”演じる”選択をしたのだ。結果として商業的にも成功し、そのことは成功体験として本能に記憶されたはずだが、原体験による素の”音楽好き”との両立が難しかったという可能性も考えられる。

 

私の場合のそれは結婚だった。愛する妻との生活、生まれた子の笑顔は何物にも代えがたいものだった。良き夫良き父になろうとした。だが、「考える性癖」は私のアイデンティティなのだ。健康な家庭人たるには、眠らずに考え続けることなど両立できないのである。こんな思いの諸々がメモリを占めていったのだ。

 

そして私は鬱を発症した。”メモリ仮説”をまだ獲得できていなかった当時の私は「離婚しよう」とも「離婚したくない」とも言った。何が問題なのかが分からなかったからである。結果としては離婚する(当時は不本意だったのだが)こととなり、単身生活を続けた中(メモリに空き容量が出来て)回復に漕ぎつけたのである。

 

山口さんに必要なのは、元バンドメンバーの原さんが言うことに尽きる気がする。「もう重いマントは手に入れてるんで、壊れる前にうまいこと脱いだり着たりしようねって」いうことだ。例えばそれは積極的な意味でのソロ活動かもしれない。

 

洋楽しか聴かない私なので、サカナクションの音楽を殆ど知らずに書いてきた。ファンの方には異論もあるだろうが、”うつ”と生きる先輩としての老婆心と思って頂きたい。