鬱とはメモリ不足によるフリーズである | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

ちょっと更新が遅くなった。去年の暮れのデルタ株収束でバイト先の同僚が本来の仕事に戻ってしまい、人員不足でシフトがハードだったのである。私は結構真面目な性格で、たかが掃除夫のバイトなのだがコンディションを整えたり(もちろんコロナ禍でのリスキーな仕事だというのもある)して時間が取れなかったのである。

 

こういう勤勉、几帳面、仕事熱心な性格をメランコリー親和型といい、旧来から鬱になりやすい傾向を指摘されてきた。現在の私は寛解を目前に減薬を進めているところだが、欲張らずに余裕を持ったスケジュールを組まないと何かのアクシデントで鬱が再発するかもしれないと感じている。

 

この感覚はパソコンのメモリ不足と酷似している。たくさんのソフトを開いていると動作が遅くなり、最悪フリーズしてしまうというあれである。つまりタイトル通り、鬱とはメモリ不足によるフリーズだと感じていたのだ。しかし主治医をはじめ複数の精神科医、臨床心理士に尋ねてもそれらを結びつけて考察するようなことは無いようなのである。

 

実感としてはあまりにも当たり前に思えるこのことなのだが、確かに検索してもぴたりと一致するようなページに出会わないのが不思議なくらいだ。だから再度明言したい。鬱とはメモリ不足によるフリーズなのである。鬱というと、どこか情緒的なニュアンスを感じるが、それは思考、行動が出来なくなったことによって生じた困惑、悲嘆であって二次的なものだ。鬱本体は単なるフリーズという”状態”のことなのだ。

 

私は精神科デイケアに通っているが、そこには難治性というのか鬱を長引かせている人がたくさんおられる。彼等は抗うつ薬があまり効いていないようなのだが、私にはトラウマだとか成功体験が無いとかいった心因性の問題が解決しないからだと感じるのである。かく言う私も今回鬱を拗らせたのは、眠剤の副作用による記憶障害でのトラウマだったのだ。それが解決したら抗うつ薬で解消されなかった不安が嘘のように無くなったのである。

 

そんな経験からデイケアで親しくなった人たちと心因的な問題を分析、解決しようとカウンセリング的な視点での話し合いをしている。もちろん心理学は下手の横好き程度の知識でしかないが、時として人間としての価値を露呈してしまいそうな(つまり未熟であるとかの)問題を、見下げることなく分析するには患者同士の対等性が活きてくる気がしている。

 

最後にメランコリー親和型性格が何故鬱になりやすいかというと、それは基本ソフトであるOSが几帳面で重いのでメモリを食ってしまうという理屈なのだと思う。逆にいわゆる新型うつとか非定型うつとかいう一見深刻に見えない症状でも、メモリさえいっぱいになれば動作しなくなる(つまり鬱になる)のは当然のことだと言えよう。