住民の義務と障害を秘匿することの狭間で | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

 

 

なかなか更新の余裕が無い。少し前のニュースだが、原告被告両方の立場で考察できる境遇だったので書いておかねばならないテーマである。大阪の市営住宅に一人で暮らす知的・精神障害を持つ男性(36歳)が、令和元年11月に自治会の班長選任を避けるために障害の内容を書かされ、その翌日に自殺したという事件だ。これを両親が障害を明かす文書を書かされたことによる自殺だとして損害賠償を求めたものである。

 

大阪地裁の林潤裁判長は、自治会側の対応を違法と認定し、精神的苦痛への慰謝料などとして計44万円の賠償を命じたが、男性が後の集会で住民にあいさつをして理解を求める予定だったことが心理的な負担になった可能性もあることなどから、「自殺に至ることは予見できなかった」として因果関係は認めなかったのである。

 

私も彼と同じ一人暮らしで、鬱闘病中の記憶障害から若年性認知症を疑い、成年後見制度を真剣に考えたことがあった。これはそうそう他人に明かせることでは無い。そして、順番通り自治会の役員に選任されることにもなってしまったが、私はなんとかこなせるだろうと受諾したのであった。

 

結果としては記憶障害は睡眠導入剤の副作用によるもので一過性のものであったようだし、自治会に参加することで、記憶の無い間に近隣に迷惑をかけたかもしれないという不安(これがトラウマだった)も払拭された。だから私は寛解に向かっているのだが、障害の渦中にある時は彼と大差が無かったといまも思うのだ。

 

以下JIJI.COMのコメントから引用

ID: 0b8276

こういう件をみると、実際の損害や名誉棄損の額ではなく、犯罪相当ならば被った客観的損失額x3倍の懲罰的賠償を日本も当然導入すべきだと思う。44万円は被告側に甘すぎる。報道など社会的制裁をもってしても、社会正義にもとる。

 

ID: 5d3725

認容された金額が44万円。。。少ないな。

 

ID: ec5457

>文書作成と自殺の因果関係は否定した
物的証拠がないのでこういう見解になったのだろうが、因果関係は絶対にあると思う。
自治会はあまりにもデリカシーに欠ける。

 

ネット上には自治会側を非難する意見が多いようだが、自治会役員だった立場からすると弁護もしたくなる。昨今、役員選任が非常に問題化している。役に就きたくないから自治会に入りたくない人も数多いのだ。確かに会長、会計あたりは学級委員会を開く程度の自発的スキルは必要だろう。だが、事件の班長はおそらく、班内の各戸を廻って年会費を集めて会計に預けるのが最大の仕事で、後は回覧板を回す拠点になる程度のことだろう。

 

一人暮らしが出来ているなら、この程度のことが出来ない訳はないと判断されても致し方なかろう。班長を免除させて欲しいというのは、かなり無理のあることである。明らかな認知症の高齢者なら納得もされようが、外見から分からない(つまり隠そうと思えば隠せる)程度の障害なら、「何であの人は免除されてるの?」という不満が出るのは当然だからだ。

 

だが、記事には彼が書いた書面の写真があるが、これを見たなら「しょうがないか」と理解はされたと思われる。だから、私の地域の自治会長が同じように考えて行動しても私は理解を示すだろう。但し使途を明確に説明して、公表することはないと理解させる必要はあっただろうとは思う。会長自身が見て納得出来たなら、後は会長の信用で個々人に見せなくとも理解は得られただろうからだ。

 

一般論としてはこれで良い。だが、会長にこういう常識的な判断力が無かったとしたらどうだろう。自治会長なんてなりたくてなっている人なんていないのではないだろうか? 些か適性を欠く人が就く場合だってあるだろう。だとしたら配慮を欠いたことを責められていては、会長なんて誰もなってくれはしなくなる。

 

いま”適性を欠く”と言ったが、自殺した彼自身も戸主としての適性を欠いていたと言えなくはないようにも思うのだ。死者に鞭打つようなことは言いたくないが、そもそもこの程度のスキルを持てない者を戸主として一人暮らしをさせたのは両親ではないのだろうか。後見人たる彼等にはこの程度の社会的義務を負うことは充分予見できただろう。

 

こういう意見は障害者の自立にとっては足枷となろう。いまの風潮からすると人権思想に逆行する旧弊な考えかもしれない。しかし、真に障害者の幸福を求めるなら、それはそれを受け入れる近隣の同意が無くてはならない。たどたどしい文章しか書けないことと、失火に繋がるような不注意はイコールではないかもしれない。だが、これをニアリーイコールとする”偏見”は少なからぬ人が抱く感情ではないだろうか?

 

自殺した彼は、班長を頼まれたとき両親に相談出来ただろうか? これが出来ていれば、緊急時に助けを求めることも可能だろうから隣人の不安も無くなったかもしれない。「人権」という言葉が独り歩きしてしまう世の中だが、本当の幸福な社会は義務を負えない障害者が、誰かの助けを得て義務を履行できることだと思う。両親は後見人たる意識を持っていただろうか? 単身認知症の世帯の後見人問題も合わせて考えるべきであろう。