ノスタルジックな現代美術  | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

開館60周年記念Re: スタートライン 1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズにみる美術館とアーティストの共感関係|京都国立近代美術館 | The National Museum of Modern Art, Kyoto (momak.go.jp)

京都国立近代美術館は開館60周年らしい。開館当時、国内の現代美術を特集した展示が毎年あったが、それをそのまま半世紀以上経たいま振り返ってみようという企画である。因みに私も還暦なので思い出に耽りながら書くことになる。

元永定正 

 

1960年代 -現代美術の転換期|京都国立近代美術館 (momak.go.jp)

私が美大を受験していた頃(1982年)にも作品としては同じようなものが並ぶ企画があり、かなりの熱意をもって鑑賞した記憶がある。当時はデッサンに明け暮れる毎日で、当然ながら写実的な絵画を描いていたのだが、訳の分からない現代美術に対する偏見は意外にも無かった。

 

うろ覚えだが、セザンヌを熱愛する芸大受験生が、たぶん東京の美術館に展示されていた梅原龍三郎の作品を損壊する事件があったのもこの頃だ。あの頃アカデミックに美術を目指す者の意識はこんな感じだった。それが私には希薄だったのだが、そこには小学1年の時に体験した大阪万博の影響が大きかったと感じている。

 

具体的に現代美術作品が印象に残っている訳では無いが、太陽の塔やパビリオン自体がシュールでクールな印象を幼心に植え付けたのだと思う。そして家族融和の幸せな記憶があるのは、2時間待ちの三菱未来館にもぐずることなく並んでいた私のお行儀良さにあったのかもしれない。

中西夏之

 

前置きが長過ぎたかな。本展における作家は私の親世代であり物故者も多い。言わば前時代の遺物にあたる訳だが、還暦の私にはいまだにクールなのだ。中西夏之、元永定正、白髪一雄。作風は全く違うのだが、私の中ではいまだ新しくそして懐かしい。これは個々の作品の価値というよりは、作品との出逢いの価値と言えるのかもしれない。

 

翻って、いまの2~30歳代の美術好きにこれらの作品はどう映っているのだろうか? それは分からないが私と同世代の美術家が、シュールでクールな作品を子供の世代に対して生み出せていないのは確かだろう。それは個々の力量の問題ではなく、やはり飽和した時代だからに思える。

 

たまたまかもしれないが、その日の客層は私の同世代ばかりであった。もしかしたらシュールでクールなノスタルジーを味わいに来ていたのかもしれない。

 

追記。この企画展は3階だが、4階の収蔵品展もリンクした内容だった。なかでもマルセル・デュシャンと赤瀬川原平にスポットを当てたダダイズムの展示は示唆に富んでいる。来館者は忘れずに観ることをお勧めする。

赤瀬川原平