決して侮れない健忘 マイスリー  | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

今回は私が6年もの間ブログを中断することになった原因を述べたい。それは睡眠導入剤マイスリーによる副作用「健忘」だ。この表記は医学上に普通に使われているものだが、「健やかに忘れる」って全く注意喚起にはならない。いや、「病的に忘れる」(例えばアルツハイマーのような)との区別上はやむを得ないのかもしれないが、一人暮らしの私にとっては結果として6年間を棒に振ることとなったのである。

 

2013年3月、私は強度の不眠に陥っていた。そのことを当時の主治医に訴えると、その時処方されていたマイスリー10㎎(これが薬事法上のMAX)にプラスして自費購入という形で10錠を処方されたのであった。「僕も効かないときには3錠(つまり30㎎)飲んだりしますよ」との主治医の言葉もあってプラス2錠を限度に適宜飲むようにしていたのである。

 

いま考えると危険な行為だとは思うのだが、当時はこの医師の荒っぽい処方に期待するところ大だったのである。それは、その前にかかっていた精神科医のパキシル一本で2か月「もう少し様子を見ましょう」にうんざりしていたからなのだ。この荒っぽい医師、精神科の薬を自らも様々服用してみての実感を話したり、いろんな薬を試してくれたりもして患者とのコミュニケーション能力は高かったのである。

 

だが、彼の本質はかなりまずかったようなのだ。それは私が通っていた3年後に患者の住民基本台帳カードを不正取得し、交通違反を逃れようとして逮捕されたのである。これは検索すればすぐに出てくるので詳細を知りたい人はそちらをご覧になればよい。しかし、私は当時の観察力不足という落ち度もあり、彼を批判しようとする気はない。それよりも問題はマイスリーの健忘なのである。

 

当時のブログの記述を見てもらってもいいが、ある種の視野狭窄に陥っていた私は眠ることだけを考えて、この主治医を替えるという発想は出来なかった。それでマイスリーも足りそうになくなると、手許に余っていた眠気を誘う薬(抗うつ薬等)を自己判断で服用するということまでしていたのである。

 

現在の主治医にこのあたりのことを質問すると、マイスリーは10㎎を厳守して抗うつ薬等で対処すべきであっただろうとの見解であった。自己判断はこれに近い考え方ではあったが、もちろん誤った処方である。念のため。

 

さて健忘に気が付いたのは、ブログの記事からすると2013年の4月29日のようだ。その日起きると昨日何をしていたのか思い出せないのである。いや、昨日どころか一昨日その前日も何も思い出せなかったのだ。当時エクセルで家計簿と備忘録をつけていたのだが、たしか3週間ほどの記憶がはっきりしない期間はごっそりと空欄のままだった(当時のPCはだめになってもう無いので当時の記憶だが)。

 

あとケータイ(もちろんガラケー)の使用法も怪しかった。友人からのメールに返信ボタンを押したが文字入力が出来ず、友人からの引用文だけを送り返しているという証拠がいくつかある。それをたしか「ケータイ会社の何らかの不備でそうなったと解釈している」記憶があるのだ。これは認知症患者にみられる合理化と同じだろう。

 

もうひとつ、そしてなまじ責任感の強い私にとって致命的だったことが火の始末に関するものだ。ガスコンロを長時間着けっぱなしにしているとメーター側で自動的にガスを遮断する機能がついているが、それが作動していたのである。その機能を知っていたにも関わらず、記憶の曖昧な当時は着火用の電池が切れているという認識だったと記憶している。これも認知症患者の合理化である。

 

だからこの頃は薬による副作用よりも若年性認知症ではないかという不安が強かった。現在の主治医にかかり始めた頃にもそのことを訴えて知能検査WAIS-Ⅲも受けたほどである。結果は特に問題は無かったもののそれで安心できるものではなかった。副次的なことだが厄介なことに妄想的な不安があったからである。

 

私はそれまで記憶を失くすということが皆無だった。よく酔いつぶれてどうやって帰ってきたのか分からないという人がいるが、下戸な私はすぐに寝てしまうが、眠る直前のことまでしっかり覚えていたのだ。だから半世紀近く生きてきて初めての体験だったのである。この自分にとって「あり得ないこと」を体験することで、それまでの自分の常識的な感覚の自信を失うことにもなってしまったのだ。

 

具体的に言えば、身繕いをして外出しても気づかないところにとんでもない異常なことをしているという不安だ。例えば背中に女性用の下着が貼り付いているのではないかとかいう妄想なのだが、もちろん女性用の下着なんか所有していないし、自分が見てもそんなものが見えるわけではない。

 

それでも人並みに或いはそれよりも若干多めに性欲がある私なら、知らないうちにこっそりそんなものを入手していたかもしれないし、自分の目は節穴できちんと物事を見られていないかもしれないという理屈なのだ。薬物依存患者が見る妄想とは違うことは確かなのだが、自分の常識に自信が持てないので、そうである可能性を否定しきれないという感じなのである。

 

この妄想的不安は当人にとっては本当に厄介なもので、人目のある所では逐一確認行為をしなければならず、またそうしていても不安は無くならずある種の強迫神経症にもなっていたのだ。また同じころ顕在化した嗅覚障害も自信喪失を強固なものにしたと言っていいだろう。

 

健忘が孤独な人間にもたらした不安はこのようなものだ。恐らく記憶の欠落を埋めてくれる家族や友人がいればこれほどまでにはならなかったと思われる。だが、鬱で仕事を辞めた一人暮らしの人は決して少ないわけではないだろう。マイスリーに限らず、ハルシオンもデパスもその可能性はあると主治医は話してくれた。