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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

続 『私の健康状態』

 

病み上がりで家を離れたので、

強烈なホームシックにかかりました。

 

同じアパートのお友だちが、

『大丈夫か』と心配をしてくれました。

 

 

そんな私だったので、

学校の寮に申し込むと、

優先して入れてくれました。

 

しかし、その寮生活結構楽しかったんです。

段々慣れてくると、父と母の喧嘩の絶えなかった

あの安らぎの無い家庭から自由になった喜びが

じわじわと湧いてきました!

 

精神的に自由になったことで、

健康状態も良くなっていきましたが、

痔はまだ続き、

春になると胃腸の調子が悪くなりました。

 

 

そう言えば卒業の頃、

結構ショックな出来事に襲われました。

 

『私の健康状態』

 

実は、私の健康状態が悪かったのは、

23歳の頃からではありません。

 

小学校時代に肥料をやりすぎた野菜のように

ひょろひょろと大きくなり、

 

中学校では生理痛に悩まされ、

 

高校になると、

とにかく寒くて、

靴下を3枚はいていました。

1枚は持って行って上履きになる時

履いていました。

 

そしてなんと高校卒業前には痔になってしまったのです。

これ結構怖いです!

 

 

大学に入る前の春休みには

腎盂炎になり、

医者がどこが悪いかなかなか見つけられず、

何日も高熱を出して寝込むこととなり、

妹は『姉はもうだめかもしれない』と思ったそうです。

 

私の大学生活は『病み上がり』でスタートしました。

 

余談『両親の事』~

 

1950年12月7日,

のちに首相となった池田隼人が大蔵大臣だった時、

米価が高騰!

『所得の少ない人は麦、所得の多い人は米・・・』と言ったことが、

『貧乏な人は麦を食え…』といったと伝えられ、

大騒ぎになったことがありました。

 

ということは、

1950年代~19670年代頃まで

白米にお麦を混ぜて食べることは普通でした。

 

ところが私の家は、オール白米だったのです。

そのことを父が自慢してたのを覚えています。

 

私は親戚の家に行くと、

麦ごはんが食べられるのが楽しみでした!

 

 

マクロビオティックに出会って、

このような家の環境が、

私の健康に影響していたのだ!ということがよくわかりました。

 

 

白米よりもお麦の方がいいんです!

洋風の料理よりも昔の日本の食事がいいんです!

砂糖のなかったころの野菜だけの味がよかったんです!

 

この砂糖!

実はさらに、そうだったのか!ということがわかります(^_-)-☆