わくわく夢クラブ -75ページ目

わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

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私はジムの友人が運転する車の

後部座席に乗ってただただ走った記憶しかないのです。

 

この横断には毎日8~10時間くらい走って、

5泊6日くらいはかかるようですが、

その時は泊まった記憶がないんですよね!

 

もしかしたら、8~10時間よりもっと走ったのかもしれません!

43年前のことですから、、、

 

大平原の中を突っ走る車、

余りに早いので恐る恐るメーターをみると

90マイル??

144キロ!!!げェーーーーーーーーーーーーーーーー

 

私は降ろして欲しかったが、

こんなところで降ろしてもらったところで、

何ができるというのだ( ゚Д゚)

 

この辺の記憶だけが、はっきりとしている。

でも何とか無事ボストンに着いて、

ジムのお家で泊めてもらうことに!

 

そのお家すごかったんです(^▽^;)

 

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何か月も苦しんだ病から回復して、

私はとても嬉しかった!

 

病気の最中は、

まわりで普通に生活のできる人が

うらやましくて仕方なかった!

 

 

どうして私だけが・・・

 

でも、一度も病院に行くことなく、

なんの薬も飲むことなく、

 

食だけで治すことができたことは

私の大きな自信になった。

 

 

ヘルマン先生の奥様が

サンフランシスコに来られた時、

して下さったアドバイスは

『裸足で青草を踏みなさい』ということでした。

 

こうして病からすっかり回復した私は

一緒に自然食品店で働いていた、

ボストンから来たジムが、

実家に帰るというので、

アメリカ見物がてら連れて行ってもらうことにしました。

 

西海岸から東海岸へ、

彼の友だちの車に乗せていってもらえるという

私はもうわくわくしていました!

 

→次に続く

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アメリカに来て、

ずいぶん環境が変わったはずなのに、

基本的には玄米を食べ、

アメリカのマクロビ食を続けていた私の体調はとても快調でした。

 

 

 

しかし、サンフランシスコに来て、

気候が変わったことと、

私を取り囲む環境が変わったせいか、

徐々に体の調子がおかしくなり始めました。

 

 

私は、それまで父以外の男性と

身近に接することはありませんでした。

 

いつも母や妹と言った女性の中で生きてきました。

 

このサンフランシスコの住まいは、

自然食品店のオーナー親子(父と息子)

それにアメリカ人の従業員の男性が

一緒に住むお家の一部屋を間借りして

住むということになりました。

 

 

この男性の中で暮らすということが

私にはかなりのストレスになっていたようです!

 

 

 

 

膀胱炎になって、とても苦しい思いをしました。

痛みと出血を伴い、相談をする人のいなかった私は、

ただ耐えるしかありませんでした。

 

 

 

細菌性の病気なので、

病院に行けば、早く治すこともできたのでしょうが、

なにぶん事情のわからない異国のことです。

 

私はこの時とばかり、

マクロビで治そうと一生懸命になりました。

 

 

免疫力さえ上がれば、、、という気持ちで、

玄米と、少量の野菜や海藻のみという食事法を

厳しく守りました。

 

 

 

 

何ヶ月も苦しむことになりましたが、

この時、きちんとした食事法を守ったことが、

私のそれまで体の中の溜まった毒を

出してくれることになったのかもしれません。

 

 

一度もお医者さんにかかることもなく、

薬を飲むこともなく、

 

見事に治ってしまったのです。

 

膀胱炎は繰り返すことが多いと言われる病気ですが、

その後一度もなることはありません。

 

そして私は、かつてないほど、元気になって、

アメリカでの生活が楽しくて仕方なくなってきました。

 

→次に続く