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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

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そうなんです。

私の元主人は久司先生のセミナーに参加して、

この本に先生のサインをもらっています。

 

さらに、久司先生の奥様の手当てまでしているのです。

 

あ!私の元夫は『運動手技』という手当法の先生でした。

 

もちろんこれは私のアメリカ滞在とは時期が異なり

ずっと後のことです。

 

 

私の記憶に間違いがなければ、

桜沢先生の奥様リマ先生の

100歳のお祝いにアメリカから

駆け付けた時の事ではなかったかと思います!

 

どうして、奥様の手当てをさせて頂いたかというと、

松山に菅本先生というマクロビの先生がおられました。

 

その先生と親しくさせて頂いていたので、

菅本先生が仲介してくださったのでした。

 

 

この菅本先生、

桜沢先生と世界を回ったこともある方で、

確かに、普通の方ではなかったですね(^_-)-☆

 

 

今日は余談になってしまいましたが、

明日も、もう少し久司先生のアメリカでの活動について

お話ししますね(^_-)-☆

 

→次に続く

 

 

 

 

 

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ヘルマン相原先生のところでも

サンフランシスコの自然食品店で働きだしてからも

 

ミチオ(久司道夫)という名前は、

時々耳にした。

 

同じ桜沢先生のお弟子さんでだったけれども、

やはりアメリカで有名になっていたのは久司先生だった。

 

 

ボストンに久司ハウスやマクロビのレストランを持ち、

ナチュラルフードストアは全米各地に展開していた。

 

 

そう!ボストンに行ったら久司ハウスに行き、

マクロビのレストランにぜひ行きたいと思っていた。

 

 

 

久司ハウスでは

残念ながら久司先生にお目にかかることはできませんでした。

 

その後も結局は久司先生には

お目にかかることはなかったんですよね!

 

日本にも何度も来られていて、

望めば機会はいくらでもあったかと思いますが・・・

 

現に私の元主人は久司先生の特別セミナーを受けています。

それどころか・・・・・・

 

→次に続く

 

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ジムはマクロビを学びにサンフランシスコに来ていました。

 

自然食品店のスタッフでしたから、

お家がこんなにすごいとは想像がつきませんでした。

 

お父さんは弁護士、

お兄さんは医者、お嫁さんも医者・・・

 

 

車庫には車が3台、

日本の私の田舎では見たこともないような

モダンな豪邸でした。

 

 

そして私が通された寝室は

まるでお姫様のお部屋のようでした。

 

 

1ドルが360円の時代ですから、

日本とは経済面でも大きな差があったのでしょう!

 

 

 

かつて日本人の住まいが『ウサギ小屋』と

言われたことがありましたが、

それも仕方ないかなと思いました。

 

現在でも一戸当たりの平均床面積は

アメリカは日本の2.5倍ですから・・・・

 

 

 

ボストンはマクロビの人にとって特別な場所でもありました!

 

→次に続く