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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

前回の記事

 

ここツインピークスは思い出の場所です。

 

さて学校にはいろんな国から学生が来ていました。

私はもう26歳にもなっていましたが、

たいていは17~18歳でした!

 

 

学校は勉強するところですが、

出会いの場でもありますよね!

 

 

人種の違う17~8歳の男の子は

私には対象外だと思っていました。

 

しかし、あの時代イランやインド、パキスタン

といった国から来ている17~8歳は、

日本の17~8歳とはくらべものにならないくらい

しっかりしていました。

 

 

そもそもアメリカに来ている目的が違うのです。

日本といういつでも帰れる国があり、

この国で何かを成し遂げねば・・などという思いの無い私には

理解できぬことの多い彼らでした。

 

 

しかしその理解できぬ彼らの中の一人と

付き合うことになってしまった私の運命は・・・・・・

 

→次に続く

前回の記事

 

 

Bradberryご夫婦は、とてもよくお話をする夫婦でした。

なんでも穏やかに話し合って決めていました。

 

 

私は言い争ったのを聞いたことがありませんでした。

このお二人を見ていて、ちょっとの間ですが、

私も日本に帰って結婚したいな!

という気持ちになりました!

 

 

それと奥様は少し神経質なところもあって、

夜のお出かけに備えてか、

良くお昼寝をされていました!

 

 

その時必ず電話線を外していました。

電話線を外すなんてことは日本では

したことも見たこともなかったので

驚きました。

 

 

日本では電話線を外すなんて、

考えられないことです。

 

どんな場合であれ

電話にはでなければならないと思っていますよね⁉

 

 

でも、こんな選択があったのかと、

驚くとともに、感心をしてしまいました。

 

この国ではプライバシーは守ってもいいのだと

妙に感心したことを覚えています。

 

 

実は日本に帰ってこの手を使ってみたことがあります。

まわりから変に思われてしまいました。

 

なかなか学校のお話しに行きませんね!

でももうそろそろ・・・・

 

→次に続く

 

 

前回の記事

学校は楽しかったし、

Bradberry家は居心地がよくて、でしたが、

 

 

アメリカの治安の悪さはこの頃、すでにでした。

お家を開けっ放しの日本とは違って、

 

 

決して玄関の戸はベルが鳴っても開けぬようにと

きつく言われていました。

子供たちも学校は必ず送り迎えをしていました。

誘拐の危険があるからです。

 

 

今は日本でも学校の行き帰りで、

事件がよく起こるようになりましたね!

 

 

本当にこの頃(40年位前)のアメリカとそっくりになってきました。

 

 

そっくりになってきたといえば、

ティッシュですが、

40~50年前の日本には

ティッシュを使う習慣がありませんでした。

というよりもティッシュ自体がなかったと思います。

 

 

私はアメリカではティッシュで拭いて、

ボンボン捨てるのに驚きました。

 

日本ではマダマダ布巾しかありませんでしたから・・

とはいってもなんて不経済!

日本の布巾の方がずっと合理的なのに

と思っていました。

 

だけど今の日本、そして私も、

平気でティッシュ使ってる。(^▽^;)

世界の資源の無駄遣いを言われているのに・・・

 

 

それと奥様が鉢植えの花が枯れると、

ゴミ袋の中に丸ごと捨てていたのには驚いた。

 

 

学校とBradberry家の行ったり来たりの生活でしたが、

私の好奇心は十分満たされていました。

 

それとサンフランシスコは洗濯物を外に干さない社会でした!

 

洗濯物と言えば、

ここ4~5年の間にコインランドリー増えてきましたね!

 

 

Bradberry家のような大きなお屋敷では、

地下に洗濯機が置いてあって、

お手伝いのロージィさんがお洗濯をしていました。

 

 

しかし、この後、

アパート生活を始めるようになる私ですが、

コインランドリーでお洗濯でした。

これもアメリカとそっくりになってきましたね!

 

→次に続く