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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

前回の記事

 

学校はすごく楽しかったです!

 

色んな国から来た人が一緒に学ぶって、

とても刺激的です。

 

日本と違ってのびのびと学ぶことができ、

自由な発想がどんどんできるようになり、

自分でも驚きました。

 

学ぶことの楽しさが初めて分かった気がしました。

 

イランから来た女の子とお友達になりましたが、

同じクラスの日本人の男の子(男性)から

交際を迫られて迷惑していました。

 

 

あの頃は日本とアメリカでも経済格差がかなりあったので、

イランやインド、パキスタンといった国から来ている人は

相当の金持ちか、特別な家の人でなければ

来られなかったと思います!

 

 

日本人の私でさえお家は金持ちと思われたようです。

ごく普通の家というと疑われました(笑)

 

 

 

ここから不法滞在への種はこの学校に在ったんです(^_-)-☆

前回の記事

 

Bradberry夫妻は週2~3回は

パーテイやコンサート、観劇にと出かけていきました!

 

夜自分たちが出かけた後、

子供たちだけにできないので、

私のような学生をお家に置いたのです。

 

 

お部屋代・食事代は無料、

さらにお小遣いよりははるかに多い

お給料のようなものを支払ってくれました!

 

 

私はなんて素敵な制度なんだろうと

とっても有難かったのを覚えています。

 

 

アメリカ人ってなんて鷹揚な人たちなんだろうと

感心をする私がいました。

 

 

しかし、奥様の生活と

日本の私のまわりの女性の生活を比較すると

あまりにも大きな違いがあることに、

考え込んでしまいました。

 

 

週に2~3回は美しく着飾って出かける奥様、

いつもあくせく働いている日本の女性!

 

 

おそらくアメリカでもBradberry家は

かなり裕福な家庭だったのでしょう!

 

週末には海辺の別荘にも出かけていきました。

 

 

学校生活もそれなりに・・・・・

 

→次に続く

 

前回の記事

私は新聞を見て3つのお家に面接を受けに行きました。

 

いずれもしゃれたお屋敷ばかりでした。

日本の家屋との違いに

いつも唖然としていました。

 

 

お家の規模は一番小さかったと思いますが、

奥様がとても知的で素敵だったので、

Bradberryk家に決めました。

 

小さいとはいえ

地下のある4階のお家で、

キッチンは大きな窓から素敵なお庭が見えました。

トイレは各階についていましたし、

バスも2階3階に在りました。

その当時の私には驚くべきお屋敷でした(^▽^;)

 

 

私はその4階に住まわせてもらうことになり、

最上階まで上がっていかなければなりませんでしたが、

ちっとも苦にはなりませんでした。

 

今思っても素敵なお家だったなあ~と思います。

 

ご主人はWELLS FARGO銀行の偉い人だったようで、

お家には黒人のローズィというお手伝いさんが来ており、

お洗濯やお掃除をしていました。

 

そうそう、子供は小学生の可愛い女の子が二人いました。

私はこの子供たちのためにホームステイしていたのです。

 

 

ここでの生活はえー!と思うことがたくさん!でした(^_-)-☆

 

→次に続く