わくわく夢クラブ -64ページ目

わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

 

私はこの運動手技の講座を熱心に受講するようになりました。

 

その名の通り手技なので、実技の練習もありました。

しかし頭でっかちの私には手技は非常に難しく、

感覚を大切にする実技にはついていけないことが多かったです。

 

 

それでも守先生の深い理論や、

マジックのように痛みをとる手法には大変な興味を感じました。

 

 

食については、

マクロビと同じような食のあり方を説いていましたので、

矛盾を感じることはありませんでした。

 

 

もう一つこの頃私が興味を持っていたことに

児童英語教育があります。

 

 

 

あ!セーターも編んでいましたよ(^_−)−☆

 

帰ってから、

自然食品を買うために、私は度々徳島の天野屋さんに行きました。

 

 

その頃結婚していた妹に男の子が生まれました。

この子は色が白くて、

肌が弱く、ほっぺがひどく荒れて可哀想なほどでした。

 

私は天野やさんに相談して、

玄米に野菜をたくさん入れたスープを作って、

飲ませました。

 

すると、本当に綺麗なほっぺになって、

肌荒れはすっかりなおってしまったのです。

 

 

そんな時、お友達から誘われて、

手当法の先生で全国を回っている人が来るので、

会って見ないかと誘われました!

 

 

食だけでなく、外からの手当をすると、

早く病気を治すことができるのでは?と、

考えていたので、私はその先生に会って見たいと思い、

お友達のうちに出かけました。

 

 

いろんな手当法を研究して、

ご自身で考えたその手当法は

誰でもできるけれども、

効果としては眼を見張るものがありました。

 

 

私は天野屋さんに頼んで、

この講座を徳島で開いてもらうことにしました。

 

 

この手当法は後に運動手技と名付けられました。

 

 

この運動手技に出会ったことが、

私の人生を大きく変えて行くきっかけとなりました。

 

 

 

 

 

 

前回の記事

 

帰りの飛行機の中は

ずっと泣き続けで帰ってきました。

 

 

 

やっぱり辛かったんですね!

 

 

離れてみると、

好きだ!という気持ちだけ強くなって・・・

 

 

 

どうするつもりだったのか?

 

 

私は父に「結婚したい」と話しました。

即答でした!「縁を切ってからして欲しい」

 

 

父はアメリカに来て、

私から、彼を紹介された時から、

ずっと考え続けていたのでしょう!

 

そしてきっと心配し続けていたことでしょう!

ほんとに親不孝なことでした。

 

 

父の言葉はあまりにも冷静に発せられたので

私もなんの感情もなく受け取るしかありませんでした。

 

 

今思っても見事な父の態度でした。

 

 

下手に父に感情的になられたり、

責められたりしていたら、

私はウチを飛び出していたでしょう!

 

 

父のその態度は、

私が家の中で考える時間をくれました。

 

 

しかし、諦めきれぬ私は、

彼の誕生日に向けてセーターを編み始めていました。