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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

前回の記事

 

このお金の事とお墓の事を除くと

私は父のことをとても尊敬しています。

 

最後に認知症になったのは残念なことですが、

父の人生は思い残すことのない

しっかり生き切った人生だったと思います。

 

仕事はできたし、

一切の愚痴を言わず、

いつも前向きで、

『人間は努力をすればなんでもできる』が父の口癖でした。

 

心筋梗塞の手術をした時でも、

プラス思考でした。

 

そんな父だったから出世したんですよね⁉

 

お金は残してもらえませんでしたが、

私はそれよりももっともっと大切な父の生き方という

ものすごい遺産を貰っていると、

年を重ねるごとに実感しています。

 

 

これは母の生き方にも言えることです。

 

でも母は父と違って、

結構愚痴を言う人でした。

 

もちろん一生懸命働いていたからだとは思いますが、

『せこい!せこい!』(しんどい!しんどい!)が

一日の終わりの母の口癖でした。

 

子供にとってはとても心配になる言葉です。

それとやはりエネルギーは奪われます。

 

でも母もとても前向きで積極的な生き方をした人でした。

忙しい仕事の合間で、

好きなことは諦めることなくトライした人でした。

 

そんな母の生き方も、

年を重ねていくと私の中でしっかり生きていると思います。

 

私たちは思いの他、

親の生き方に左右されているのではないかと思います。

 

そう思うと私はこの両親であったことにとても感謝しています!

 

→次回に続く

前回の記事

 

この人たちの話にのって、

父が始めたのは金投資でした。

 

 

父はたくさんの預金を持っていたので、

親戚の人の名前まで借りて預金をしていました。

(この頃はこんなことができていたのです)

 

 

でも始めてどのくらいたってからでしょうか、

次々と追証を求められて、

それらの預金もすべて無くなってしまいました。

 

母からも借りて払い込んでいたようですが、

母のお金は返ってきました。

 

家を売ったり、借金をしたりまでがなかったことだけでも

幸運だったと私は思っています。

 

でも父は億近かったであろう預金を

全て無くしてしまったのです。

 

 

心筋梗塞で心臓の手術をしていたこともあって、

その後はだんだんとおかしなことが多くなり

 

認知症になってしまいました。

 

私はこのことも原因の一つではないかと思っています。

 

 

人生の集大成のようなものだった預金を

全て無くしたのですから

並大抵のショックではなかったと思います。

 

 

でも人生というものは

何もかもは手に入らないものなのかもしれません!

 

お金というのは上手に使って初めて

生きてくるもの、

 

持っていて使えなければないのと同じです。

ただ持っていて何にも使えず、

子供に残すだけ残した人を

何人か知っていますが、

人生が面白かったようには見えませんでした(^_-)-☆

 

→次に続く

前回の記事

 

父は国鉄で大出世をして、

母にも次々と事業をさせて、

親戚の人の働く場を作りました。

 

 

国鉄では駅長をして、

旅行センターの所長で退職を迎えました。

 

退職後の転職先はJTBでした。

 

 

母が働いていたおかげで、

父は結構贅沢をする人で、

ワイシャツは高松三越で仕立て、

20万のコートを着るような人でしたが、

お金は随分貯めていたようです。

 

 

母もそのことを知っており、

楽しみにしていたようです。

 

 

そして、そのお金を両親が残してくれたら、

私にくるはずでした。

 

 

父はJTBに65歳まで務めて、

あとは親戚の畑を借りて、

孫たちのために野菜やスイカなどを作っていました。

 

その作物も見事なものを作っていました。

 

 

そんなある日見知らぬ黒塗りの立派な車が、

うちの前に・・・・

 

 

黒っぽい背広を着た人達と父が話をしていました。

時折聞こえる父の笑い声に、

煽てられて笑っているという感じがしたのを、

今でも覚えています。

 

それが父の悲劇の始まりでした・・・・・

 

 

→次に続く