◆柴犬 男の子 ひなた、あお7歳 そら6歳

柴犬ひなあおそら プロフィールの記事

 

◆父と3兄弟の歴史

父、犬を飼う~ 犬嫌いだった男が、柴犬3匹と暮らすに至った物語

 

 


 昔読んだ本でどうしても作者と題名が思い出せないものがあります。「死んだ人は何も思っていない。残った人が勝手に無念だったろうと悲しんでいるだけだ」というような1文があった話です。もう一度読みたいと思っているのですが思い出せずにいます。

 自分が歳をとったせいなのか、飼い犬の寿命を意識するせいかなのか最近になって自分の父親が死んだときのことを思い出すことが多くなりました。


 私は就職するときに実家を出てからは帰省する回数も年々減っていき実家にはほとんど帰っていませんでした。特に結婚してからは帰ることはめったになくなりました。


 そんな私ですが自分の父親が仕事を定年退職したあとに久々に帰省する機会がありました。めずらしく近所の居酒屋で父親と一緒に酒を飲んだのですが、これが最初で最後の親子での酒飲みになるとはその時は思ってもいませんでした。

 あとから母親に聞いたのですが、父親はその時のことがとてもうれしかったようで次に帰ってくるのを楽しみに待っていたそうです。数年後に帰省した私はそんな気持ちも知らずに飲みに行こうという父の誘いを断ってしまいます。今の私は「そのときの私はたぶん疲れていたから」と一人自分に言い訳を繰り返しているのです。


 そのあと父親は病気で亡くなります。危ないと聞いて病院に駆けつけたときにはまだ意識があり、少しだけ言葉を発することができた父親は私に向かって必死に語りかけてきました。


「体に気を付けろ。病気だけはしてはあかん。健康でいろ」
 

 私が来るのを待っていたのかもしれません。それまでは意識を失わないように耐えていたのかもしれません。それが父親の死にざまなのでしょうか。涙が止まりませんでした。病院の廊下で泣き続けたことを思い出すと今でも涙が出そうになります。
 なぜあの時、一緒に飲みに行かなかったのかと今でも思い出して後悔します。そんなに楽しみにしていたとは知らなかったと後悔します。後悔先に立たずとはよく言ったものです。


 当時を思い出しながら私はいつも思うのです。死んだ父親は無念をもって死んだのではないかと。最後の言葉にも無念が滲んでいるのではないかと。死後生き残った者がこうやって想い返すことを冒頭の本では言っているのだと思います。言葉の本当の意味に近づく瞬間です。


 死は生き残った者に何らかの感情を残していきます。死者は静かに土に還り、生者は想い返し悩み苦しむのです。



 

 

息子が更新
 「孝行のしたい時分に親はなし」ということわざがあります。若者の将来に後悔が残らないようにとこの言葉を先人は残していきましたが、身をもって体験しなければ理解できない言葉の一つかもしれません。
 いずれ訪れる犬たちの死に後悔しないように寿命を全うさせてやりたいと思うのです。

 

 

 

柴犬3兄弟ひなあおそら写真集

Kindle版いい感じでした。(父より)