EmT.2 ストックウェル
1999年9月24日、僕は23歳になって始めて、夢は願い求め続ければ叶うものだ、という事を知った。だから成田空港発ソウル空港経由ロンドンヒースロー空港行きの飛行機が浮き、飛び立つ瞬間はこのまま飛行機が墜落してしまっても仕方がないと覚悟した。計画を実行できたこと、その事で僕の全ては満たされてしまっていた。
計画は約1年前からの事でしかなかったけれど、深く考えればその計画を実行に移したという事は、子供の頃からの夢を叶えたということにも繋がる。
僕らは当たり前のごとく、小学校へ行き、中学校へ行く。そして親は進学を勧め、いい高校へ、いい大学へ行くように求める。さらにいい仕事に就いて、安定した生活をし、結婚し、暮らしてゆくことを求める。きっと小学生の高学年くらいのとき、およそ10歳の時から、僕はこの流れに疑問を持つようになっていた。
学校の勉強が何だと言うのだろう?それなら10代から仕事をしている若者の方が偉く思えたし、生きている力を持っている人間の方がずっと大切なものを持っているように思えた。
僕はアルバイトも出来ないし、人と関わるのが苦手だったし、接客も力仕事も出来なかった。だから僕は自分を、とても出来の悪い人間だと思っていた。そしてそれは日本社会が仕事の仕方を教えずに、意味のない勉強ばかりを教えるからだ、と思い続けていた。
そう思いつつも、僕は親に従って、大学生にまでなっていた。それが前に話した大学4年のモラトリアムを生んだ、と言ってもいいだろう。でも20歳を過ぎ、大学までの教育を終えたら僕は自由になれる、と信じていた。きっと子供の頃から、僕はずっとその想いを胸の奥に秘めながら生きてきたのだ。
飛行機の飛び立ちは、僕にとって自由へのスタート地点であるとも言える。自由へのスタート地点は、今までの生活のゴール地点でもある。だから僕は飛び立ちの瞬間を死んでもいいような思いで向かえていたのだろう。
もちろん飛行機は墜落することもなく、無事にソウルを経由し、ロンドンヒースロー空港へ降り立ったわけである。
いつもよりも9時間長い昼を経験して、夕方の17時、僕らは始めての海外の地へと足を踏み入れた。
入国審査、両替等を無事に終え、夕暮れのロンドンへと。ヒースロー空港からはメトロで移動。スタートは順調だった。
驚いたことといえば、トイレが有料なこと。わざわざ小便をするのに金を払うのがなんだか嫌な気分だったから、トイレは利用しなかった。
地下鉄を乗り継いで、僕らはストックウェルという駅に着いた。ここにはロンドンで一番安いユースホステルがあるところであった。貧乏旅行の定番宿泊所はユースホステルである。ユースホステルのカードは日本にいた時に作っておいた。世界共通である。
ロンドンのホテルはどこも高いので、2000円くらいで泊まれる場所はそこにしかない。だから最初のロンドンでの生活はそこで始めることを決めていたのであった。
すでに外は夜になっていた。郊外の住宅街だからとりわけ目立つ明かりもなく、僕らはなんとなくで歩くしかなかった。
駅の近くの小さな雑貨屋があり、そこに立ち寄り軽い買い物をして、さらにユースホステルの場所を聞いた。ちなみに聞くのは友人Hの役だ。僕はユースホステルの一番安い場所と地下鉄での行き方を調べるのが役目なのである(これは僕が勝手に思っていたことであるが)。
僕らは住所や何やらを店員に見せ、何とか理解し、ユースホステルに向かい、無事に着くことができた。
しかしこのユースホステルには驚かされた。
入口の扉が重厚で、それは内側にいる者を守るためでなく、外の住人を守るためのような作りになっているように思える。それからレセプションが格子で仕切られて、なんかイヤホンマイクのようなものを付けて、うちらと触れないように話をしている。
僕らは訳もわからず言葉も自信がないので、とりあえず会員証とパスポートを見せる。シーツを渡され、とりあえず指示された部屋に向かう。なんだか少年院だか、何かの更生施設のような作りで、部屋にはよくきしみそうなニ段ベッドが二つあるだけだ。
全体的に雑然としていて、確かになんだか悪がきが集まる雰囲気がぷんぷんする。とりあえず友人Hはベッドの上、僕は下に陣取る。(その後、これが二段ベッドの場合の定位置となる。)
そして風呂。風呂はないのだがシャワー室。プールにありそうなシャワー室で、男女の隔たりもなく、白人の女の子が下着姿で出てきたりする。僕は平静なふりをしていたが、これが海外の文化か!と感じながら内心はかなりバクバクきながら、シャワーを済ませた。
そんなごちゃごちゃな感じのユースホステルであった。ちなみに地下がそのユースのバーになっていて、黒人さんがいっぱいいた感じなのをなんとなく覚えている。
後々でわかることであるのだが、ユースホステルもいろいろでこのユースホステルが値段が値段だけあって、そういう質のユースホステルであったのだと、理解するときが来る。でも最初に僕らはここに来たため、これが外国というものなのか!という気持ちにさせられたわけである。
僕らはそれでも長い飛行機の旅に疲れを感じ、その日はぐっすりと眠ってしまった?ような気がする。
海外到着一日目はそのようにして過ぎていった。
つづく
EmT.1 成田空港
1999年9月23日、あの日は台風の過ぎ去った日だったろうか?台風がやってきそうな日だったろうか?記憶は定かではない。
僕と友人Hは地元から3時間をかけて、大きなリュックを背負い、成田空港へとやってきていた。たったの3時間であったけれど、ここまでやってくるには、それまでの長い長い道のりがあった。
振り返れば、その1年前、1998年夏のとある日の電話に始まる。
当時、僕と友人Hは互いに違う大学へ通っていて、互いに4回生だったが、僕はモラトリアムで、友人Hは留年しそうな単位しか取れていない、という極めて悲惨な状態だった。
「卒業したら、ヨーロッパ旅しようと思うんだよね」と、友人Hは一人旅をする話を持ち出した。
「いいねえ、俺も一緒に行くよ」と、僕は答えた。
おそらくそんな会話だったと思う。唐突な話で、何の現実味もない会話だった。ただ、その時の僕は思ったんだ。『そのために卒業するのなら悪くはない』と。
だからその1回目の僕の言葉を友人Hは冗談に近いのりで聞いていただろう。だけど僕はそれを目指すことにしようと決めてしまった。
僕にとってそれはつまり卒業の目標理由だった。社会人になって普通のサラリーマンになる気にもなれなかったし、だからと言って親のすねをかじって生活していくのも嫌だ。突然金持ちになれるわけでもないし、何かを目指すとか、何かに向かっていくとか、そういう強さもなかった。だから僕は卒業する気にもなれなかったし、留年するのも親の迷惑を感じて嫌だった。
うじ虫だった。うじうじしていて、何もしたくなくて、何もできずに行き場を失っていた。
『ヨーロッパを旅する』
それは唐突な話で、またどこに行く付くあてもない話だった。それでもその時のうじ虫だった僕にはさなぎになってふ化し、羽をのばして飛び立つための唯一の術のように、その時の僕には思えたのだった。
そして僕は旅行資金60万をほぼ節約で貯めながら、卒論を書き、何とか大学卒業までこぎ付けた。友人Hとは何度かヨーロッパの話をし、『それは本当にする事にするんだ』という事を伝えた。だから友人Hも、何とか単位を全て取り、大学卒業を果たした。
ただもし友人Hが単位を取れずに留年したら、僕は60万を資金に東京へ引っ越してこようと考えていた。それはもともと、『ヨーロッパへ行きたい』が頭にあったからではなく、卒業の目標として、『ヨーロッパの旅』を置いていたからだ。つまり理由は何でもよかった。何かを目標にして卒業できればそれでよかったのである。
それでも友人Hは見事に卒業したわけであり、僕は『ヨーロッパ旅行をする』という選択肢の方を選んだ。そしてその年の4月、すぐにでも僕らはヨーロッパ旅行へと行く準備を進め、旅立つはずだった。しかし残念な事に彼の貯金は10万あるかないかにしかなっていなかった。
それで旅に出られるわけもない。卒業旅行ではないのだ。3ヶ月のヨーロッパ周遊なのだ。
だから僕は、彼が60万を貯めるのを待った。僕らは同じ地元に戻り、しばらくバイトをして過ごした。お金が貯まったのは、一般的に夏休みの終る8月末の頃だった。
1999年9月23日夜。僕らは翌朝早いフライに間に合うため、前入りし、その夜を成田空港ターミナルの入り口付近で過ごした。ついにスタート地点に立っていた。
不安な気持ちだったろうか?嬉しい気持ちだったろうか?当時の感情をはっきりと思い出す事は出来ないけれど、僕は狭い通路からやっと広く拓けた外の世界へと飛び出すための入口が見えていた気がした。その光の眩しさに、僕はドキドキ鼓動を高鳴らせ、楽しみと大きな不安の両方を感じて、その場にいたのだろう。
静かな成田空港での夜、すでに旅は始まっていた。今から12年前の今、僕は成田空港で、初めての海外旅行へ向けて、成田空港のターミナル入口で眠っていた。そこから始まる本当の旅を夢見て。
つづく
作品紹介. こころもりょうちのEurope memory Travel
今週から新作をスタートさせます。
題名は、タイトルに載せました『こころもりょうちのEurope memory Travel』です。
日本語表記:「こころもりょうちのヨーロッパメモリートラベル」
略して :「こころもりょうちのEmT」
さらに略して:「EmT」
この物語は、1999年、こころもりょうちがまだ若かりし20代前半の頃に、友人Hと共に行ったヨーロッパ旅行を題材としてます。
事実に基づく物語ですが、なにしろ10年以上前の話なので、記憶が定かでないんです。だから結構、事実とはずれているかと思います。ただこのずれは友人Hとそのほか出会った多くの方々の記憶でしか判断できないレベルのずれというところかと思います。
題名のとおり、「ヨーロッパの記憶を旅する」といったところです。
ですので、一応ジャンルとしては「ノンフィクションの旅行回想記」というところになるかと思います。
ざっとしたあらすじ
今から12年前の1999年、僕は友人Hと初めての海外旅行として、およそ3ヶ月におよぶ西ヨーロッパ周遊旅行をする事となった。イギリス、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、フランス、9カ国を廻った旅は9月23日始まり、12月17日に終った。この物語は、12年という時を経て、2011年9月23日から12月17日の期間をかけて、こころもりょうちが記憶を辿り、およそリアルな日取りで書き上げる物語である。
という形で書いていくので、このリアルな日程で書ききれるかは、かなり至難ではありますが、この3ヶ月間、当時の僕を思い出しながら書ききりたいと思いますので、お時間のある方はちらっとのぞいてみてください。
そんな作家宣誓みたいな作品紹介でした。
2011年9月19日 こころもりょうち
夕陽虹無 全目次
夕陽虹無 目次
2011年9月11日再アップいたします。
全体的に文章を修正しましたので、よかったら読んでみてください。
「あらすじ」もいれてますので、純粋に読みたい場合は
飛ばして読んでください。
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章