前回の続きみたいな感じです。


障害を持って生まれた人を「不良」と断じて排除して、そもそも生まれないように人口不妊手術を強制するなどと言うトンデモ法律が48年間も存在し続けたこと。それは日本ならではの見えない「同調圧力」によるものと個人的に思う・・・。


 私が就学した1979年(昭和54年)まで重度身障者は義務教育における就学すらできなかった。昭和54年からたとえ通えなくとも定期的に教諭が訪問する形で教育を受けられるようになった。


そんなふうに何でもかんでも「違うことは悪!!排除しろ!!」的な風潮が蔓延っていたのだ。


 一昨日オンエアされたTBS「報道特集」2番目の特集で「アイヌ民族が未だ差別されている」と取り上げていた。先住民としての「アイデンティティ」を真っ向から否定するような言説を流布してアイヌ民族の存在そのものの否定に繋がるような見方をする人も゙いるようだ。個人の尊厳を否定することにも繋がり゙かねない言説が未だ平然と流布されている現実・・・。それは身近な場面で例えると個性の否定や個人による新しい発想や考え方の否定にも繋がる由々しき事態。


「とにかく周りと同じにしろ!!」

「違った意見・新しい発想なんてけしからん!!」

「長いものには巻かれろ!!」


 こんな同調圧力で「がんじがらめ」になっているから30年も゙デフレスパイラルが続いてしまったのだと個人的には思います。

 前回私が投稿したこのアメブロを書きながら、改めて1996年(平成8年)はある意味、歴史的転換期だったと思った。


それを裏付ける報道が昨日あった。タイトルにした優生保護法の最高裁での違憲判決と被害者に対する国への賠償命令だ。


 優生保護法は実質廃止され、現在は母体保護法という法律になっているみたいだ。


もう一つタイトルにした法律でハンセン病を患った方々に対しての人権侵害が問題になった「らい予防法廃止」も平成8年だった。


 私が働き始めた平成8年4月に内閣総理大臣だったのは今は亡き橋本龍太郎氏。自民党・社民党・新党さきがけのいわゆる「自・社・さ」連立内閣。厚生大臣は後に内閣総理大臣に就任する菅直人氏だった。この他にも私の記憶が正しければ、基礎年金番号の運用が始まったのも確か平成8年だったように思う。


 平成8年秋に臨時国会冒頭で衆議院解散して、初めての「小選挙区・比例代表並立制」での衆議院議員選挙が実施された。その選挙で初当選した一人に、後に内閣官房長官と内閣総理大臣に就任する菅義偉氏がいた。私は当時、菅義偉氏の選挙区域に住んでいたのでよく憶えている。

 昨日の続きみたいな感じです。


 私が働き始めた1996年(平成8年)4月あたりから後述する


「何でもかんでも女性にお願い!!」


みたいな風潮が日本全体に広がり始めた。

後に「女性活躍社会」とのスローガンまで掲げたような・・・。


言い換えれば、

「専業主婦はけしからん!!」施策だ。


夫の扶養家族に入って配偶者控除を受けるために働く時間を調整することをターゲットにして「なぜ働かない??」、「共稼ぎでないと不公平だ!!」的なムードを日本全体に促す風潮・・・。


 そんなで安心して子どもが産めるはずもない。何でそんな簡単なことがお偉い官僚や国会議員の方々に理解できないのか??私にはさっぱり分からない!!


そんなで次は高齢化した家族の介護問題が顕在化してくる・・・。


「身近な家族、親族と地域の連携」


とか耳障りの良い文言に言い換えて、結局は奥さんだけに押し付ける風潮。


少子高齢化が深刻化すると


「3人は元気な赤ちゃんを産んでください!!」


などと平気で発言する大臣(国会議員)までいた。


 今挙げた問題全てを「その場しのぎ」で女性に押し付ける風潮がよく理解いただけたと思います・・・。


「男性と同じように社会に出て働け!!」

「高齢の両親の世話・介護もお願いね!!」

「明るい日本の未来のために3人は元気な赤ちゃんを産んでください!!」


これらを一人の女性に押し付けることが正しいと思い込んで「その場しのぎ」することが今、日本国で起きている深刻な問題と思います。