前回私が投稿したこのアメブロを書きながら、改めて1996年(平成8年)はある意味、歴史的転換期だったと思った。

 

それを裏付ける報道が昨日あった。タイトルにした優生保護法の最高裁での違憲判決と被害者に対する国への賠償命令だ。

 

 優生保護法は実質廃止され、現在は母体保護法という法律になっているみたいだ。

 

もう一つタイトルにした法律でハンセン病を患った方々に対しての人権侵害が問題になった「らい予防法廃止」も平成8年だった。

 

 私が働き始めた平成8年4月に内閣総理大臣だったのは今は亡き橋本龍太郎氏。自民党・社民党・新党さきがけのいわゆる「自・社・さ」連立内閣。厚生大臣は後に内閣総理大臣に就任する菅直人氏だった。この他にも私の記憶が正しければ、基礎年金番号の運用が始まったのも確か平成8年だったように思う。

 

 平成8年秋に臨時国会冒頭で衆議院解散して、初めての「小選挙区・比例代表並立制」での衆議院議員選挙が実施された。その選挙で初当選した一人に、後に内閣官房長官と内閣総理大臣に就任する菅義偉氏がいた。私は当時、菅義偉氏の選挙区域に住んでいたのでよく憶えている。