ザ・マシンガンズの必殺技(絶望日記) -183ページ目

ザ・マシンガンズの必殺技(絶望日記)

 心にうつりゆく よしなしごと

日常会話の中で、期せずして使うと、

密かに得意になってしまうことばがあります。


その多くは、哲学用語やある種の専門用語、

あるいは、カタカナ表記される外来語などで、

アカデミックな会話以外では、なかなか使わないものばかりです。

だからこそ、ひょんなことからその機会を得ると、

さりげなく言い放つも、内心ほくそ笑むわけです。


もちろん、その根底には、エスプリを発揮し、

聞き手を始め周囲の人々から、

賢く見られたいという品のない願望が脈々とあるのも事実です。

しかし、あくまでも自分自身がどれだけの語彙力を備えているか、

言語に携わる者としてのポテンシャルの問題なのです。


いうまでもなく、これにはア・プリオリではなく、

ア・ポステリオリが重要となるので、

飽くなき知識欲とたゆまぬ努力によってのみ達成されるのです。


つまり、本当にゆとりのある人生を送るためには、

いくらかのゆとりを犠牲にしなければならなくなるという

パラドックスに直面するわけで、

ここに人生のペーソスを感じずにはいられないのです。


いやいや、さりげなく使ってみました。

どこまでもなにげなく…


ちょっぴりいい気分です。


賢くないね。


                                     by スグル

突然ですが、「新しい恋」という歌をご存知ですか。

現在ウィスキーのCMで流れている曲なのですが、

お聞きになったことがあるでしょうか。


歌っているのは、そのCMに出演もしている井上陽水。

これが何ともよい曲なのです。


作詞は町田康、作曲は井上陽水。

まず、詞が素晴らしい。

巧妙かつ平易で、まっすぐに綴られた詩が心地よく響きます。

そして、曲も哀愁を帯びながらも清々しく、やはり心地よいのです。


これまでに彼が発表してきた名曲とともに、

「新しい恋」は、井上陽水の代表曲となることでしょう。


最近の陽水は、若いミュージシャンとの合作が目立ちます。

これを、彼の友人で作家の山田詠美は、

「好かれ上手」と評しています。

さすがは一流の作家さん、うまいこと表現するものです。


井上陽水といえば、

日本のフォーク・ソング、並びにニュー・ミュージックにおいて、

多くの名曲を生み、輝かしい功績をあげたミュージシャンです。

したがって、考えようによっては、

若いミュージシャンは、彼を巧みに利用しているようにも思われます。

しかし、陽水自身は、それを楽しんでいるように感じられます。


過去にすがることなく、常に新しい境地を開拓し続け、

おごることなく、喜んで若い人材の踏み台となれる生き方。


井上陽水の年齢の重ね方は、まさに理想的ではないでしょうか。


                                     by スグル

古くから、温泉に浴して病気を治療することを「湯治」といいますが、

風呂につかることは、最も手軽で身近な民間療法だといえるでしょう。

健康促進・増進はもちろん、疲労回復にも効果てき面です。


先日、のんびり風呂に入りたくて、家の近くの銭湯へ行きました。

私は、学生時代から頻繁に銭湯を利用してきましたが、

最近は入湯税の値上げもあって、いまでは入湯料が390円、

銭湯へ行くのも、ちょっとした贅沢となってきました。


仕事がいち段落して、深夜1時を少し過ぎたころ、

入浴道具一式を脇に抱えて、そそくさと銭湯へ向かいました。

その銭湯の営業時間は、午前2時まで。

急がなければ、入浴時間がそれだけ短くなるわけで、

貧乏性の私としては、自ずと急ぎ足になってしまったのです。


さて、時間も時間でしたので、

たいして混雑していないだろうと高をくくっていたのですが、

いざ仕切りをくぐり、更衣場に入ってみてびっくり。

子どもからお年寄りまで、ひとでいっぱい。

服を脱いでロッカーに入れるだけでもひと苦労。

浴場でも、周囲に遠慮して体を洗わなければならない混雑ぶり。

結局、営業時間終了の間際まで多くの客で賑わっていました。


やっぱりみんな、風呂が好きなわけで、

やっぱりどうせ入るなら、大きな浴槽がいいわけで。


各家庭、各家に風呂があるのが普通になった昨今は、

銭湯の利用客が減って、経営も大変なのでしょうが、

銭湯へ行くことが贅沢と感じられるようでは寂しいものです。


日ごろ銭湯へ行かないひと、

あるいは行ったことのないひと、

たまには銭湯へ行ってみませんか。


                                     by スグル