2014年7月、北九州。
視線の先には、2年生の三塁手。
もしかしたら私は、彼とともにこの内野手に熱い眼差しを送っていたのかもしれません。ここ北九州で。
その三塁手は翌年のドラフト会議で指名されました。しかし育成選手としてでした。これは私にとっては意外でした。
彼は、その三塁手の父親でした。ほとんど野球に関しては指導しなかったそうです。
彼=山本功児氏、あまりにも早すぎる死です。息子・武白志の支配下選手登録を見る前に・・・
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山本功児氏、言うまでもなくマリーンズの元監督です。私は、ジャイアンツの選手だったときから知っていました。ただ「やまもとこうじ」というもっと有名な選手がカープにいたため、ジャイアンツにいながらして地味な存在でした、しかしオリオンズ移籍で、開花しました。たしか4番を打ったこともあったのではないか。その後コーチ、二軍監督を経てマリーンズの監督になりました。お世辞にも強いとは言えないチーム、しかもあの18連敗を喫した直後の監督就任でした。
監督を務めたのは5年。周知のとおり優勝はしていません。それは退任してから2年後の2005年を待たねばなりません。ただその2005年の礎を築いたのは、間違いなくこの時代でした。2005年に活躍した選手の多くは、この時代に鍛えられているのです。
間違いなく、マリーンズの功労者であります。
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実はマリーンズの監督をバレンタインに譲った後の山本氏の消息については(私の中では)「杳として知れない」ものでした。北九州に住んでいたのですね・・・。それを知ったのは、息子・武白志の活躍。九州国際大付属にプロ注目の内野手がいるぞということで話題になった際にそれを知ったのです。
さて、功児氏は息子の育成ドラフト指名について失望したでしょうか。それについてはとくに情報を持たないので「予断」をもって推測すべきではないのかもしれません。
(ただ息子を持つ父親として考えてみました)
我が息子が野球を志して、育成ドラフトとはいえプロから指名されたとしたら・・・
やはりそれは嬉しいですし、支配下選手登録に向けて頑張ってほしいと思います。そしてついにそれがかなわなかったとしても・・・
多分、失望はしません。ひとつのことに打ち込んだことに対して、誇らしく思いたいのです。そしてそれが野球であるならば、野球バカとしては感無量です。ちょっと親としてはやばいかもしれませんが。
山本功児氏のご冥福をお祈りいたします。
そして武白志、是非とも一軍の舞台で輝いてほしいと思います。

