この国は誰のものか | 町田ロッテと野球散策

町田ロッテと野球散策

いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

ふざけた後に重いこと書きますm(__)m

◆◇◆◇

これから子を持つ者として考えます。この国はおかしくないか?

いま国会で悶着を起こしている安保法案の問題です。

先に触れておくと、私は日本が好きです。日本のプロ野球をこよなく愛する者です。プロ野球だけでなく(ここに特化するとおかしくなるので…)日本各地の個性を味わうことに大きな喜びをおぼえます。だからこそ、この国がおかしくなることが辛いのです。
何よりも、この国で生を享ける我が子が見る世は素晴らしいものでなければならないと強く感じます。

安保法案、この状況でよく採決に持っていこうとしているものです。なるほど国会議員は選挙で選ばれた我々の代表者、それが「代議制」です。しかしながら、正しく代表しているものでしょうか。もちろん複雑な世において全ての意思を代表するのは不可能ですから、選ばれた議員の意思と我々の意思が一致しない事もあるのは当然なのです。ただ、安保法案に関して言えば、先の衆院選で争点となったか。
むしろアベノミクスでした。「ちゃんと選挙公報に書いてあったじゃん、安保」と人は言うかもしれませんが、集団的自衛権にしっかり触れたものがそんなにあったでしょうか。

そんな中、国会前では反対デモ。これは果たして「絶対的少数の狂おしきマイノリティ」なのでしょうか。だから無視してよい、となるのでしょうか。

私はそうは思いません。デモしない人が皆もろ手を挙げて安保法案に賛成というわけわけはないでしょう。

ここまで表層に反対意見が出ているならば、検証をすべきなのです。つまり、もう一度選挙民の声を聞く。そこまでしていい問題です。憲法の取り方に関する問題なのだから。国防のあり方を問うものだから。かなり大切なことです。

にも関わらずそれをせず、上記「代議制」の不完全性を認識しながら法案成立を強行する姿勢をおかしいと思うのです。勿論「集団的自衛権」の目指す姿の説明はありました。
一方で法的瑕疵が指摘されています。
前提条件に疑義が生じています。
街頭には反対する民が多くいます。
「国民の理解を深めるべく努める」前に「国民を理解すべく努める」事が求められているはず。

誰のために法案成立を急ぐのか。それは本当に国民を守るためなのか。


もう一度選挙して賛成派が多数を占めたら、どうぞ成立させて下さい。それからでも遅くないはずなのになぜそれをせずに急ぐのか。

その目算が立たないから今やるというのであれば、それは欺瞞ではないだろうか。


「非武装」で国際情勢を渡り歩くのは【今は】現実的ではないと思いますが、他国の戦争に協力したらそれは「当事者国」だと私は思います。攻撃されないだなんて誰が言えましょう。

また、相手を焚き付けることで「存立危機事態」を招くという観点はもっと重要視されていいでしょう。私は今の日本で、ここを最も恐れています。

そして何よりも、「血を血で洗う世」は、嫌です。

我が子を迎える世は、平和でなければなりません。

そう、願います。