そんなことはあってはならない | 町田ロッテと野球散策

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いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

サッカーワールドカップたけなわですが、日本も韓国も終戦しています。私はサッカーに興味がなく結果すらろくに見てはいないのですが、やはりいかなる形であれ国を背負って戦ってきたわけですから、お疲れ様と言いたいです。結果はどうあれ、彼らは熱狂をもたらしてくれたのです。

さてその「熱狂」がまた厄介です。どこまでOKでどこからNGかは線引きできるものではないことを承知で言ってしまうのですが、韓国代表が帰国した仁川空港の模様を伝え聞き、少なからずショックを受けました。

なんでも罵声あり、飴投げありだったとか。

ちょっと考えてみましょう。ファン(ときに「サポーター」と言われる)は、そんなに偉いのでしょうか。何の権利があってそんなことができるのでしょうか。

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プロスポーツだからですか?
一方結果を出せなければ選手や監督はときに「謝罪」というものをしますが、選手や監督は果たして謝らなければならないようなことをしたのでしょうか。

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「ファン・サポーターにはそれが許される、だって応援したんだもの、一緒に戦ったんだもの(←これも果たしてどうか?)」
と言うのがファンでありサポーターであり、かつその定義であると言うのであれば、そんなものは要りません。それがスポーツの姿と言うのであれば、私は積極的に異を唱えます。

アスリートがその肉体を駆使して未開のパフォーマンスを見せようと挑戦するところにスポーツの魅力はあるはずです。ああ人はそんなところまで行けるのか、と。その「人」の挑戦における努力の過程からがもう魅力的です。私は、そんなスポーツの世界を見たいのです。

(サッカーに興味を失ってしまった要因の一つは、その「政治性」であることは否定しません。競技者に罪は全くないのですが、取り巻く「熱狂」があまりにも…)

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私はたまたま野球を愛するものですが、選手がファンに謝罪する様に違和感を持ちます。手を抜いた、八百長した、不正を働いたというのであればそれは謝ってもらいますが(笑)、精一杯やったのであれば謝る必要などありません。

またファンが選手を罵る、非難する様にも同様に違和感を持ちます。金を出したからそんな権利があると言うのは違います。「勝てなかったら金返せ」だと?
そんなもの、そもそも売っていません。

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(気のせいであればいいのですが)スポーツ文化というものが蹂躙されているような気がしたのでちょっと書いてみました。あくまで私見として書く自由は担保されているはずという前提で。

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