吉田修一『パレード』 | 町田ロッテと野球散策

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いやぁ、野球って、本当にいいものですね。

 いつものように午前五時に起床して珈琲をブラックで飲みながら朝刊を読むのが日課である。アルジェリアのプラントでの事件は、深刻な様相を呈している。そして・・・

 そうか、昨日からだったのか。センター試験。



 朝から問題を解いてみた。いや、解こうとした。はっきり言って、ほとんど解らない。たとえば英語では「アクセントが一つだけ違う語は?」という問題があり、四つの単語が並べられるのであるが、どうしても「二対二」になってしまう。ああ、絶対に違う。昔から二択で悩んだとき、「ええいままよ」と五十パーセントの確率にかけて一方を択ぶのだが、正解はきまってもう一方である。この経験則をもって逆を衝いても、解はそんな私を嘲笑うかのように「逆の逆」を行く。私にとって「二択」は、天敵である。英語に関してはそれ以降の問題はちんぷんかんぷんである。熟語なんて、完全に忘却の彼方である。せいぜい”be able to 止まりである。悲しい。

 国語はなんとか正解を導き出せる目途がついたのがせめてもの救いである。世界史Bは、挑んですらいない。記憶勝負の科目に太刀打ちできるはずがない。ここ数年のセ・リーグの優勝チームを列挙するのさえ怪しいのに。

 私がセンター試験を受けたのは、丁度二十年前の一九九三年である。・・・実は十九年前も十八年前も受けている。・・・二浪したからである。現役で臨んだ二十年前は、皇太子ご成婚の話題で持ちきりだった。受験会場が目黒区の小山台高校だったので、友人と徒歩で現皇太子妃の実家を見に行ったものである。十九年前の調布の東京電機大学は、よく覚えていない。そして親に「これが最後だぞ」と宣告された十八年前の一九九五年は同じく調布。実はこれが原因で私は成人式に出ていない。当時は「第二月曜が成人の日」というルールがなく、決まって一月十五日が成人の日だったのだ。杉並公会堂に後ろ髪ひかれながらの受験だった。やはり二浪仲間で「うちうちの」成人式と称した酒盛りで盛り上がったのが、私にとっての成人式か。



 「最後の」受験でなんとか大学に入れた。


 吉田修一『パレード』は、そんな私が四年通った市ヶ谷の大学が舞台となる章で始まる。たしか作者は、同じ大学だったと思う。その章の主人公をはじめ、十代二十代の若者がひょんなところから同居するマンションの一室で織りなされる青春群像劇である。初めは「ビバリーヒルズ青春白書」のノリで読み進めたのだが、最後に近い二百八十八頁で読者は驚く。現代の若者気質というか、人と人が顔を突き合わせるというのは、「外面」の集合なのかもしれない。それでも平穏に過ごされる同居生活は、ある登場人物の口を借りれば「チャットみたい(なもの)」らしい。ほぉ。本当の自分は、別にある。そして、そんなのは百も承知。

 さっそく再読したい小説だった。



 最後に。私が四年過ごした大学は私立で、三回も受けたセンター試験の結果など問わないところだった。数学がてっきり駄目だったので、国立大は高嶺の花だった。

 もちろん明日の朝刊の数学は、見ることすらしないだろう。



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