母が痴呆症の疑いが強く出ると一家の家事を請け負っていた母の代
わりが必要だ。料理?洗濯?掃除などは当たり前でゴミ出しや生ご
みの処理、風呂掃除に洗濯物の整理に始まりポットの清掃や炊飯器
のメンテナンス(空焚き)布団干しや食器の整頓など多岐に渡る。
母親が今まで買いに行ってたティッシュペーパーやトイレットペー
パーや洗剤数種類に柔軟剤、ハイターでも2種類にトイレのクリー
ナーに食用油などのキッチン用品、生ごみネットにゴミ袋などの消
耗品さらには介護が必要な母親には下着なども買いに行かねばなら
ない
「母さん、花を買ってくるけど必要なモノある?」
「サンダル」
「先日買ってきただろ、あれじゃダメなのかい」
「勝ってきてないよ」
下駄箱には見当たらない、確かに買ってきた筈だというのにない袋
に入ったままとも考えたが袋自体ない。本人に買ってきて貰ったと
いう自覚がないから聞いても致し方ないのであるし買った当人さえ
も本当に買ったのだろうか自信がなくなってくる。そんなことを考
えながらスーパーへ買い物に行った。
若い時と違い何か心に想う事があると買おうと考えていた商品を買
いそびれるもので弁当に揚げ物をいれようと食用油を買い忘れてし
まいその癖母のサンダルは忘れる事がなかった。
スーパーから自宅へ戻り買ってきた食品を冷蔵庫に入れていると何
やら大きなレジ袋を見つけた。
”なんだ、こりゃ?”
勿論男が買ってきたものではなく心当たりがないレジ袋、わからな
い物が入った袋を触る時人は慎重になり指の触感で判断しようとす
る。袋の中身の凹凸(おうとつ)から触ったことがあるものだと思
った。
4ドア冷蔵庫の一番下にある引き出しの野菜室に不明のレジ袋の正
体は数日前に買ったサンダルで値段札がそのままつけてあった。
「サンダルじゃないか」
痴呆症の人物と一緒に暮らす場合、思いがけない行動を取る。レジ
袋に入ったお茶菓子などが下駄箱に入っていたのは可愛いほうで盛
り合わせ刺身が洗濯機にあった場合もあった。その事例を踏まえ及
びもつかない予想だに考えない場所にあると前々から注意していた
が焦りや多忙などで考えが及ばないのだ。
その日の晩、男雄一は夢を見た。
現代の服装と違い絣(かすり)の和服で髪形をみれば明治時代のそ
れそのような女が出てくれば誰もが幽霊だと思うだろう。
「お前様の母の命を奪っても良いか」
間違いない、この女は幽霊で母に呪いを掛ける気だ。だが・・・
悪霊は大抵無言で呪いを掛けるもの、この女の様に話し掛け相手の
承諾を請うなど聞いた事がなく疑心暗鬼に墜ちた。
「あんたは何者なのだ?」
「あんたとな?なんと失礼な輩じゃ」
「まぁよい、我は老衰の神じゃ。老いた者を極楽浄土へ案内する」
「母に死なれては年金が打ち切られるじゃないですか」
母の年金で税金などの公共料金を捻出していたのでいまや母の年金は
一家にとって掛け買いのない収入源となっていた。
「我の知ったことではない」
「知った事でしょう?酒が飲めなくなるんですよ」
「酒くらいお前様の稼ぎで賄えるであろ」
「そう考えるのは庶神の浅はかさ」
次の瞬間意識が遠のいていった。
神が自分から行動に移すことはなく人間の祈願があって願いを叶
える。痴呆症が発症する以前まだ夫(父)が元気だった生前から
母絹江は自分の死を願っていた。
朝になると昨晩みた夢の記憶は消し飛び雄一は忙しく朝食の用意
をしている。コメは夕べのうちに研ぎ炊く準備をしており米は炊
いてあるが味噌汁は作る必要があった。生活するためには収入を
得なければならない、そのため近所で掃除の仕事をみつけ朝7時
には家を出なければならずそれまでに料理をつくり後かたずけ、
洗濯までしなければならなかった。
「いってくるよ」
「宿題やったのかい?今日は部活で遅くなるんだろ」
「部活はやめたよ」
60過ぎても母のなかでは高校2年生、高校でそれ以上年を重ね
ていないようだがあえて異論は唱えず雄一は母に合わせた。下手
に現在は62だよと言うと「おたくどちら?」と言いかねないの
で高校生でも子供と認識があるうちはいいだろうと雄一は考えた
祐一の勤務先まで自宅から徒歩10分、市の広報では毎日のよう
に老人の行方不明を放送する。放送がある度、自分の母が行方不
明になったのではと気がきではない。首から下げる名札も考えた
があれは相手頼みで相手が通報してくれないと意味を為さない気
がしたのでGPSを利用する新しく販売された携帯電話の機能を
持つ電子名札なるものを母につけてさせている。これは自分の母
の居場所を自分の携帯で居場所を特定でき登録した電話番号に通
話できるスグレモノだ。電話にはさまざまな機能がつき大型化し
たが電話の原点に戻り小型化するメーカーのおかげかカードと同
一サイズまで小さくなり財布に入るまでに至った。
文明は発達したが痴呆症が消えることはなく伝染病化したのであ
る意味進化したのかもしれない。まるで母の痴呆症が伝染したか
のように雄一の身体を蝕む。
その日は何時になく忙しく普段はグループごと数人で企業のオフ
ィスを掃除するのだが突然二人辞めてしまい3人だけで掃除しな
ければいけなかった、しかも運が悪いことに今日の現場は7階建
て大企業のオフィスであった。一人2階担当しなければならず残
った1階は3人でやることになった。
「胸が苦しい」
「大丈夫ですか」
調子が悪くても同僚は違う階で作業するから手助けはいない、心
配そうに声をかけるのは得意先の若い女性社員だ。しかし得意先
の担当社員は知らぬ顔で作業を止めては困る、早く作業を続けて
欲しいといった表情で不服顔をみせる。
「身体の具合が悪いのなら他の人に変わって貰った方がいい、もし
それが不可能というなら帰っていいから二度とおたくの社員を見
る事はないだろうね」
「大丈夫です、やれます」
「本当なのかい、頼むよ本当に」
雄一は肺高腫という死亡率40%の病気で市民病院の心臓外科医師
から心臓が爆発するかもしれないから覚悟してくださいと言われた
程、過激な運動は絶対禁止と釘を刺されていた。
「早く来てくれないとゴミが溜まってしかたないよ」
「あの手伝いましょうか」
先程声を掛けてくれた女性が同僚を連れて再び手伝おうとしてくれ
るが掃除のプロのプライドが許さない。
「ありがとうございます、これは私の仕事ですのでお構いなく」
このフロアだけで後10数か所からごみを集積しなければならな
かった、健常体ならばどうということはないが今の雄一にとって
10キロ近くゴミ容器をひいて廻るのは容易なことではない、ゴ
ミは回っていくうちにさらに増え最終的には40キロにもなる。
不幸な事に今日はコピー機のトナーカートリッジ回収日、60キ
ロにもなり健常者でも辛い重さで雄一は胸を抑え倒れ込んでしま
う。
「雄一、お帰り」
「ここは家かい?」
「御爺ちゃんがいるだろ、御婆ちゃんもいる、一緒に極楽へ」
「かあさん死んだのか」
「泣くんじゃないよ雄一」
おわり
この物語はフィクションであり実在の
人物団体には一切関係ありません