祐一と由美、娘のナナと母の多恵そして由美の両親である伊藤夫妻
は祐一のサイン会がある富士の森公園まで来ていた。だが早朝の為
第1駐車場へ至る入場ゲートはまだ施錠したままである、そこで一同
は来た道を少し戻り7人乗れる祐一の4WDでコンビニに到着した。
「ナナちゃんは何が飲みたいのかな」
「うんとね、ココア」
「私たちはビールにしよう、祐一君」
そう言ったところで広治は由美からビール缶を取り上げられてしまう。
「パパ何考えているの、車はどうするのよ。」
「お義父さん、ではノンアルコールのビールにしましょうか」
祐一がガラス扉の大型冷蔵庫からビール缶を取り出して広治に見せ
ると難しい表情でノンアルコールビールに納得いかないようだ。広治
は依然部下から一度飲ませられたことがあってアルコールのないビ
ールの不味さに怒り、飲みかけのビールを投げ捨てた経験があった。
「きみはよくこんな不味いビールを飲めるな」
「確かに出た当初は炭酸の味しかしなかったですが最近はノンアルコ
ールビールも進化して結構飲めるんですよ」
「そもそも祐ちゃんは朝ホットコーヒーしか飲まないのにあえてパパに
付き合うためにビールを飲もうとしているんじゃない、祐ちゃんの気持
ちを少しは汲んで欲しいものだわ」
由美はコーヒーマシンからアイスコーヒーとホットコーヒーを1つづつ出
し両手で持っていた、ホットコーヒーは祐一に飲ませるため出したのだ
広治は仕方なく由美に言われた通りノンアルコールビールにするしか
方法はなかった、なぜなら背後からは香那子の厳しく刺すような視線
があったからなのである。
ナナを含めた女性陣は車の中へ戻ったが祐一と広治はコンビニ軒先
に設置してある円筒状の灰皿近くで立っていた。勿論煙草を吸うため
に他ならない。広治は電子たばこであるが祐一は外国産の安いタバコ
「なんだ祐一君は電子たばこじゃないのかね」
「あれは最初の出費が安くありませんからね」
「だったらわたしが買ってあげよう」
「いやいいですよ、おれはこのたばこが好きなんですから」
「君には娘由美のことでいろいろ世話になったし遊びに来て貰いなが
ら料理まで作ってもらい本当に申し訳なく思っていたんだよ、このく
らいはさせてくれないか」
広治は依然自分の命を削ってまで由美を助けてもらいその礼をまだし
ていないことに後ろめたさを感じていたのだ、電子たばこ程度じゃ返し
きれないが車を買ってあげると言っても断られ農機具を買うと言っても
断られたので何も貰ってくれない祐一に何かしてあげたいと常々思っ
ていた。そんな広治の気持ちを祐一は理解していた。
「それではお言葉に甘えて買ってもらいますよ」
「おおそうか、そうこなくちゃ。」
広治がコンビニの中へ電子たばこを買いに行く間、祐一に声をかける
人物が現れた、年の侯でいえば30代半ば顔立ちが整った優男である
「祐一先生ですよね、妻が大ファンでして僕も本を読まされました」
男は離れた場所にいる照れくさそうにする女性を手招きで呼び寄せサ
インをして貰えと言った。男の妻は祐一に一度会ってみたいと思い夫
に頼んで今日のサイン会へやってきたらしい。
「ところで先生、今日はおひとりでサイン会へ来たのですか」
「いや家族と一緒に来てますよ」
コンビニから出てきた初老の男性を指さして義父だと告げた。
「では奥様と娘さんもいるんですか」
「車の中にいますよ」
「サイン貰えませんかね」
祐一は一般人である由美のサインがなぜ欲しいのかわからなかった。
確かに新聞の記事に由美の写真が掲載されたことはあるがそれだけで
サインがほしいとは考えられない、と考えているなか車中の由美を見る
といつの間にかサングラスを掛けている。
「なぜ妻のサインがほしいんですかね」
「先生は聞いていられなかったのですか」
男はそういうと持っていたカバンの中から1枚のチラシを祐一に見せた
そのちらしにはサイン会の場所と地図、開催時間、そしてゲストの人名
六芒輪祐一&妻由美のサイン会と書いていながら伊藤由美サイン会
とも書いてあった。不思議に感じた祐一がよくチラシを見てみると伊藤
由美写真集サイン会と表記されているのを見つけた。
「それではきみは由美のサイン会へ参加するために来たというんです
ね、今写真集は持っていますか」
「はい、持ってきてます」
「見せて貰えませんか」
すると男はカバンの中からA4サイズよりも大きい写真集を取り出し
祐一に渡した。タイトルは恍惚の秘書裕美、このタイトルから想像する
に淫らな写真集ではないのかと感じた。全裸の写真こそないものの薄
い布の衣装のせいでほとんど全裸に近い写真ばかりであった。水着の
写真とて競泳用の白く薄い水着であるため下の毛まで透けて見える。
「なんだこの写真集は・・・」
「奥様が写真集出したのをご存知ありませんでしたか、まずいな」
祐一はこの写真集の版元が小早川の会社であると知ると西尾もこの
件に関わっていると思った、となれば今回のサイン会は由美を引き出
すために自分(祐一)はフラグとして使われたと理解できる。
しかし祐一はこの写真集を見て妻由美の新しい魅力を知ることができ
た、ほとんど毎日のように由美の裸体を見ているがギリギリに隠す事
で裸体を見るよりも興奮する、これは欲しいと祐一は思った。
「妻のサインが欲しいのですね、だったらわたしがサインを貰ってきま
すからちょっと借りますよ」
先ほど温和そうに見えた祐一だったが今は張り詰めた糸が切れそう
な状態で男は逆らうことができず黙って本を差し出した。写真集を脇に
抱えて車に向かって歩き出す、その歩は早い。
「おい!ちょっとサインしてくれ、おまえのファンから頼まれたぞ」
「え、な~に」と由美が祐一の表情を見た瞬間、怒っていると感じた。
なぜ祐一が怒っているのかその理由がわからない、八つ当たりする
ような男性ではないから何か自分に落ち度でもあったのか思慮して
いると助手席のガラス越し一面に雑誌を祐一は押し付けた、由美に
心当たりのある写真集。由美の写真集である。
”わっ、やばっ”サングラスの隙間から上目遣いで由美が祐一の顔を
見てみるとコメカミのあたりが引き攣っていた。
この写真集は祐一に内緒で撮影したもので本が発売されても由美は
隠していた。当初はそんなに売れないだろうと考え祐一が知られる前
に闇から闇へ葬られる筈だった、であるが由美の予想を遥かに上回り
増版されてしまった。由美は売れ具合をまったく気にしていなかったの
が最大の過ちだったかもしれない。
サングラスを外し仕方なく写真集にマジックでサインを書くと祐一は黙
って受け取り身体を180度回転させた後、立ち止まった。
「由美、家へ帰ったらじっくりと説明して貰うからな」
「は、はい」由美は恐怖に震えながら返事をした。
今まで祐一から説教されたことはあったが怒られたことはない、由美
は祐一の怒る姿をはじめて目にした。しかし祐一が怖いと思ったのは
由美だけではなかった、車中のナナが泣きだしたのである。
「ナナちゃん、怖かったのかい。でもね悪いのはママのほうなんだよ、
パパはねママに怒ったんだ。ナナちゃんにじゃないんだよ」
「ママはなにか悪い事したの?」
「ママはね他の男の人に裸を見せてしまったの、悪いママねえ」
「だけどね夜になればまたパパとママは仲良しになれるんだよ」
広治と香那子の言葉によってナナは泣きやんだ。ただ由美としては
自分が浮気をしたみたいに言った母の言葉に落ち込んでしまう。
祐一が写真集を返し助手席の由美を見ると気落ちしている。まぁあの
程度(写真集)では本気で怒る祐一ではなかった。祐一としては写真
集を出したことよりも何も話してくれなかった由美が腹立たしかった。
「ところでさ由美、今日お前もサイン会をやるって聞いていたか」
「知らないけど。まぁ頼まれても祐ちゃんが怒ってるから・・・」
「先刻、サイン会のチラシ見せて貰ったんだけど伊藤由美の名前でサ
イン会に出る事になってるようだぞ」
「なんですって!に・し・お」
今やっと由美は西尾の計略が理解できた、はなから自分をサイン会へ
引きずりだす為に夫祐一を唆したに違いない。多分小早川も同じ穴の
ムジナで自分達は嵌められたのだ。
祐一達は4WDで第2駐車場まで戻ってみるとまばらだった駐車場は
7割ほど車で埋まっていた。第1駐車場のほうも車の列が並んでいる。
「まさかとは思うがこの渋滞っておまえのサイン会へ来た人達の車な
んじゃないないのか」
「・・・」
祐一としては第1駐車場の方へ車を駐車したかったがこの車の多さ
ではここ第2駐車場でも仕方ないと考えた。そんな時祐一の携帯電
話が着信音を鳴らせた。
「祐一さん、今どこかしら」
「西尾さんですか今下の駐車場にいますよ」
「でしたら下り車線から上まで登ってきて頂けますか、2台分の駐車
スペースを確保してますので車を回して下さい」
祐一が第1駐車場まで坂道を登って行くと西尾が手招きするのが見え
る。祐一の車と広治のベンツを隣り合わせで駐車すると真っ先に降り
たのは由美である。
「ちょっと西尾さん、わたしの写真集のサイン会など聞いてないわよ」
「それはそうよ言ってないもの。言ってたら来てくれたかしら」
「来ないわよあんな恥ずかしい写真のサイン会、どんな顔してサイン
すればいいのよ」
「祐ちゃんも黙ってないでなんとか言ってよ」
祐一は由美とは反対方向を向いて俯き何かを凝視していた。
由美が祐一の正面に回り何してるのか確認すると事もあろうに祐一
は由美の恥ずかしい、ほとんど裸体といってもおかしくない写真集を
見ていた。
「祐ちゃん!そんなの見てはいけません、わたしが回収します」
「返せ由美、それは俺のだ」
密かに小早川から写真集を祐一は貰っていたのである。
裏側から由美が表紙側から祐一が写真集を引っ張る、お互い譲れな
い誇りを掛けた綱引きであった。綱ならば引っ張れば力のあるほうが
勝者となる、だが今引っ張っているのは本なのだ。本は裂けるもの。
結局写真集はページの真ん中から裂けて本を破壊した由美の勝ちと
して勝敗は決した。だが祐一は諦めない、丁度本の中央ページを境
にして両断したのでまだ修理は可能と考え1項1項拾い集めている。
「見っともない真似やめてよ、もう駄目なのその本は」
「おれの由美が・・・由美を捨てておれは行けない」
由美はたとえ写真でも誰かの手に渡ることは許さないと祐一が言って
る気がして嬉しくなった。ただそれは由美の気のせいでしかなかった。
女性にはわからないだろうが男性は手に入れた写真集の個々に気持
ちが移入してしまうのだ。性欲の解放手段としての裸体画像ならば尚
その想いが強く出る。祐一の言った”おれの由美”とはあくまでも写真
ページのことで妻の由美ではなかった。
「あんもう、新しいのあげるからもう拾わないでよ」
「おおお、本当か由美。自宅で見ていてもいいんだな」
「勝手にすれば」
「でも祐ちゃん、そんな写真より手が届くところに本物がいるじゃない」
「女のおまえにはわからないさ、男の浪漫なんだよ」
こうして由美のサイン会への参加は決定した、ここまでは小早川編集
者と西尾の思い描いた筋書き通りに運んでいる。ただ小早川としては
あくまで担当作家は祐一である、由美の写真集は同社が出版してるも
担当部署は小説部門ではない。確かに会社の利益が上がれば嬉しい
だがやはり自分の部署の売り上げを伸ばしたいというのが小早川の
本心だった。
「西尾さん小早川さん、では木工教室に言ってきますね」
「午後3時からサイン会なので送れない様にしてください」
「じゃ行ってきます」
祐一はこの富士の森公園に来た本来の目的は愛娘と一緒に何かを
作るために木工教室へ参加することだった。祐一はDIYで簡単な家具
程度くらいなら教室へ出るまでもなく作れたしナナに教えることも出来
た、だがここにはナナに近い年齢の子供が来るので親には教える事
が出来ないような事もナナに得る事が出来るかもしれないと考えてい
た。木工教室は9時にはじまり16時まで行われる、サイン会は15時
からなので早く作れば問題ないと思っていた。そこが祐一の考えが甘
いところだった。
作業室には何台かの木製で頑丈そうな作業台があり丸鋸やボール盤
などの穴あけ機械もあるが今回は子供いるので出来上がってる部品
を組み立てて塗装する程度の工作である。裕一とナナはフォトスタンド
を選んだが由美はブックスタンドを選んでみた。
若い指導員の説明の元、支持通りに組み立てて行くわけだが微妙な
板材のズレでうまくいかない場合もあった。純真無垢なナナは指導員
を信用していたからうまくいかないのは自分のやりかたが悪いと考え
たのか無言でひたすらフォトスタンドの枠組みを組み立てようとしてい
る。祐一は黙ってナナの動向を見守っていた。
板材の接合個所がずれていると過大な圧力がかかった場合、材料は
破綻する、そしてナナのフォトスタンド枠も破断した。
「ママ~、壊れちゃったナナの・・・」ナナは大きな瞳から大粒の涙を滝
のように何度も床に落とした。由美はそんなナナを慰めてると一人の
男性が部材の要求を若い指導員にしているのが見え由美も手をあげ
ようとした、だが手を半分あげたところで祐一から腕を捕まれた。
「由美ちょっと待ってくれないか」
「え、どうして?向こうで交換してくれるみたいよ」
祐一は目の前の壊れた部材が廃棄されようとしているのを黙って見て
いられなかったのである。もしこのまま出来の悪いものを再びナナが
遭遇したら簡単に廃棄するようになる。そうなるのを止めたかった。
「この壊れた枠材はおれが治す、新しい材料でまたナナがうまく組み
立てられなかったらどうなると思う?2度と工作はしないぞ」
「祐ちゃんの気持ちはわかるけど、これ治るの?」
「任せなさい、いまここでやめればナナの記憶からフォトスタンドは消え
る、けれどたとえ綺麗に作れなくてもさ家にあることで一生このスタン
ド見るたびナナは自信を失わない。」
「そこまで考えてるんだ流石はわたしの旦那様」
泣き続けるナナに由美はもう慰めない、失敗していないナナを慰める
必要はないからだ。由美は今ナナを励ましていた。
「もう泣かないの、今ねパパがちゃんと組み立てられるように作り直し
ているんだよ。ナナちゃんはパパのこと信じてるでしょ?だったらもう
一度組み立ててみようよ」
ナナは由美の言うことに納得し頷いて涙を止めた。
祐一はフォトスタンドの枠材を加工しながら思っていた、工作を諦めて
欲しくなかった想いも確かにあるだが祐一はもっと先まで考えていた。
何事も失敗はある、失敗しても挽回出来ればそれは成功という結果が
できる。祐一は父親としてナナには簡単に諦めず何事に対しても強い
女性になって欲しいと願った。自分と妻の由美は嫌なことからすぐ逃げ
ようとする、だが娘には立ち向かって欲しいと思った。
”がんばれよナナ”願いを込めて枠材を加工した。
祐一がナナのために材料を加工したがその間も刻(とき)は流れていく
工作の指導員は決められたカリキュラムに沿って進行させた、その為
祐一たちは当然遅れ気味となった。サイン会開始時刻の15時、その
30分前でも関わらずまだ塗装する準備も出来てはいなかった。
「由美おまえだけでも先に行ってくれ」
「いやよ夫が頑張っているのにわたしだけ逃げるのは嫌、15時までは
ここにいるわ。いいよね」
「仕方ないな、じゃできる限り早く作ってみるよ」
15時になり祐一は塗り始めている、だが乾くまで最低30分はかかる。
由美は一足に先にサイン会場へ向かった。ここで親たちに後を任せる
ことも出来たが祐一にはナナを置いて行くことは出来なかった。
15時半になり塗装は半渇き、そこで祐一はやっとサイン会場へ向かう
会場まで走った、鼓動は早くなり頭から汗を流しそれでも祐一は走る。
そして今祐一はサインをする由美を見て足を止めた。由美を見て驚き
足が勝手に止まったのである。その理由は・・・
つづく
この物語はフィクションであり実在の人物団体
には一切関係ありません





