祐一と由美が東京へ帰省してる間、自殺を図った母の多恵は西尾の
発見で一命を取り留め今開成町の病院で入院していた。多恵は西尾
のおかげだと思っているが西尾はそう考えていなかった。畑の土を真
っ赤に染めるくらい血が出たのだ、西尾はその時点で出血多量で絶
命したと考えた。そんな状況で救急車が早く到着したとしても手遅れ
と判断されても不思議ではない、ところが多恵は生きている。これが
奇跡でなくてなんのか。
西尾良子が多恵の付き添いをしてる中、祐一夫妻と伊藤夫妻が見舞
いに現れた。由美は開口一番感謝した。
「生きていてありがとうございます、かぁ様」
「母さん俺は諦めていたんだ、生きてまた会えるとは思ってなかった」
多恵は自分の心配をしてくれ無事な事に涙を流し喜んでくれる嫁の
由美にすまない気持ちで一杯だった。自分はなんて愚かなことをした
と反省もした。今の自分には由美がいる、祐一がいる、ナナがいる
そして伊藤夫妻もいる。多恵の命は自分ひとりのものではないと改め
て痛感した。
「多恵さん清二のことは自分一人で罪を被らないで頂きたい、あなた
の重荷をわたしや香那子そして祐一君や由美にも背負わせて貰え
ませんか」
「夫の言う通りですわ、多恵さんは私共にとってかけがえのない家族
家族とは良い事も悪い事も分かち合うべきだとわたくしは信じてます」
「でも出血が少なくて良かったよ母さん」
「祐一さんそれは違います、出血多量で死んでいてもおかしくなかった
のですよ、今多恵お母さまが生きておられるのは奇跡です」
西尾は差し出がましいとは思ったが言わずにおれなかった。
「それはな、多分仏さまが助けてくれたんじゃ」
多恵は夢で仏さまが現れたことを話して聞かせた。あえた不動明王
の名前を出さなかったのは言ってしまえば有難味が消える気がした
から仏さまと言ったのである。
「由美あんたもしかして身籠ったんじゃないのかい」
「どうしてそれを?まだ誰にも言っていなのになぜ知ってるんです」
多恵は由美の返事で不動明王の話してくれたことに確信した。
だとすれば生まれてくる子は男の子に間違いない、特別な子なのだ
「由美本当に出来たのか」祐一が訊ねると由美は頷いた。
「よくやった由美、今度はお宮参りへわたしも行くからな」
「あなた、気が早いですわ」
みんな喜んでくれるものの由美は母の多恵がどうして懐妊に気が付い
たのか理解できなかった。妊娠2か月では本人さえ自覚症状はない
食べ物も特に何かが食べたいというような事もなく普通の食事なのだ
産婦人科の医師にさえ懐妊を発見しない場合もあるくらいなのである。
「かぁ様なんで妊娠したのがわかったんですか?」
「そりゃ3か月にもなれば食事も変わるだろう、多恵さんは敏感なんだ」
「パパわたしはまだ妊娠2か月なのよ」
「夢でね仏さまが由美が身ごもりナナの弟が生まれるからわたしはそ
の子の成長を見届けなければいけないと言われたんだよ」
キリストの様な救世主なのかはたまた破壊神のような悪魔の子なのか
他人からみれば羨ましいかもしれないが妊娠してる由美からすれば特
別な子など欲しくはない、普通の五体満足な元気な子であれば良いと
考えていた。生命力の強すぎる子供は出産まで待てず自力で出てくる
のではないかと不安もあった、でもそれは由美が異星人映画の見過ぎ
だったのかもしれない。
「西尾さん今回はなんて感謝すればいいかわかりません」
「祐一さんあたくしはもう人の死には立ち会いたくないんですの、確かに
会長からの指示はありましたが知り合いが死んでいくのはもう見たく
ないんです」
確かに最もな言葉を言った西尾ではあるが西尾は計算があった。無償
で動くほどのお人よしではないのだ。今まで散々利用された祐一ではあ
あるが西尾と違い心底のお人よしの性(さが)で素直に納得した。
祐一の妻由美も西尾から元恋人雅之の死を聞かされていたので疑う余地はないと考え西尾の哀しみを理解できた。だが西尾からすればなんて
お人よしの夫婦なんだろうと考えていたと知る由もない。
西尾は編集者小早川から由美のサイン本を売る事は出来ないかと相談
されていたのである。出来る事なら由美と娘ナナの写真集も売りたい
と持ちかけられていた。当然成功報酬は西尾に入るわけだ。
「では言いにくいのですが祐一さん、8月に富士山の周辺にある公園
でサイン会を行いたいんですがお願いできますか?時間は午後から
ですからそれまでの時間は木工体験のイベントにも参加できますし」
あえて由美のことは告げず小説家祐一のサイン会と切り出すあたりは
計算高い西尾の上手さではあるまいか。
「良子さんそれくらいなら構いませんよ」
「ちょっと祐ちゃん、かぁ様を見ていないと心配だよ」
「それはそうなんだけど、お世話になった良子さんに恩返ししたいし」
母の多恵はまだ自分が自殺すると思われていると感じた、だがここ
でもうやらないと言っても信じて貰えないだろと考えた。ではなんと言
えばいいかと考えた時、答えはひとつしかないと思った。
「わたしは生まれてくる子を抱きしめたい、でもいまのままじゃダメなん
だよ、胸を張って孫を抱くためには罪を償わなければならないのさ」
「かぁさん、自首するというのかい」
「そうさ、伊藤さんには迷惑かけることになるかもしれないけど生きて
いればいつの日か孫を抱くことができる、わかって欲しい」
祐一にも由美にも反対する言葉は出なかった、だからと言って納得で
きることではない。どんな悪人でも殺せば罪に問われる、それは人間
として人を殺めるのは最大の罪だからである。ただ西尾としては多恵
が自首するのは計算外であった。
「多恵お母さま、考え直して頂けませんか?伊藤会長は伊藤グループ
の総帥、巨大企業といえども頭を失えばただの木偶人形となってしま
います。」
「西尾君、香那子、多恵さんがそう思うのなら好きにさせてあげてくれ」
広治は今まで随分と人に言えない事をしてきた、今の会社を興す前に
は暴力団の幹部として人を泣かせてきた。ただ多恵の手助けをした時
からある程度覚悟して来たことでもある。広治はもう疲れ果てそろそろ
潮時かと考えていた。
多恵の入院する病院を出たのは12時を回っていた。昼時ではあるが
病院の近くには数件の民家と田畑しかなく主要道路まで行かなくては
レストランや食事処は一軒もない。ここから車で20分走るのであれば
祐一は自宅へ帰る事が出来る。
「俺達は家へ帰りますがお義父さん達はどうしますか」
「わたしは会社で仕事が残ってるから今日は戻るとしよう」
「香那子、西尾君はどうする?」
「わたくしはもう少しナナと居たいので祐一さんの家へ行きますわ」
「人と会う約束がありますので会長のお車に同乗させて頂いてもよろし
いでしょうか」
「ああ、構わない」
白のベンツ420は東京へ祐一の黄色い4WDは大井の家へ向かった。
広治は東名高速から246号線を左折して車を止めた、西尾は三軒茶
屋で人と待ち合わせてしてる言う。広治は発進するとサイドミラーで
手を振る西尾が映っていた、そして246号線をそのまま走り大手町に
ある会社のビルを目指す。
西尾良子は三軒茶屋駅でとある男性と会った、祐一が世話になって
いる小早川編集者である。駅から出て20分くらい歩いただろうか目
指すカフェに到着した。
「小早川さん、なんで駅から遠いここまで歩く必要があったんですか
もっと近い場所にたくさんあったようですが。」
「申訳ないです、ですが西尾さんこの店はインターネットが使えるんで
すよ。まずはメニューをご覧になってください」
小早川は多くを語らなかった、自分の目で見て良子に納得して欲しか
ったのである。西尾は今、空腹で耐え難い状況にあった。だがここは
カフェである当然軽食がメインなのでせいぜいオムレツがある程度だ
と考えながらメニューを開いた。西尾はメニューを見て驚いた、驚きは
あったがそれより嬉しくなるメニューの品々が記載されている。
「なんでカフェなのにかつ丼まで出来るんですか、凄い」
「いいでしょう、この店。トルコライスを食べてみませんか」
「そうですねではサラダとコーヒー、スープも欲しいわ」
小早川はウエイトレスに注文した。
「まずいことになりましたわ、小早川さん」
西尾は祐一の母親が自首する気でいると小早川に話しをした。
小早川は西尾の元上司清二社長が行方不明と聞き消された可能性
を考えていた。実行犯は無論知らない、まして祐一の母親が関与して
いたとは寝耳に水だった。
「そんな馬鹿な、多恵さんが・・・」
「サイン会どころじゃないでしょう」
「残念だけど今回のイベントは諦めざる得ないようですね」
祐一の母多恵が殺人犯として自首してしまえば祐一のサイン会どころ
か祐一の進退まで影響を及ぼしてしまう。祐一だけに留まらず妻の由
美やその父の伊藤会長まで及び一大スキャンダルとなる、と小早川は
思った。
「西尾さんひとつお聞きしたいのですが証拠となる品はあるんですか」
「なにひとつ残ってません、血痕さえ見つからないでしょう」
西尾も清二社長には許せない想いを抱いていた、そのため西尾は多恵
のサポートもしたし助力も惜しみなく手を貸した。
「サイン会の実施は兎も角、多恵さんの減刑は可能かもしれませんよ」
「それは一体どういうことですか?」
「人はねやる気が有っても手段が見つからないと動かない、そういう人
達はちょっとしたキッカケを提供すれば動いてくれるんですよ」
「・・・」
「わかりませんか、清二社長のせいで人生を捨てた人や泣き寝入りす
るしかなかった人は大勢いる筈でしょ」
「わかりましたわ小早川さん、わたしが被害者の人達と橋渡しをすれば
いいとおっしゃりたいのですね」
「わたしも出来る限りサポート致します、今祐一さんが潰れては当社と
しても損害がでますからね」
西尾良子はアジアで白骨化し発見された親友の真理子、その両親と今
も交流がある。真理子もまた被害者であり遺族とは顔の面識もある。
また元同僚だった秘書達とも連絡は可能であり全国秘書組合の組合員
でもあった。西尾はその組合の理事長である。
処(ところ)変わって大井町、祐一の家で祐一夫婦とナナ、香那子は今
汗水垂らしてスーパーの幕の内弁当を食べている。キッチンを見ると
何者かが空き巣に入って散らかしたような惨状にも見える。
由美は昼食を作ろうとした、祐一も料理を作ろうとした、香那子も主婦
として生きてきたから料理は作れる。だがこの家には台風の目がいた
のである。好奇心旺盛で大好きな両親から認めて貰いたい、けれども
気持ちだけが先行して実績が伴わない女、由美の事ではなくその遺
伝子を受け継いだナナのことである。
手伝うために野菜を切ろうとして由美を驚かせ煮物を炭に変えたり
祐一から頼まれたが塩の袋を床にぶちまけ、お茶の缶の場合は手を
滑らせ茶葉を拡散したりもした。ナナだけでも手が焼くところに香那子
はアルミホイルを包んだ魚を電子レンジで温めようとし結果火花が舞
い電子レンジが爆発しそうにもなった。
「はぁ疲れた」
「やっぱりナナって本当、おまえそっくりだよ」
今でこそ料理は普通に作れる由美だが料理を教えている間、祐一も
母の多恵も由美のドジさ加減には頭を悩ましていたのである。
「ええ~わたしあんなに酷くなかったよ」
「いいえ由美ちゃん、あなたの子供のころと瓜二つだわ」
母の香那子は回想してしみじみそう思った。
時系列を戻すと弁当を食べながら由美はサイン会へ祐一が行くのか
やめるのか気になり聞いてみることにした。
「祐ちゃんそれでサイン会はどうするの」
「やってみようかと考えてるんだけど由美はやっぱり反対かな」
母の自殺が心配だっから反対と言ったが内心西尾から嵌められそう
だと不安があり由美は反対した。実は祐一には言えないことが由美に
はあったのである。何度言おうとしたか、でもやはり言えなかった。
「もう反対はしないよ、反対はしないけどまた西尾さんが何か企んでい
そうで怖いのよ」
「由美ちゃん私達も参加したいのだけれどいいかしら」
香那子はサイン会には興味がない、ただナナの面倒をみたいだけであ
る。また由美の懐妊を知ったので自分が傍にいる必要があると考えた
「勝手にすればママ、でもナナは行かせないわ」
「そりゃないよ由美、ナナと木工教室に参加したいんだよ」
「まだナナは5才なのよそれに女の子、木工教室は無理じゃない」
「ナナは木材で何か作りたくないかな」
「パパやってみたい」
「なぁいいだろ由美、きみも一緒に行こうよ」
由美は先日テレビ放送で山奥に住む夫婦の生活を見て感動した。
その奧さんがなんと設計から施行まで一人で行い楽器を作ったのだ
自分も電動工具を使って何かを作ってみたいと感じた。
「祐ちゃんわたしにも作れるのかな?」
「やってみなければわからないがもし出来なくても助けてあげるよ」
由美は祐一と一緒に富士の森公園へ参加することが決まった。
そしてその夜、ベッドの中で由美の薄いブルーのブラジャーを外して
キスをしようとしたところで由美は拒否するかのように手で制止した。
「どうした由美、今日はその気にならないのかい」
「そうじゃないわ、祐ちゃんに聞いてほしい事があるの」
由美の真剣な顔を見て祐一は起き上がりベッドで座り込んだ。同調
するかのように由美もまた正座してお互い瞳をみつめる。
「若いときにね男たちに乱暴されたのは言ったよね、その後ね男性恐
怖症いやそうじゃないわ男性嫌悪症になって女性とつきあった事が
あるの」
「付き合ったって友人としてじゃないのか」
「恋人としてよ肉体関係もあったわ」
自分の愛する妻が以前レズだったと知ったら夫はどう考えるだろうか
今祐一は望む望まないに関わらず妻から衝撃的な告白を受け戸惑っ
ていた。悔しいとか哀しいといったような感情はなくただ驚いた。
「おまえが同性愛者だったとは考えもしなかったよ」
そういえば見合いの席で両親が由美の事を女性しか愛せないというよ
うな事を言ってた気がするがあながち親の幻想ではなかったと思った。
「ごめんね、へんな告白しちゃって。傷ついた?」
「多少はな、でもその女性とはもうつきあってないんだろ、まさかまだ
続いているなんて言うなよ」
「大丈夫よわたしが23歳の時に別れたからね、愛してるのは旦那様
ひとりだけ。一途なのよわたしって」
白く柔らかな曲線美を持つ肢体同士が絡み合う姿を見たい、そんな考
えは他人だから思う事である。愛する者が感じて悶える姿を見たくは
ない。祐一もそう考えていた。
「祐ちゃんに秘密は持ちたくないの、だから勇気を出して告白したわ」
「言って欲しくなかった気もするけど、とにかくありがとう」
由美にはもうひとつまだ祐一には話してない秘密を持っていた。何度
言おうとしたか、それでも言えずこんにちまで来てしまった。
多恵が退院した翌日、一家は御殿場まで来ていた。多恵もいる。
祐一は多恵を説得し自首するのを後日まで引き延ばして貰った。
当然のことながら西尾には前もってサイン会に行くと約束した。
サイン会の会場となるここ富士の森公園は道路沿いに第2駐車場と
第3駐車場、坂を登って施設の管理棟兼レストランの建築物前にある
のが第1駐車場がある。第1駐車場にはゲートがあり開園時間前では
施錠してあるので祐一は第2駐車場で広治と待ち合わせた。
祐一は車を白く塗られた線の駐車スペースからはみ出さない様に停め
エンジンを止め助手席の由美を見ると白地ピンクのTシャツ越しには丸
く盛り上がる二つの丘、その間を斜めに掛けられたシートベルトに依っ
て押えつけられた胸が妙にそそられると祐一が凝視していたら由美が
祐一の禍々しい視線に気づいたようだ。
「祐ちゃん何見てるのかな」ほくそ笑む由美は訊ねた。
「いや・・・ちょっと目の保養をね」
「パパ喉渇いちゃった」ナナは眠りから覚めた。
「ねえナナ、もう少ししたらおじいちゃん達が来るから一緒に買いに行こ
うね。ママもね何か飲みたいの」
「ママはパパから飲ませて貰えば」
「なんのことかな?」
由美と祐一はナナが何を言おうとしてるのか全くわからなかった。ただ
母の多恵は気づいたようで噴き出すのを堪えていた。
「だって夜になるとママはパパのお股に顔いれておいしそうにパパの
亀さんをチューチュー吸っていたじゃない」
「・・・」由美は絶句した。
由美の白い顔は頬を染めて薄紅から紅(くれない)に変色してしまう。
まさか自分の人に言えない姿を愛娘に見られていたとは知らなかった
祐一とて照れてしまいなんて娘に繕えばいいのか考えてしまう。
「あ、あれはねママがパパの亀さんをきれいに掃除してくれたんだよ
パパは自分でよく洗えないからママに頼んだんだよ」
「ちょ・・ちょっとぉ」
由美は祐一の腕をつねって引っ張り娘への説明が不適切だと訴えた。
だが祐一としては下手に誤魔化すのは教育上娘の為にならないと考
え多少脚色はしたが状況説明するしかなかった、見られてしまったの
だから。
”なんてこというのよ”
”だって仕方ないだろ、それどころかおまえが悶える姿も見られたんじゃ
ないのか”
それは有り得る事だと由美は思った、思ったがなんて答えが返るのか
それが怖かったので敢えてナナに聞くことはしなかったのである。
それから数分後朝の太陽光線を拡散して反射するパールホワイトの
世田谷ナンバーをつけたベンツCLS420が姿を見せた。
車を駐車スペースに停めて広治と香那子は祐一の4WDに乗り込み
来た道をすこし戻った信号機のある交差点脇のコンビニエンスストア
を目指した。だが由美はここへ来るべきではなかったのかもしれない
由美はこの店である男と出会う、その男は由美のもうひとつの秘密
に関わるキーを持っている。運命の歯車は違う歯車とは噛みあわず
同じ噛み合わせのまま回り続けた。
つづく
この物語はフィクションであり実在する人物、団体
には一切関係ありません
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