お気付きの方も、あると思うのですが
書き溜めた日記から、
投稿しているため時系列が
怪しいです。
済みません。

欲。

自分は欲でできている。
実感できる事の方が多い。

ダスオケ(1997年からベルリンで
現在まで唯一レギュラー出演の
オーケストラ)

1997年12月初出演以来、
年間10-15回ほど出演の
機会を得て来た。
私にとっての事実上の
オーケストラ演奏を、実際に
学びながら経験を
積んできた。(下積み時代にあたる)

その後、ミュージカルや、
フイルム・オーケストラへの
契約団員を経験する事が出来た。

酸いも甘いも経験できたと
言えるだろう。

今はフリーだ。

音楽教師とも言えない中途半端な
立場は、不徳の致すところだ。

もっといろんな形で音楽と
繋がっていたい。

命の続く限り。

病気再発以来、落ち込んでは
いないと思いたいが、ヤル気が
湧いてこなかったり、
以前に比べて格段に疲れ易い。
という自覚症状が有り、
カラダからの訴えを、素直に
聞かざるを得ない。

今週(4/30)も、木曜日から
始まった練習後は自宅に
直帰である。

今日(5/2)は何だか寒気もする。
コンサートを恙無く迷惑を掛けずに
終われるか?
練習の合間に、久し振りにベルリン
郊外にあるフランクフルト・オーダー
(ポーランドと国境を接する町)
から来週2回の賛助出演依頼。
来週は、子供たちとのコンサートを
含めると3回本番がある。

欲張りだなぁ。

でも全力を尽くして取り組んで
いこう。

最近気のせいか、懐かしい人々に
思いもかけない場所で、
再会できる機会が多い。

巡り合わせに感謝。


5月4日(火曜日) 晴れ ベルリンー
フランクフルト/オーダー 2015

久し振り(1年ぶり位かなぁ)に、
ベルリン郊外の
フランクフルト/オーダーへ。

国境をポーランドと接する町で、
ベルリンからはREと呼ばれる
快速電車で1時間ほどの距離だが、
今回はストの影響もあり
殆ど立って目的地へ。

ベルリン市内は激混みで
殺気立っている。
此れを久し振りのプロオケへの
助っ人で、荷物を引き摺って
当日の練習に加わる勇気は無い。

契約には含まれていない
自費でいわゆる"前乗り"と言われる
自主的に指定された日よりも、
1日早く現地入りして、万全の体制で
体調を整えながら、少し体を休める
つもりで、オーケストラ指定の
シティ・ホテル宿泊の手配をする。

正団員は、月曜日からジックリ
譜読みを開始して、もう半分ほど
曲も出来上がっている。
あとは、足りないパーツを足して
本番となる訳だが、シガナイ
フリー・トランぺッターは、
持てる経験を総動員して、
決して足を引っ張ってはいけない
(暗黙のルールが有る)寧ろ逆に
「此奴ナカナカやるな」と
評価を上げていかなければ、
次のお呼ばれはないのだ。

もうすぐ目的の駅に着く。
旅路途中は、永く友達付き合いを
して貰っているSから、
日曜日のコンサート終演後の
疲労の様子を心配したラインが
届いていたのに気付き。
暫し筆談。

兄弟のような友は、有りがたい。


私は台湾製の安い楽器で、
音楽好きの母が思い切って
新品を購入して貰って、
トランペットを吹き始めた。
それを高校を卒業して、
音楽大学受験に耐え得る
品質の3代目はさすがに
2人で協働で楽器を購入した。

私は結局、中学・高校の
6年間と音楽大学受験のための
浪人期間新聞配達を
してお金稼いだ。

当時父母は離婚してしまい、
男3人兄弟を独りで文字どうり
倒れるまで働き通しの母には、
余裕はなかった筈だった。

大学生になってからは、
専門の高価な楽器は
演奏と奨学金制度を
経て得られるお金を
生活費、学費を差し引いて
工面した。
幸いな事に、演奏の仕事でも
かなり稼ぐ事が出来た。

母が倒れてからは、一時的に
兄弟3人で埼玉の同級生の
お父さん所有の一戸建てに
住んだりもした。

恩師の支援の甲斐もあって、
実技の成績も良く、入学出来る
ことになった私立の音楽大学の
奨学金を、入学時、3年次に
受ける事ができ、
留学まで経験する事ができた。

母の愛は、音楽を続ける
大きな助けの一つになった。
ソシアルダンスが好きな、
母の大好きな音楽にも
トランペットが
良く独特のサウンドで
録音された物があった。
(当時、家でラジカセ、
レコード、ミュージック
テープCDと音の出るものは、
頻繁に聴いていたの今でも
良く覚えている)

気紛れで何事も長続きした
試しのない、私のような
男の子をよくも根気強く、
援助を続けてくれたものだ。
押し付けがましい事や、
怨みがましいことは一度も
言われた記憶はない。

母1人親、男3兄弟では
あったが、結構楽しい
思い出がある。
今でも当時を懐かしく
思い出され、兄弟も仲が良い。

音楽をこの歳までに情熱を、
失わずに続けて来れたのは
私にとって幸せなことの一つだ。

放課後の音楽室。
学校訪問の楽器商がケースから、
白手袋をして丁重に取り出された
まだビニール袋にくるまれた、
キラキラ光るトランペット。
同じくらい目をキラキラさせて、
息もする事を忘れたように
見入る子供達。

おじさんに言われた通りに何だか、
良くは解らないけれども
「とにかく、息を楽器に
吹き込んでご覧」と言われるまま
ヒヤッとする金属性の楽器の
「意外に重たいなぁ」という
生まれて初めての感触。
真新しいプラスチックや、
糊の入り混じった様な独特の
匂いがヤケに鮮明に
記憶に残っている。

心臓の動悸を抑えつつ、
興味いっぱいで見つめる
仲間達の前で1人ずつ、
試して行く。
「コンなんで、本当に音なんて
出るのだろうか?」
気恥ずかしさと、意思に
反して思わす音が出た時の
言い様のない
衝撃と高揚感。

今でも当時の細部まで
覚えていて、同じ様に初めて
楽器に出会う
子供達一人一人に、
そんな特別な
でき事であって欲しいと願う。

決して器用な資の子供では
なかった。

どちらかと云うと
朝日昇りきらない早朝から、
日のトップリと暮れた黄昏の
時間迄泥んこになって、
遊ぶのが大好きな
子供だった。

唯、溢れるような
好奇心はあった。